シンジラレナイ!
執筆:1986?−2002/7/11

 ナニ、シテル。
 今? 
 ヒトリ? 
 ええっと。
 ア、ソ、カ。
 え? 
 イルンダ? 
 だったら? 
 イイナ。
 ひとり? 
 カナ? 
 違うの? 
 フフフ。
 へえ。
 エヘ。
 あ、そうか。
 ソウ。
 ええっと。
 エッ? 
 と、と、と。何かなっとか。
 ウン? 
 とか、何か、トナカイがね。
 エッ? 
 トナカイが毛をこすりつけてきたの。
 ウソ。
 トナカイの毛は長いの。
 フウン。
 海は遠いの。
 トーイ? 
 海が、遠くにあるの。遠くて、どこにあるのか、わからないの。
 トオイノネ。
 しかも、吹雪。世界は灰色。
 ハイイロ。
 灰色。銀色ではなく、灰色。そして、ヒラヒラと舞う粉雪。
 ヒラヒラ。
 雪の結晶は木の葉みたいよ。
 ヒラヒラ。
 手のひらからはみ出すほど大きい雪のひとひら。
 アナタガトテモチイサイカラ。
 と、トナカイが言うの。
 アナタノテ、チイサイ、トテモトテモ。
 私の手が小さいって言ったのね。
 イッタ。チイサイヨ、トッテモ。
 生意気な獣。
 ナマイキヨネ。
 本当、生意気。
 ケッテヤリナ。
 笑ってやるわ。
 フフフ。
 笑う前に、笑われた。
 フフ。
 トナカイは、作り声で笑うの。
 ウッフッフ。
 聞こえないふりした。
 イツモノテネ。
 聞こえないふりをして、大股で一歩、雪原に踏み出した。
 イツモノテダ。
 雪は柔らかで、フカフカだ。
 フカフカ。
 お布団みたい。
 ヒナタノオフトンミタイ? 
 足音が吸い込まれる。トナカイの蹄は軽やかで、とても軽やかで、音がしない。雪の軋む音さえしない。ため息ほども。
 ……
 そっと歩いているのね。そっと、そっと、わざと。
 スネテルンダ。
 拗ねてる。拗ねてる。変なやつ。
 ヘンナノ? 
 振り返らない。ひとりのつもり、今は。
 ヒトリ。
 歩いた。歩いた。歩いても歩いても、ずっと灰色。
 ハイイロ。
 同じ灰色。
 オナジナンダ。
 景色は変わらない。ずっと同じ灰色。それは、もう、景色なんてものじゃないの。景色なんて、ないようなもの。生きて動くものがない。立っているものがない。世界が眠っているみたい。私が目を瞑っているみたい。でも、眠ってはいない。だって、かすかに。
 カスカニ? 
 かすかにこする感じがする。トナカイだ。トナカイが毛をこすりつけてきた。トナカイの毛は長い。海は遠い。海は遠くて、どこにあるのか、わからない。しかも、吹雪。世界は灰色。銀色ではなく、灰色。そして、ヒラヒラと舞う粉雪。雪の結晶は、木の葉のように大きい。手のひらからはみ出すほど大きな、雪のひとひら。
 アナタガトテモチイサイカラ。
 と、トナカイは言った。
 アナタノテ、チイサイ、トテモトテモ。
 聞こえないふりをした。聞こえないふりで、一歩、雪原に踏み出した。雪は柔らかで、フカフカだから、足音が吸い込まれる。トナカイの蹄は軽やかで、とても軽やかで、だから、音がしない。雪の軋む音さえしない。ため息ほども。そっと歩いているんだ。そっと、そっと、わざと。拗ねてる。変なやつ。振り返らない。ひとりのつもり、今は。歩いた。でも、歩いても歩いても、ずっと同じ灰色。景色は変わらない。それは、もう、景色なんてものじゃない。景色なんて、ないようなもの。生きて動くものがない。立っているものがない。世界が眠っているみたい。私が目を瞑っているみたい。でも、眠ってはいない。だって、かすかにトナカイの気配がする。トナカイが長い毛をこすりつけてきた。海は遠かった。雪の結晶は大きくて、手のひらからはみ出すほどで、それは私の喉を塞いだ。
 アナタハチイサイ、トテモトテモ。
 息ができないの。冷たいものが喉に貼りついているから。
 アナタハチイサイ、トテモトテモ。
 覚えとくわ。そういうと、喉の奥で雪が溶けた。林檎を取り出して、ひとりで齧る。林檎は熟れすぎてて、まるでトマトのようだ。吐き出す。
 ペッ! 
 白い雪に赤いものが点々と散る。目が痛くなるような赤。それを、白い雪がすぐに隠す。ほっとした。
 ホッ。
 私は叫びたい。でも、叫ぶと、また、冷たい雪が喉を塞ぎ、私は苦しむのだろう。だから、私は俯いて呟く。あの赤いのは、私の血だ。私は血を流しているんだ。でも、それを雪が綺麗に隠してしまう。だから、だれも私の言うことを信じない。
 シンジルヨ。
 と、トナカイが言った。冬の獣は、心配性。
 シンパイ、シンパイ。
 でも、口先だけよね。
 アナタノコト、シンパイ。ダカラ、ソリニノリマセンカ。
 いやだ。
 ノッテクダサイヨ。
 うそつき。橇なんて、どこにあるのよ。
 ヘエ、ソンナモンデスカネ。
 と、トナカイは言った。
 スミマセンネ、ウシロヲフリムイタコトガナイモンデスカラ。
 どうせ、そんなものよ、トナカイの一生なんて。
 デモ、(ト、アワテテイキヲツギ)トナカイニ、ソリハ、ツキモノデハナインデショウカ。
 拳を固めて、トナカイのまるっこい鼻面を、ひとつ、思いっきり殴り付けてやる。理屈をお言いでないよ。いくら言ってやっても聞かない気だ。御者もいないのに、橇だなんて。
 ヘエ、ソンナモンデスカネ。
 と、トナカイは言った。
 スミマセンネ、ウシロヲフリムイタコトガナイモンデスカラ。
 どうせ、そんなものよ、トナカイの一生なんて。
 デモ、ソリニ、ギョシャハ、ツキモノデハナインデショウカ。
 まだ、言ってる。御者はいないの。だって、鈴の音がしないもの。だのに、橇だなんて。
 ヘエ、ソンナモンデスカネ。
 と、トナカイは言った。
 スミマセンネ、ウシロヲフリムイタコトガナイモンデスカラ。
 どうせ、そんなものよ、トナカイの一生なんて。
 デモ、ソリニ、スズハ、ツキモノデハナインデショウカ。
 いいえ。橇もなければ、御者もいないの。鈴だって鳴らないんだから、耳だって聞こえないんでしょう。
 ヘエ、ソンナモンデスカネ。
 と、トナカイは言った。
 スミマセンネ、ウシロヲフリムイタコトガナイモンデスカラ。
 どうせ、そんなものよ、トナカイの一生なんて。
 デモ、トナカイニ、ミミハ、ツキモノデハナインデショウカ。
 橇もなければ、御者もいない。鈴も鳴らないし、耳も聞こえない。目だって、見えてるのかどうか。
 ヘエ、ソンナモンデスカネ。
 と、トナカイは言った。
 スミマセンネ、ウシロヲフリムイタコトガナイモンデスカラ。
 どうせ、そんなものよ、トナカイの一生なんて。
 デモ、トナカイニ、エエット、ナンダッケ、ツキモノナノハ。
 橇もなければ、御者もいない。鈴も鳴らないし、耳も聞こえない。目も見えない。そのうえ、ろくすっぽ、しゃべれもしないんだわ。
 ……
 角だって生えていないんでしょう。
 ……
 それから、ブルッと身を震わすと、自分の体を抱き締めるようにして、言ってみた。体だってないんでしょうね。
 ……
 ないのね、やっぱり。
 ……
 歩く。どんどん、歩く。でも、景色は変わらない。林檎は芯だけになったのを、後ろに放った。いくら間抜けな獣でも、お腹は空くものね。
 ……
 でも、シャリシャリと果物を噛む音はしない。思い出したように言ってみる。角だってない。そして、耳を澄ます。
 ……
 何も聞こえない。だから、言ってみた。角だってないんだ。叩くとコツコツ鳴る、冬空に向かって大きく腕を広げたような、一対の樹木のような、大地の色をした、厚い、堅い、スベスベした角だってない。
 ……
 冷たい風に、耳がちぎれそうだ。だから、言ってみた。鈴だって鳴らない。シャンシャンと心を騒がせる、どんなに遠くからでも聞こえてくるはずの、あの鈴が鳴らない。
 ……
 風に舞う雪が、視野を狭く限る。だから、言ってみた。御者だっていない。ハイホーイと勇ましい掛け声を挙げ、ピシリと鞭をくれる、北国生まれの逞しい御者もいない。
 ……
 橇だなんて! 笑っちゃうわ。寒さに悴んだ耳には、自分の声さえ頼りなく聞こえる。橇だなんて。
 ……
 私を乗せる? 橇だか何だか知らないけど、そんなもの、どこにあるって言うのよ。
 ……
 雪が睫を縫い合わせた。だから、言ってみた。橇だなんて、橇だなんて、橇だなんて、いったいぜんたい、どういうことよ! そんなもの、私が信じるとでも思ってるの? ここには、何にもないのに、誰もいないのに。
 ……
 もう、これきりだからね。そうよ。いくらなんだって。信じられるもんですか。おまえなんか、いないくせに。おまえは、いない。いつだって、いない。おまえは、口先だけの獣だ。そんなこと、最初から、わかってたんだ。
 ……
 雪は、小止みなく降り続いていた。私があんまり小さいものだから、だから、おまえはいない。だから、おまえはいなくなった。そのときから、私はずっとひとりだ。
 ……
 それだけ言うと、いたずらっぽく桃色の舌を出し、肩を竦めた。
 ……
 寒い。
 ……
 遠い。
 ……
 そして、私は倒れた。雪が私を埋めた。私は白く塗り潰された。
 ……
 そのとき、トナカイが長い毛をこすりつけてきた。
 シンジラレナイ! 
 私も。
 エ? 
 ……
 ア、ソ、カ。
 そう。
 フーン。ジャア、ウマクイッテンダ? 
 そうなのかなあ。
 イッテルノヨ、ナンダカンダイイツツモネ。
 何かかんかしてるうちにね。
 ソウ、ソウイウモンナンダッテバ、ニンゲンノイッショウナンテノハネ。ダカラ、ヤッパ、マダ、ワカインダシ、コレカラナンダシ。
 お互いにね。
 ソウユウコトサ。
 ほっとした? 
 ホッ。
 良かった。
 ネエ。
 うん? 
 ネエ。
 あ、そうか。遊ぼうか、あした。
 アシタ? ウウン、イイヨ。
 会えるよね。
 アエルサ。
 じゃあね。
 ジャアネ。


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