歩いて帰れ
執筆:1997/7/11(?)−2002/6/3

 喪章を腕に巻いた男が二人、ふざけ合っているようだ。そんなはずはないのに。
 一人が肩を揺すり、膝を軽く折る。もう一人が、のけぞる。そして、大口を開けた。笑っているのか。曲げた膝が伸びて、踵が上がった拍子に、男の体は、ふわりと浮き上がるようだ。そんなはずはないのに。
 本当に浮き上がりそうに思えたことが、腹立たしい。
 手の届きそうな所で雲が切れ、冷えた光が差す。
 ついに、雨にならなかった。
 両手を肩まで持ち上げ、雨粒を受けるふうにする人がいる。銀色の雲が降りてくるのを、地上で受け止めようとでも? 
 いい気なもんだね。そうか。だって、そうだろう。ううん。そう思わないか。まあまあ。いい気なもんだね。 
 同じ会話が、繰り返されているのだろう。そして、そのたびに、男たちは同じ動作を繰り返すのだろう。
 動きの小さい方のは大柄で、こそこそと当たりを伺う目をする。そういうのが癖らしい。その視線を辿るように、顎をしゃくる、もう一人の男。
 おやおや。
 タイヤが砂利を軋ませ、車が動き出す。ギシギシ、我が身の挽かれる思い。
 捩れた松の古木の間を抜けると、速度が安定する。本通りに入る頃、窓が斜めに濡れ始めた。
 さて、どうすればよかったのか。
 どうすればよかったのか、あのとき。どうすれば…… 
 助手席に、誰かいてくれたらよかったのに。尻の形を残す座席に、白い手袋を放り出す。
 横道に入った。何屋だか知れない店の前で止まる。店の奥に、誰かいるはずだ。呼べば、悪い方の足を引きずりながら、やけに丸い顔を出すのだろうが、呼ぶ暇はない。そんなこと、分かりそうなものではないか、子供ではないんだから。
 古ぼけた店先。正方形の幟が、写真のように、動かずに垂れている。布の色はくすんでいるが、白い商品は鮮やかで、整然と並ぶ。子供の歯のようだ。
 吊るした籠の中に、古い銭が数枚あるか、ないか。そこに、濡れた手が入る。
 飴屋では棒飴しか買えないはずなのに、手にしているのは、何だ。魚肉ソーセージか。止せやい。
 犬にでもくれてやれと、口笛を吹けば、ここは芦原で、口笛に聞こえたのは、吹き渡る風か。耳を澄ます。
 …… 
 やはり、風か。うん? 
 ……
 分からない。
 さて、こうならないためには、どうすればよかったのか。
 とりあえず、誰かに、いてほしかった。生まれた日の次の夜から、思っていたようだ。
 助手席に、誰かいた。
 車は捨てた。
 歩いて帰れとでも言うのか。
 みっともない。


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