「『こころ』の読めない部分」について
執筆:2005/9/5〜

株式会社文芸社 2005年10月15日初版発行 
電子出版 http://www.boon-gate.com
                       
#01
このエッセイは、前著『いろはきいろ』で展開した『こころ』批判の短縮版である。ただし、前著では抑えていた感情を思い切って前面に押し出した。詳しい論考は、『いろはきいろ』世界論[先生とA]を見ていただきたい。
 二番煎じと非難されても仕方のないような本を上梓した理由は、三つある。
その一つは、深刻なものだ。私は、<夏目=文豪>という定説を疑わない知的俗物に激しい違和感を覚える。この違和感を未知の読書家と共有したかった。
二つ目の理由は、このサイトのための宣伝用パンフレットを必要としていた。
三つ目の理由は、個人的なものだ。虚栄心を満足させるため。

#02
夏目漱石とその作品については、多くの研究や論評が行われている。それらは、私の見た範囲では、ほとんどが無駄な努力である。文学的に、あるいは思想的に、夏目作品を話題にする価値はない。
一般論として言うなら、世の中には追っかけとかファンとかマニアとかオタクなどと呼ばれる人たちがいて、そういう人たちの努力を、敢えて咎める権利や必要は、私にはない。私は、イッチャッタ人たちに興味はない。
私が批判しているのは、夏目作品やそのファンなどではない。ターゲットは、<夏目=文豪>という定説を利用して格好をつけたり儲けたりしてきた知的俗物、国語教師、出版業界などだ。

#03
『こころ』は、夏目作品の中で最も評価の高い作品である。『吾輩は猫である』は有名だが、通読した人は少ないはずだ。普通の教養では理解できない。ナンセンスですらない。あえて言えばパンク小説だろう。『坊っちゃん』も有名だし、これなら通読した人は多いと思うが、感銘した人は少ないはずだ。粗筋さえ記憶になかろう。
主人公の青年とマドンナの関係について、多くの人々は記憶違いをしているようだ。『三四郎』の三四郎と美弥子の物語を重ねているらしい。ところで、この三四郎と美弥子の物語なるものが、不透明なのである。少なからぬ読者は、この二人の物語に『それから』の代助と三千代の過去の物語を重ねているのだろう。しかし、そんな物語は実在しない。『こころ』にも恋愛の物語は実在しない。
多くの読者は、夏目作品を読むとき、実在しない雰囲気だけの物語に自分の貧しい体験を重ね、小説を読んだ気になっているのである。

#04
『こころ』とは、いったい、何なのだろう。それは、作者が自分の体験の貧しさと妄想癖を隠蔽するための作品である。読者は、その隠蔽工作の共犯者に仕立て上げられる。作者は、読者の賞賛によって初めて、<自分は独特の思想や感情の持ち主である>という錯覚を得ているのだ。
『こころ』作者は、恋愛がどのようなものか知らない。あるいは、嫉妬がどのようなものかも知らない。そのくせ、文学の約束事として恋愛や嫉妬を利用することもしない。何か独特の恋愛とか嫉妬の物語を表現したように見せ掛けている。本当は何も描かれていない。貧相ですらない。物語に意味がないのだ。
激しい恋愛や嫉妬を経験したことがある人や、激しい恋愛や嫉妬の物語を読んだことがある人なら、『こころ』が嘘っ八で出来そこないの物語であることは、すぐに察知できるはずだ。ところが、『こころ』は名作ということになっている。なぜか。『こころ』はカルト的文学だからだ。カルトに入りやすい人、つまり、被暗示的性格の持ち主が、ころりと騙されてしまう。そんな書き方になっている。
教祖的と言うか、要するに「先生」的なのだ、夏目は。
彼は随筆や講演などでも同様の口調で突っ走る。読者や聴衆が抱えている劣等感や怨念や羞恥心などを刺激して判断力を麻痺させる。口先では相手の自由を尊重するような言い方をしながら、徐々に自分が優位に立ち、奇妙な観念を注入する。
夏目は豊富な語彙によって不必要なまでに自分の劣等感をガードし、催眠的文体によって相手の理性を眠らせ、批判を困難にさせる。『こころ』がその典型である。

#05
『こころ』を読んで自殺した人を、私は約一名知っている。
『こころ』は危険な文書である。
読んではいけない。

#06
 『こころ』が意味不明の作品であることは、いつからか、研究者や評論家の間では常識になっている。こんなことは、ちょっと調べればわかることだ。にもかかわらず、<『こころ』=名作>という誤った情報が訂正されないまま、垂れ流されている。
 私にとって、ソーセキという単語はリトマス試験紙の役割を果たす。その単語を好意的に送信する人からの情報は、信用できない。三文安。
(#01から#06 2005年9月5日執筆)


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