■ ニモケ日記(雑文)


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#002('03.1.4)

■「はったり」――2002年のまとめ――

 2002年のハロプロを一言で表したら。

 ずばり、「ハッタリ」だと思う。

 これからおもしろいことをやりますよ、と宣伝しておいて、その通りのものがでてきたら、世の中は大喜びだろう。しかし、「そこそこ」のものしか出てこなければ、それは「ハッタリ」だと。
 去年のハロプロは、まさにそんなものが多かった。アイデアを出し、「仕掛け」だけはするのだが、出てくるもの(音楽)が「そこそこ」の出来でしかない。
 今年のハロプロの曲は、案外いいものが多かったと思う。まさに「そこそこに良い」ものなのだ。これらが、特に何の「仕掛け」も無く出てきたら、意外と素直に受け止められたのではないのかと。
 しかし、「前フリ」が派手な分、これらの曲は印象が悪くなってしまった。そんな気がする。

 石川梨華がカントリーと一緒に「セクシー」路線をやる。「アイデア」としてはおもしろいだろう。でも、現実には「アイデア」止まりで、出てきたものは中途半端になってしまう。それではかえって逆効果なのだ。
 他にもそんな「ネタ」は数々あった。「アイ〜ン」しかり。ごまっとうしかり。他にも多くの例を挙げられると思う。(ごまっとうは、この三人の組み合わせが「バラエティ的に」おもしろいという「副産物」はあったけれど。)
 今年のはじめ頃、自分はこれらの「アイデア」を次々出してくるスタッフを、実はちょっとおもしろいと感じていた。しかし、世間のウケの悪さ、そしてアラが見えてくるに連れ、これは失敗だったのではないかと。

 そんな「ハッタリ」の最たるものは、あの7/31だったと思う。
 あの時点で本当に必要だったのは、後藤真希卒業にともなう「プッチモニ再編or解散」だけだったと思う。その他のことは、あの時点で一緒に行う「必要性」は、特になかったのだ。
 実を言うと、僕自身はあの時点で、タンポポにもプッチモニにも一種の「手詰まり感」を感じていた。だから、何らかの「テコ入」をすることは反対ではなかったのだ。特に、加護については、明らかにオーバーワークで、彼女を「タンポポ」から解放してやって欲しいとすら思っていたのだ。

 でも、どうなんだろう。それを行うにしても、ああいうやり方が「最善の方法」だったのだろうか。もっと別の、最善の方法があったのではないだろうか。
 繰り返しになるが、プッチモニの再編と同時に、タンポポやミニモニの再編を発表する必要性なんて、別になかったのである。「テコ入れ」は、別々の時期にやっても良かったのだ。
 五期に活動の場を与える目的という、その点もあったのだろう。でも、どうなんだろうか。前にも書いたが、「これが新タンポポのメンバーです」と言うより「石川・柴田・紺野・新垣の新ユニットを作りました」と言う方が、よっぽど効果があったと思うのだ。なぜ「タンポポのメンバーを入れ替えました」なんて形にする必要があったのだろうか。

 あのような方法をとった目的は、ただ一つしかないと思う。「世間を驚かせるため」。全ユニットをいっせいに入れ替える。まさに「インパクト」だけが目的だったのだ。「テコ入れ」は必要だったと思うし、スタッフ側もそれを感じていたからこそ「動いた」のだろう。が、その際、「インパクトを与える」ことだけが目的化してしまい、「最善の方法」を見誤ってしまったのだ。まさに今年最大の「ハッタリ」だ。

 あの改革は、結局「失敗」だったと思う。
 あの日が無くても、結局今のような「売上げ低下」は免れなかっただろうと言う意見はある。と言うか、僕自身がそう思っているのである。
 が、ある掲示版にあった意見を見て、あれはやはり「失敗」だったのだろうと思うようになった。そこにあったのは「改革は『状況を良くしよう』としておこなうもので、それが上手くいかなかったのだから、結局それは『失敗』だった」と。

 とにかく、去年はいい勉強になったと思う。インパクトを与えることは、ある程度必要なんだろうと思うが、やはり中身が伴わないと時には逆効果になる。特に、インパクトを与えることだけが「目的化」すると、相当まずいことになるのだ。


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