ナニ、シテル。 今? ヒトリ? ええっと。 ア、ソ、カ。 え? イルンダ? だったら? イイナ。 ひとり? カナ? 違うの? フフフ。 へえ。 エヘ。 あ、そうか。 ソウ。 ええっと。 エッ? と、と、と。何かなっとか。 ウン? とか、何か、トナカイがね。 エッ? トナカイが毛をこすりつけてきたの。 ウソ。 トナカイの毛は長いの。 フウン。 海は遠いの。 トーイ? 海が、遠くにあるの。遠くて、どこにあるのか、わからないの。 トオイノネ。 しかも、吹雪。世界は灰色。 ハイイロ。 灰色。銀色ではなく、灰色。そして、ヒラヒラと舞う粉雪。 ヒラヒラ。 雪の結晶は木の葉みたいよ。 ヒラヒラ。 手のひらからはみ出すほど大きい雪のひとひら。 アナタガトテモチイサイカラ。 と、トナカイが言うの。 アナタノテ、チイサイ、トテモトテモ。 私の手が小さいって言ったのね。 イッタ。チイサイヨ、トッテモ。 生意気な獣。 ナマイキヨネ。 本当、生意気。 ケッテヤリナ。 笑ってやるわ。 フフフ。 笑う前に、笑われた。 フフ。 トナカイは、作り声で笑うの。 ウッフッフ。 聞こえないふりした。 イツモノテネ。 聞こえないふりをして、大股で一歩、雪原に踏み出した。 イツモノテダ。 雪は柔らかで、フカフカだ。 フカフカ。 お布団みたい。 ヒナタノオフトンミタイ? 足音が吸い込まれる。トナカイの蹄は軽やかで、とても軽やかで、音がしない。雪の軋む音さえしない。ため息ほども。 …… そっと歩いているのね。そっと、そっと、わざと。 スネテルンダ。 拗ねてる。拗ねてる。変なやつ。 ヘンナノ? 振り返らない。ひとりのつもり、今は。 ヒトリ。 歩いた。歩いた。歩いても歩いても、ずっと灰色。 ハイイロ。 同じ灰色。 オナジナンダ。 景色は変わらない。ずっと同じ灰色。それは、もう、景色なんてものじゃないの。景色なんて、ないようなもの。生きて動くものがない。立っているものがない。世界が眠っているみたい。私が目を瞑っているみたい。でも、眠ってはいない。だって、かすかに。 カスカニ? かすかにこする感じがする。トナカイだ。トナカイが毛をこすりつけてきた。トナカイの毛は長い。海は遠い。海は遠くて、どこにあるのか、わからない。しかも、吹雪。世界は灰色。銀色ではなく、灰色。そして、ヒラヒラと舞う粉雪。雪の結晶は、木の葉のように大きい。手のひらからはみ出すほど大きな、雪のひとひら。 アナタガトテモチイサイカラ。 と、トナカイは言った。 アナタノテ、チイサイ、トテモトテモ。 聞こえないふりをした。聞こえないふりで、一歩、雪原に踏み出した。雪は柔らかで、フカフカだから、足音が吸い込まれる。トナカイの蹄は軽やかで、とても軽やかで、だから、音がしない。雪の軋む音さえしない。ため息ほども。そっと歩いているんだ。そっと、そっと、わざと。拗ねてる。変なやつ。振り返らない。ひとりのつもり、今は。歩いた。でも、歩いても歩いても、ずっと同じ灰色。景色は変わらない。それは、もう、景色なんてものじゃない。景色なんて、ないようなもの。生きて動くものがない。立っているものがない。世界が眠っているみたい。私が目を瞑っているみたい。でも、眠ってはいない。だって、かすかにトナカイの気配がする。トナカイが長い毛をこすりつけてきた。海は遠かった。雪の結晶は大きくて、手のひらからはみ出すほどで、それは私の喉を塞いだ。 アナタハチイサイ、トテモトテモ。 息ができないの。冷たいものが喉に貼りついているから。 アナタハチイサイ、トテモトテモ。 覚えとくわ。そういうと、喉の奥で雪が溶けた。林檎を取り出して、ひとりで齧る。林檎は熟れすぎてて、まるでトマトのようだ。吐き出す。 ペッ! 白い雪に赤いものが点々と散る。目が痛くなるような赤。それを、白い雪がすぐに隠す。ほっとした。 ホッ。 私は叫びたい。でも、叫ぶと、また、冷たい雪が喉を塞ぎ、私は苦しむのだろう。だから、私は俯いて呟く。あの赤いのは、私の血だ。私は血を流しているんだ。でも、それを雪が綺麗に隠してしまう。だから、だれも私の言うことを信じない。 シンジルヨ。 と、トナカイが言った。冬の獣は、心配性。 シンパイ、シンパイ。 でも、口先だけよね。 アナタノコト、シンパイ。ダカラ、ソリニノリマセンカ。 いやだ。 ノッテクダサイヨ。 うそつき。橇なんて、どこにあるのよ。 ヘエ、ソンナモンデスカネ。 と、トナカイは言った。 スミマセンネ、ウシロヲフリムイタコトガナイモンデスカラ。 どうせ、そんなものよ、トナカイの一生なんて。 デモ、(ト、アワテテイキヲツギ)トナカイニ、ソリハ、ツキモノデハナインデショウカ。 拳を固めて、トナカイのまるっこい鼻面を、ひとつ、思いっきり殴り付けてやる。理屈をお言いでないよ。いくら言ってやっても聞かない気だ。御者もいないのに、橇だなんて。 ヘエ、ソンナモンデスカネ。 と、トナカイは言った。 スミマセンネ、ウシロヲフリムイタコトガナイモンデスカラ。 どうせ、そんなものよ、トナカイの一生なんて。 デモ、ソリニ、ギョシャハ、ツキモノデハナインデショウカ。 まだ、言ってる。御者はいないの。だって、鈴の音がしないもの。だのに、橇だなんて。 ヘエ、ソンナモンデスカネ。 と、トナカイは言った。 スミマセンネ、ウシロヲフリムイタコトガナイモンデスカラ。 どうせ、そんなものよ、トナカイの一生なんて。 デモ、ソリニ、スズハ、ツキモノデハナインデショウカ。 いいえ。橇もなければ、御者もいないの。鈴だって鳴らないんだから、耳だって聞こえないんでしょう。 ヘエ、ソンナモンデスカネ。 と、トナカイは言った。 スミマセンネ、ウシロヲフリムイタコトガナイモンデスカラ。 どうせ、そんなものよ、トナカイの一生なんて。 デモ、トナカイニ、ミミハ、ツキモノデハナインデショウカ。 橇もなければ、御者もいない。鈴も鳴らないし、耳も聞こえない。目だって、見えてるのかどうか。 ヘエ、ソンナモンデスカネ。 と、トナカイは言った。 スミマセンネ、ウシロヲフリムイタコトガナイモンデスカラ。 どうせ、そんなものよ、トナカイの一生なんて。 デモ、トナカイニ、エエット、ナンダッケ、ツキモノナノハ。 橇もなければ、御者もいない。鈴も鳴らないし、耳も聞こえない。目も見えない。そのうえ、ろくすっぽ、しゃべれもしないんだわ。 …… 角だって生えていないんでしょう。 …… それから、ブルッと身を震わすと、自分の体を抱き締めるようにして、言ってみた。体だってないんでしょうね。 …… ないのね、やっぱり。 …… 歩く。どんどん、歩く。でも、景色は変わらない。林檎は芯だけになったのを、後ろに放った。いくら間抜けな獣でも、お腹は空くものね。 …… でも、シャリシャリと果物を噛む音はしない。思い出したように言ってみる。角だってない。そして、耳を澄ます。 …… 何も聞こえない。だから、言ってみた。角だってないんだ。叩くとコツコツ鳴る、冬空に向かって大きく腕を広げたような、一対の樹木のような、大地の色をした、厚い、堅い、スベスベした角だってない。 …… 冷たい風に、耳がちぎれそうだ。だから、言ってみた。鈴だって鳴らない。シャンシャンと心を騒がせる、どんなに遠くからでも聞こえてくるはずの、あの鈴が鳴らない。 …… 風に舞う雪が、視野を狭く限る。だから、言ってみた。御者だっていない。ハイホーイと勇ましい掛け声を挙げ、ピシリと鞭をくれる、北国生まれの逞しい御者もいない。 …… 橇だなんて! 笑っちゃうわ。寒さに悴んだ耳には、自分の声さえ頼りなく聞こえる。橇だなんて。 …… 私を乗せる? 橇だか何だか知らないけど、そんなもの、どこにあるって言うのよ。 …… 雪が睫を縫い合わせた。だから、言ってみた。橇だなんて、橇だなんて、橇だなんて、いったいぜんたい、どういうことよ! そんなもの、私が信じるとでも思ってるの? ここには、何にもないのに、誰もいないのに。 …… もう、これきりだからね。そうよ。いくらなんだって。信じられるもんですか。おまえなんか、いないくせに。おまえは、いない。いつだって、いない。おまえは、口先だけの獣だ。そんなこと、最初から、わかってたんだ。 …… 雪は、小止みなく降り続いていた。私があんまり小さいものだから、だから、おまえはいない。だから、おまえはいなくなった。そのときから、私はずっとひとりだ。 …… それだけ言うと、いたずらっぽく桃色の舌を出し、肩を竦めた。 …… 寒い。 …… 遠い。 …… そして、私は倒れた。雪が私を埋めた。私は白く塗り潰された。 …… そのとき、トナカイが長い毛をこすりつけてきた。 シンジラレナイ! 私も。 エ? …… ア、ソ、カ。 そう。 フーン。ジャア、ウマクイッテンダ? そうなのかなあ。 イッテルノヨ、ナンダカンダイイツツモネ。 何かかんかしてるうちにね。 ソウ、ソウイウモンナンダッテバ、ニンゲンノイッショウナンテノハネ。ダカラ、ヤッパ、マダ、ワカインダシ、コレカラナンダシ。 お互いにね。 ソウユウコトサ。 ほっとした? ホッ。 良かった。 ネエ。 うん? ネエ。 あ、そうか。遊ぼうか、あした。 アシタ? ウウン、イイヨ。 会えるよね。 アエルサ。 じゃあね。 ジャアネ。 |