めざせ剣山スーパー林道と与作酷道完全走破編

『与作酷道』とは
徳島県徳島市を起点とし、高知県中村市まで四国をほぼ横断する国道439号線の通称。だが国道とは名ばかりで道幅は狭く、路面は荒れていて直線も少なく小さなカーブが多い。
林道をただ舗装しただけの様なところや、まるで民家の私道の様な場所もあり『国道』というよりは『酷道』だ。 『与作』の愛称は国道Noの『439』から来ています。全国「変な国道」ファン必走の道です。

4月29日()

  ヤマハXTZ660テネレに乗るワタシとホンダCRM80に乗るカミさん(以降ごめきち)は高知行きの「さんふらわあ・くろしお」に乗るべく東京有明フェリーターミナルに足を運んだ。チェックインを済ませバイクの所に戻ろうとした時1人のライダーに声をかけられた。なんとその人は3年前に九州宮崎のフェリーターミナルで出会い、3人で話をしたFさんで、彼も四国に行くため有明F・Tに来ていたとの事、我々を見て、もしやと思い声をかけてくれたのだ。こんなこともあるから旅はおもしろい。彼も我々も同じ日に剣山スーパー林道を走る予定なので林道での再会を約束し、彼は徳島行きのフェリーに乗り、我々は高知行きのフェリーに乗った。


4月30日()曇りのち雨

フェリー「さんふらわあ・くろしお」は定刻通り午後4時0分に高知港に到着。高知はあいにくの雨だったが、今日はキャンプ地をさがしての移動だけなので気が楽だ。物部村あたりにてテントを張った。明日は最初の目的の剣山スーパー林道だ


5月1日()

  夜のうちに雨はあがり朝から晴れだ。早々にテントを片付け、剣山スーパー林道へ向かった。高の瀬峡側からスタート。売店を過ぎるとすぐにダートが始まった。しばらくは川沿いを走っていくが途中からつづら折れになりグングン標高を上げていく。途中でCRM80のTempが点灯。CRM80はビックタンクを付けているため、若干熱がこもりやすいので仕方が無い、ラジエター正面のカバーを外して対処した。その後は快走し最初の峠にある「山の家」に到着。しばし休憩。とにかく天気が良い。2年前にこの道を走った時は霧で何も見えなかったが山々の眺めは素晴らしく山の花々も咲き開き二人共気分は上々。とにかく天気が良い。2年前にこの道を走った時は霧で何も見えなかった山々の眺めは素晴らしく山の花々も咲き乱れ二人共気分は上々。さっそうと下りへ、しかし小さなバイクにキャンプ道具を積むごめきちは下りでリヤ荷重のポジションが取りづらく、腕に力がかかりバテてしまうしかも続く登りは小排気量ゆえのパワー不足でちっとも登らない、60キロ以上続くダートの途中ごめきちは何度も「何で登らないんだー!もういやだー!」と叫びまくっていた。当然、本人はヘロヘロで何度も休憩をとりながらひたすら走る。気がつくと後からバイクが一台追いついて来る。先行させようと道端に寄せたらそのバイクも停車。よく見ると有明で再会したFさんではないか! 我々は気がつかなかったが、途中ですれ違ったらしくFさんはUターンして追いかけてき

 

てくれたのだった。とっても感激!ごめきちは彼に元気を分けてもらい無事剣山スーパー林道を完走。「Fさん読んでるかな?あの時はありがとう」Byごめきち
その後R439(以降与作)の起点のある徳島市まで走り、もうひとつの目的である与作の完全走破をするべくスタート。

<<ここからが、与作酷道のレポートです>>

起点である徳島市から剣山の見ノ越まではR438と合走区間になっていて国道表示は「438」になっています。

徳島市から佐那河内あたりは2車線と1.5車線の道が続きのどかで走りやすいが、神山町との境の峠の手前から道は急激に狭くなる。その入り口で出会い頭に大型トラックが前から来た。当然、逃げ道は無く我々は2台ともフルブレーキング。後方でごめきちのリヤロックの音が「ギュバババッ」と派手に聞こえてくる。あぶないあぶない、いきなり与作の洗礼を受けた。やはり慎重に行かなければ。

この日は神山町の「コットンフィールドキャンプ場」にテントを張った。

ここはとても良い雰囲気のキャンプ場でした。すぐ近くの「神山温泉」に入る。泉質は若干トロみが有りしょっぱい。地元の人の話だと大正時代の国の調査の時、四国で温泉と認められたのは、他には道後温泉だけだそうだ。泉質の関係であろうか、ここは「塩」の字が付く姓の人が多い。


5月2日()晴れ時々曇り

  昨日同様神山町も町の中は道幅が広く走りやすいが、やはり町中をはずれ峠が近くなると急激に道は狭くなる。峠でもある川井トンネルを抜けると、木屋平村が一望できた。峠から麓までは傾斜のきつい山あいで、よくもまぁこんな所にという感じで家が建っている。段々畑と民家がポツリポツリとある村中を与作は通っており、国道というよりは、生活道路の雰囲気だ。
木屋平村の村中を過ぎると、道はつづら折れになり、急激に標高を上げていく。道は狭く路面も若干荒れている。道の脇は断崖絶壁で落ちたら即、死だ。
CRM80に少し高山病の気配が出つつもなんとか登りきり峠である「見ノ越」に到着。大剣神社の下社があり剣山登山のベースでもあるこの峠は売店が建ち並び賑やかだ。道はここでR438とR439に分かれる。見ノ越から数キロ走ると奥祖谷の、かずら橋がある。ちょっと寄り道。ここは男橋・女橋と、ふたつのかずら橋があり場所も静かで良い雰囲気だ。個人的には祖谷渓のかずら橋よりこちらの方が好きだ。

駐車場でアフリカツインに乗るMさんとセローに乗るIさんと出会い、話しをした。

祖谷山といえば「蕎麦」ということで昼食は祖谷山蕎麦に決定。美味であった。

見ノ越からは基本的に狭道が続く。ある小橋は近くの家が植木を堂々と、らんかんに並べていて「おいおい、ここは民家の入り口かよ」と思わせるすごさだ。峠道に入ると道は荒れはじめ、深い森の中をつづら折れに標高を上げていく。峠も近くなると景色は広がりをみせ峠に到着。ここが徳島と高知の県境であり与作を代表する峠の「京柱峠」だ。峠をはさんで両県側に展望が広けていて静で良い峠だった。

 京柱峠を下って行くと西峰という集落を通るが、道の真中で対向車どうし並んで止まり長話をしているくらいのどかだ。

おばちゃん後でバイクがつまってますよ〜(^ ^;)

山腹に民家が密集し、タイムスリップしたような昔の雰囲気の小さな商店街がある。その中を通る与作はまさしく生活道路だ。

定福寺を過ぎるとR32と合流。しばらく吉野川沿いに走る。

R32号と別れてからの与作は吾北村まで急速に拡幅化が進み、あちらこちらで工事中だ。 くねくねと曲がっている旧道の真中を貫くように新道が造られている。このまま行くのかと思いきや、大峠の手前から再び狭い道になり、民家と畑の間をくねくねと登って行く。昔は全てこんな道だったのだろう。

 与作は池川町でR33と合流する。本日のキャンプ地をさがしてR33を高知方面に走り越知町の仁淀川の河原にテントを張った。一応「小浜キャンプ場」と書いてはあるが、基本的にただの河原。そこに水道と綺麗なトイレがある。当然無料。

夕焼けに浮かぶ入道雲と川面に無数の魚のモジリ、私の好きな野宿のロケーションでビールがうまい。

 


5月3日()

再び与作に戻り仁淀村を走る。仁淀村は四国有数のお茶の産地であちこちに茶畑がある。1.5車線の矢筈峠を左に曲がり、四万十川の源流点を目指す。地図には載ってはいないが道は途中からダートだ。

与作の分岐から10キロほど山道を走ると源流点の石碑があり、そこから徒歩20分で源流点に着いた。暑いので水がウマイ。

 与作から四国カルストに行く、尾根沿いに石灰岩がポコポコとあり山々の連なりが彼方まで見える。しかし連休初日ということで、観光地はさすがに人が多い、昼食をとり、さっさと走り出し与作へ。R197との分岐から大正町の手前まではこれぞ与作!という感じの道が続く。                               道は狭くクネクネと曲がり、直線は無いのかと思うくらいカーブが続く、のべ30キロ以上。百万回コーナーを回り()やっと四万十川沿いの大正町に出た。この道はかなり疲れた。

大正町といえば栗焼酎「ダバダ火振り」だ。酒造元の無手無冠酒造(むてむかと読む)に行き、お土産用に何本か買い、更に今晩の晩酌用にミニボトルを一本購入。与作終点の中村市はもうすぐだ。

四万十川を渡ると与作最後の狭道部分に突入。道は森の中を走る山道でやはり狭く、クネクネしている。ふとミラーを覗くと後に車が一台ついてくる。憎らしいことに、安全走行の我々を抜かんばかりにあおってくるがここは狭道。狭いカーブで対向車が来た。どんなに速くてもすれちがいが出来なければダメなのです。案の定立ち往生している。

わはははははは!

     狭道はやはりバイクですね。

森を抜けると道は2車線になり視界も広がり遠くに中村城が見えてきた。中村市内をクネクネと曲がり、R56にぶつかる所で与作は終わった。  全体的に与作はかなり拡幅工事を完了し、狭道酷道の個所は少しづつ減ってきているが、まだまだ走りごたえのある道は存在し、林道を走っているような楽しさを感じた。 

中村から四万十川沿いを走り西土佐村へ、津大橋の下にテントを張り山村ヘルスセンターの風呂に入浴に行くと、そこでまた偶然にも奥祖谷のかずら橋で会ったMさんIさんとの一行に再会した。二人は奥物部のライダーズインで知り合い、ここまでいっしょに走ってきたそうだ。Iさんはここで同じクラブの仲間と落ち合う予定だったらしく、仲間のセローに乗るMさんとSL230に乗るKさんが合流。いつのまにか我々と同じ場所にテントを張ることになった。ひさびさのライダー野宿宴会だ。

四万十川の源流で汲んだ水でご飯を炊き、鰹のタタキを食べ、ダバダ火振りを飲み、おおいに語り、おおいに笑った。    


5月4日()

朝、テントから這い出ると朝モヤで幻想的な四万十川が眼前に広がる。朝食後、突然CRM80の試乗会。小柄な女性のIさんの開口一番は「両足がちゃんと着くぅ!」今日はみんなで四国カルストに行くとのこと。なごりおしいが、我々は足摺岬へと向かう。R321(通称サニーロード)を走り足摺岬へ。

   

正しい観光地の足摺岬は正しい観光客でごったがえし、おまけに暑い、正しくない観光客の我々は逃げるように走りだす。往路と同じ足摺スカイラインは止めにして、西海岸側の県道で土佐清水市内へ。

小さな漁村をつなぐ細い道で、「なんだこっちの方がおもしろいじゃないか」と楽しく走り宇和島方面へ海岸線を北上、しかしここで、R56が大渋滞。R56なんてキライだぁ。   


5月5日()

 海岸線を行く狭いR378を八幡浜方面に走る。広い国道よりこういう道の方が我々は好きだ。四国最西端の佐田岬へ、三崎港から先は1.5車線の田舎道で両サイドにミカン畑が続く、道端でみかんを売っているのがとてもうまそうだ。
駐車場から25分ほど歩くと佐田岬の灯台に出る。目の前の豊予海峡は川のように流れがある。ここが有名な寿司ネタに最高な関サバの漁場だ。R197を大洲市まで走り、あいかわらず渋滞している立派なR56を尻目に田舎道のR441を走り再び四万十川へ、今回は西土佐村より上流の十和村あたりにテントを張った。
テント銀座のようだった津大橋の下の河原に比べこのあたりは静かでのんびりするには丁度良い、近くの十和温泉で汗を流し夕方一斉に羽化する羽虫やかげろうの大群を眺めながらビールを飲む。正しい日本の川の姿が目の前にあった。
                                                        


5月6日()

のんびり走りながら高知市へ、フェリーの出港時間は夜なのであっちこっちに寄り道しながら走る。正しい観光地の桂浜は珍しく混雑しておらず正しく観光などするが正しくない我々には似合わない。時間がたっぷりあるので前々から一度乗ってみたかった高知市内の路面電車に乗って市内散策。午後80分定刻どおりフェリーは出港、あとは帰るだけだ。


5月7日()曇り

四国から東京に戻ってきた我々を待っていたのは都会の道路だった。人ごみ・複雑な交通状況、無法に幅寄せしてくる車たちが「ここは四国じゃないんだぜ」と二人に言っていた。


番外『四国はうまかった編』(食べちゃったので写真無し)

・蕎 麦

四国の蕎麦どころといえば祖谷山です。与作沿いの「そば道場」(東祖谷山村落合)という店で食べました。おすすめはそば定食(1100円)かけそばの他にそばがきと、そば雑炊などがついてきました。ボリューム満点でしかも美味。お勧めの店です。
他に剣山スーパー林道の途中にある「ファガスの森」で食べた「山菜てんぷらそば」や四国カルストの姫鶴平で食べた「きじそば」もおしいかったです。

・酒

やはり筆頭は栗焼酎「ダバダ火振り」(無手無冠酒造)です。もう説明はしません。おいしいです。このレポートは全文ダバダ火振りを飲みながら書いています。四国の日本酒では土佐鶴・司牡丹等ありますが「酔鯨」が個人的に好みです。 

・ミカン

佐田岬(愛媛県三崎町)で買った「清見タンゴール」が甘くてとてもおいしかったです。関東でも三崎町産が売っていますが、現地で買ったものが断然おいしかったですね。

・番外編

帰りのフェリーの待ち時間に腹が減ったので近くの小さな食堂に入ってみたら、なにか懐かしい感じ。メニューはヤキソバやたこやき等、学校の近くにこういう店がよくあるなぁと思ったらとなりは高校でした。たこやきと店のおばちゃんお勧めの「そばめし」を買って食べた。要するにゴハンとブツ切りにしたヤキソバをいっしょに炒めたモノなんですけどこれがウマイ! 自家製のチャーシューを細かく刻んでまぜてありソース味でうまく包んだ絶妙な味は小腹のすいた我々を満足させるに充分でした。高知からフェリーに乗る機会があったら一度ご賞味あれ、たしか「柿内」という店名でした。