パパは、いつも私に言うのだった。きみは、世界で2番目に美人だよ。 1番目は、誰? パパは言った。きみが1番目だよって言ったら、信じるかい? だから、2番目って言うんだよ。 1番目はママなのだろう。写真の中のママ。私は、だんだん、ママに似て来る。写真の中のママに。 その写真は、2度目にママと海に行ったときのものだよ。自分のお皿を洗い終えて戻ってきたパパが、言った。私のお皿は、私が、もう、とっくに洗い終えていた。 濡れた手を拭きながら、パパは言った。海を覚えているかい。 私は、まだ、海には1度しか行ったことがない。しかも、そのとき、とても小さかったので、海がどんなだか、よく分からなかった。 海がどんなだか、分からなくても仕方がないよ。と、パパは言った。まだ、とても小さかったんだからね。 私は、海は大きな水たまりのようなものだと言った。ただし、しょっぱいの。しょっぱい水たまりよ。 私は、雨上がりの水たまりを見るたびに、それをなめてみたい気持ちになった。それが海でないことは分かっている。でも、海につながっていたらいいのに、と思う。通りに誰もいないとき、私は、思い切って泥水をなめてみた。ああ、そうだろうとは思っていた。しょっぱいはずがない。でも、私は驚いた、それはとてもいやな味がしたので。そして、驚いた拍子に、海のしょっぱさがどんなだったか、忘れてしまった。そのときまで、海といえば、口の中に広がるあの味というふうに思っていたのに。でも、もう、海の水が塩辛いということは、ただの知識でしかなくなった。人間は、こうして、少しずつ、体験を知識と交換しながら大人になるのだろう。本当に、そうなの? 誰か、教えて。 ねえ。 うん? 今度、いつ、海に行くの? さて。きみを見てやれる人が見つかるまでは、まあ、無理だね。海に行けば、ぼくは沖の小島まで泳ぐよ。その間、きみが浜辺で波に攫われないように、誰かがきみを見ていなくてはね。 私が見るわ。私が私を見るの。私が私のお皿を洗うように。 パパは笑う。そんなこと、言ってるうちは、難しいな。 パパは、何でも難しくする名人だ。 あなたもね。 と、ママが言った。 |