大変なことをしてくれたものだとおじさんは静かに言うのだった。 秋の暮れである。唐黍の焼ける音がしていた。大変なことをしでかした。自分でも、そう思う。だが、その言葉を口にしてはならない。思い詰めたような目から察してもらえないものでもあるまいと、こうして思い詰めた目をしているのに、思い詰めた目と思い詰めたような目との区別は、自分でも定かでなく、重い、冷たい目になっているのではないか。どうか。 やがて、分かる。 おれは、そう言いたかった。しかし、それは、おじさんの言葉だ。おれの言おうとする言葉を、おじさんが口にする。だが、言わんとするところは、大きく異なる。 どうすんだよ、え。 どうしよう。もしも、おれがおじさんなら、次は、こう言おう。 あのな、いいか、よく聞けよ。荒神橋の橋桁にゃあな、あの、黒くて長いのがよ、ずっと引っ掛かったまんまなんだぜ、流れずに。おい、聞いてるか。 おじさんは、煙管を取り上げては置き直すということを何度もやっている。その吸い口が濡れている。咥えろと言われたら、咥えるか。思案の渦に引き込まれそうだ。そうなれば、おじさんは、もう、いないも同然だろう。すると、別のやつが現われる。別のやつと、同じ話をするのは、懲り懲りだ。 ジリジリと唐黍の焦げる音が耳に痛い。痛いと思えば、やっと匂って来た。 ううっ。 何だ。やっと口を利く気になったか。あん? あのね、おじさん。 おうよ。 おじさんの煙管。 うん。 きっと、芯まで真っ黒。 |