数年前、私を咬んだ百足を、私は潰した。そして、拾った紙に包んで捨てた。 あいつは、本当に死んでいたのだろうか。死んでいなければいいのに。 あいつが生きていて、「お互い、よく闘ったよな」と語り合う場面を想像する。 あいつが最後の敵、そして、友だった。 その後、私は、だれとも闘わない。 (毒の牙は、私の肉に食い込み、数か月、抜けなかった) 近頃、私は、束ねることを諦めた縄のように、人生の路傍に延びている。 湿って腐りかけた縄だ。臭う。 その縄に無数の脚が生え、もぞもぞと這い出す場面を想像する。 私は、人間を咬む虫だ。人間は、私を潰す。そして、捨てる。 私が生きていることを望む人間は、天地の間に、いるか。 「お互い、よく闘ったよな」と語り合う場面を想像する人間は、いるか。 いない。 もしも、そんなやつがいたら、私は咬む。また、咬む。 何度も、咬む。そして、潰される、何度も。 いま、一度は捨てた紙を拾い上げ、広げる。 すると、そこには、潰された百足が連綿とした文字となって死んでいる。 そんな場面を想像する。 その文字は、普通の人間には読めない。 百足だったことのある人間にしか、読めない。 人間だったことのある百足には、読めない。 死んでいるからではない。 文字になっているからだ。 (毒の文字は、私の目に食い込み、数か月、抜けない) |