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#014('04.6.12) ('04.6.10付け日記から移動)
■高橋
今日は簡単に更新しようと思っていたのですが、「いぬいぬぶろっぐ」さんの高橋愛論が興味深かったので。本来よそのサイトへのリンクネタは「サブケ」の方に書くのですが、今日はこっちでいいかなと。
ハッとしたのは、なっちとの比較で書かれてる部分。なっちが持っている「自己愛」をタカハシは持ち合わせていないのではというくだり。ここにまさに突かれたと言いますか。以前から良く「自分なりのタカハシ論を書いてみたい」と言っていたのですが、その「書いてみたい」論点の中心がそれだったのです。ですから、自分と比較的近い見方を持っている方がいらっしゃったことに、ちょっと驚いたと言いますかね。逆言えば、こういう視点で高橋愛を論じている「モーヲタ」の文章に今まで出会った事がなかったと言いますか。
いぬいぬさんはなっちとの比較で書かれていますが(そして、その方が的確だと言うことがこの文章を読んでわかったことなのですが)、自分は石川さんとの対比でそのことを感じることが多かったのですね。人生を生きていく上で「自己愛」と言うものがどんな役割を果たすのかは正直全然わからないのですが、少なくとも「芸能人」として成功する上ではそれは大切なものなのではないか。実はそれを、石川さんを見て感じるようになっていたのです。その昔あの「梨華の時間」で「高橋&石川」のことを「体は柔軟だが生き方は不器用な二人」と(確か)書いていたのが妙に自分のお気に入りなのですが、じゃあどこに石川さんと愛ちゃんの差が出てくるのだろう、と思ったときに、石川さんの持っている一種の「ナルティシズム」をタカハシは持ち合わせていないということに気づいたのですね。
その昔、あるアンケートで「生まれ変われるなら何になりたい」と聞かれ、石川さんは「石川梨華」と答えています。俺はもう確信を持って言えるのですが、同じ質問をされてタカハシが「高橋愛」と答えることは絶対に無いと。というか、もし彼女が「高橋愛」と答えるようになったなら、その時は喜ばしい変化が訪れるようになるのではないかと。そう思えてしまうのです。
高橋愛という子が、実は(少なくとも芸能人として成功する上では)その自己愛に欠ける娘なのではないかという証左は、実はいろいろなところに見て取れます。自分はもう二年くらい前からそのことに気づいていたといいますかね。ハタから見れば「不当」と思えるくらい、実は彼女の中はコンプレックスの塊だということ、そして、それを必死に隠そうとして生きているという人だと言うこと。
ああ、まずいなぁ。頭の中にあることをとにかく吐き出しているだけなので、全然文章としてまとまっていないです。実際、結論として何が書きたいのかも全然わからないですし。
で、文章が全然ちぐはくなのでその勢いで、どうしても書いておきたいことを。それは、自分が思っているようなことを最初に指摘してくれたのは、実は藤本さんだったということなんです。ヤンタンで、「高橋ちゃんの欠点は」という問いに、藤本さんは「何か出来ていても、決して「出来ている」とは言わないところ」と言った趣旨の事を答えているのですね。俺はこの答えを聞いたとき、藤本美貴という人は実はすごくいろいろなことを「わかってる」人なのではないかと、ものすごく感心してしまったのです。自分を認めてやらないことが高橋の欠点だと、まさに指摘してるような気がしたのですね。(そしてそれは、いぬいぬさんが書かれていた、誉められたときに辻加護の様なリアクションを取らないと言う部分にも繋がっているように思うのですが)。
というわけで、何が書きたいのだかわからないまとまりのない文章になってしまいました。ごめんなさい、と言うしかない。