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■私がひーちゃんを好きになったワケ(そのいち)97/04/07記 さて、スキー合宿レポも無事発表することができて(まだ途中ですけど(^^; )、ホッと一安心したところで、前回の予告通り、私がひーちゃんを好きになったワケを書かせていただきたいと思います。 しかし、それを語るには、まず私と智ちゃんの出会いから話さなければいけないでしょう。「桜井智後援会」に入らなければ、私とひーちゃんが出会うことはなかったのですから。 私が「桜井智」という名前を知ったのはいつのことだろう。レモンエンジェル時代だったのは確かだが、アニメが先だったのか、それともアイドルが先だったのかは定かではない。 しかし、ただ1つ言えることは、当時の私はアニメ版レモンエンジェルのファンだったということだ。アイドル版レモンエンジェルの存在を知ってはいたが、決してファンではなかった。というか、そもそも「私」という人物史の中で、アイドルにハマったことは一度としてない。「好き」になったことはあるが、ファンというレベルではなかった。まあ、ただ単にアイドルブームに乗り遅れて、それを追いかけるのが面倒なだけだったのだろう。その結果、アニメに転んでしまったわけだが。 おっと、話を戻そう。 アニメ版レモンエンジェルのファンだったわけなのだが、しかし、その情報はほとんどとしてなかった。なぜなら、当時私は北海道に住んでいたのだが、北海道では「ミッドナイトアニメ レモンエンジェル」を放映していなかったからだ(去年、9年目の本放映をしていたのは記憶に新しい(^^; )。 「何でやっていないんだあ〜!?」 と、新聞とにらめっこして絶叫した覚えがある(^^; だから、ファンといっても、特に何かするでもなく、何もないままに、私の中でレモンエンジェルは小さな存在となって(しかし、決してその存在は消えることなく)、そのまま時は流れていったのであった。 しかし、その数年後、私は智ちゃんと再会したのだ! 以下、続く!
なお、余談ではあるが、当時の私はアイドル版レモンエンジェルの中では美希ちゃんが好きだったことを付記しておこう。 |
■私がひーちゃんを好きになったワケ(そのに)97/04/08記 H7年春、私は智ちゃんと再会した。 「マクロス7」 改めて説明するまでもないだろう。ミレーヌ・F・ジーナス役で「声優・桜井智」の名を一気に高めた作品だ。 ちなみに、なぜ私が「マクロス7」を見たのかは定かではない。なぜなら、私は「超時空要塞マクロス」は嫌いなのだ。「好きじゃない」のではない、明確に「嫌い」なのだ。まあ別作品だし、と割り切っていたのだろう、きっと。 とにかく、かようにして、私と智ちゃんは再会した。 しかし、この時点ではただそれだけのことだ。「ああ、昔レモンエンジェルやってた桜井智だなあ」ぐらいにしか思っていなかった。 そして、5月。「マクロス7」のCD、「ミレーヌ・ジーナス シングス リン・ミンメイ」が発売された。 最初は買う気がなかったのだ、私は。それは、「声優・桜井智」にさしたる興味がなかったからに他ならない。 しかし、それを突然買うことにしたのには、もちろんワケがある。 そのころ私は札幌に住んでいた。で、そのCDを買うと、智ちゃんのイベントに参加できたのだ。札幌で声優のイベントなどそんなにないにしても、ただそれだけのことなのだが、そのイベントに参加しようと思ったのにも、しかも、その手のイベントには初参加だった私がわざわざ参加しようと思ったのには、もちろんワケがある。 「元B級アイドル・レモンエンジェルの桜井智が見たかった」のだ。なんか矛盾しているようだが、見れるチャンスをあえて逃す必要はない、という考えだ。「声優・桜井智」に興味はなくても、「レモンエンジェル・桜井智」は、私の青春の思い出だったのだから。 そして、5月13日。札幌プラニスホールにて、イベントの幕は上がった。 以下、続く!
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■私がひーちゃんを好きになったワケ(そのさん)97/04/10記 ビクター阿部さん司会によるそのイベントは、特記すべきこともなく順調に進んだ。 そして、イベントのトリは、恒例の「握手会&サイン色紙配布」だ。 これが全てを運命づけた。 少なくとも、この瞬間以前は、「桜井智」にハマるとは微塵も予想していなかった。 しかし、智ちゃんを目の前にして、そして握手して、目が合って、澄んで無邪気な瞳が、私を虜にした。 「綺麗だ…」 言葉を失うくらいの実感がそれだ(しかし、今では大抵の場合「可愛い」と思ってしまうのはなぜだろう?(笑)) 智ちゃんは、それまでの私の短い人生の中で出会った女性の中で一番「綺麗」な人だった。 私は即座に後援会に入ることを決意した。いや、入らないわけにはいかなかったのだ。 以下、続く!
なお、余談ではあるが、そのとき智ちゃんの隣で色紙を配っていた女性を、私は智ちゃんのマネージャーだと信じて疑わなかった。その女性の正体を知ったのはそれから半年後、CFL'95で売り子をしていた社長と出会ったときである(^^;; さらに余談であるが、握手会のときに私が智ちゃんに言った言葉は、 「レモンエンジェルのビデオ見て予習してきました(^^)」 である。 いくら事実だとはいえ、初見でよくも言えたものだ(^^; しかし、このときの智ちゃんの返事は、 「ありがとうございます(^^)」 であった。 本当にありがたかったのかどうか、今では疑問である(笑) |
■私がひーちゃんを好きになったワケ(そのよん)97/04/11記 最初の会報はなかなか来なかった。2ヶ月くらいは来なかったと思う。 で、あまりにも遅いから、エルスタッフに電話をしてみた。 「はい、エルスタッフプロモーションです」 「あの〜、この前入会したんですけど〜、それきり何も反応がないんですけど…」 その電話に出た女性は実にテキパキとした口調で、現在入会受付が混み合っていて、会報の送付が滞っていることを説明してくれた。 今にして思えば、あれは遊ちゃんだったのではないかと思う。ほぼ、間違いないと思う。いや、断言してしまおう。あれは遊ちゃんだった。 ということは、私はひーちゃんより先に遊ちゃんに接触していたわけである(笑) そして、最初に届いた会報TOMORROWは「TOMO夏'95号」であった。 で、札幌に住んでいて、東京でのイベントには参加していなかった私のほとんど唯一の情報源は後援会報だけだったのだが(当時のアニメ誌・声優誌に、遊星&萠ちゃんの名前なんて皆無でしたからねぇ(^^; )、そこに出てくる「遊星王女」と「長崎萠」の文字。文面を見てみると、どうやら人名で、智ちゃんの後輩らしいということぐらいは分かったものの、それ以上のことは分からない。 だから、私はしばらくの間、「遊星王女」とは個人の芸名だと思っていた(^^; まさか、ユニット名だったとは(^^;; う〜ん、しょっぱなから素晴らしい出会いだ(^^; >遊星王女 以下、続く!
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■私がひーちゃんを好きになったワケ(そのご)97/04/13記 私が次に生智ちゃんと出会ったのは、H7年9月10日。そう、智ちゃん24歳の誕生日の日だ。 場所は札幌ペニーレーン24。「T-MODE」発売記念イベントのときのことであった。 イベント自体は前回と同じくビクター阿部さんの仕切りで、滞りなく終わった。 はっきり言うと、この日のことはあまりよく覚えていない(^^; 歌があって、誕生日だということでケーキが出てきて、恒例の握手会&サイン配布があって、プレゼントを渡して――。多分、私の人生の中で、タレントさんにプレゼントを渡したというのはこれが初めてだったと思う。 と、まあ、社長がいたかどうかも覚えていない(^^; 多分、いたと思うのだが…。 そして、北海道での智ちゃんとの2度の出会いを経て、H7年10月、私は会社の命により、横浜へと渡った。新たなる出会いを求めて――。 以下、続く!
それにしても、私はいつひーちゃんに出会ったんだ!?(笑) このままじゃ、タイトルに偽りありだぞ(笑) |
■私がひーちゃんを好きになったワケ(そのろく)97/04/14記 H7年10月、私は横浜へとやってきた。 たった1年間という期間限定ながらも、智ちゃんのいる関東へとやってきたのだ! これでもう、「TOMO夏'95」に行けなかった〜!、と嘆く必要はなくなったのだ。「TOMO夏'96」へ行けばいい。私は横浜へ来たのだから。 そして、私が横浜へやってきて最初のイベントは新宿SPACE107での「朝倉薫演劇団クリスマスファンタジーライブ(以下CFL)'95」であった。 とりあえず私は、12/23 15:00開場の部のチケットを後援会経由で手配した。この頃はまだ同じイベントに2回行くなどという考えは全くなく、土曜の昼間が一番楽だということで、その日のその時間にしたのだ。今では全く考えられないことである(笑) そして、届いたチケットの席番は、なんと、A列11番というものであった。そう、最前列、そしてほぼ中央の席である! 思えばこれが間違いの元だったのかも知れない(笑) 以後、私は見る見る内にエルスタッフにハマっていったのだから(笑) さて、そして私はここでひーちゃんを初めて見ることとなったわけなのだが、実は全く覚えていない(^^; 遊星王女が出てたいたということ自体は覚えているのだが、歌を歌ったのかどうか、コントをしたのかどうか、ということについては全く覚えていない(^^;; それは萠ちゃんについても同じだ。 だって、このときの私は、まだ遊星王女の顔も知らなければ、萠ちゃんの顔も知らなかったんですから(^^; それに、智ちゃん以外はさほど興味もなかった(^^;; ただ、それらしい人がいたな〜、と思い起こせる程度である。 それはともかく、かようにして、私はひーちゃんと出会ったのだ(出会ったって言えるのか!?(^^; ) 以下、続く!
なお、余談ではあるが、私がCFL'95に抱いた感情とは、「アニキーズの歌が格好良かった〜」というものであった(^^; さらに余談になるが、このときのグッズ売り場は、今考えるとものすごい濃い品揃えであった。エルスタッフ蔵出しという奴である。何しろ、LA写真集「夏的魔女」が定価で売られていたのだ。もちろん、1冊GETしたが、今思うと2冊はGETしておくべきであった。 また、智ちゃんのサイン入りTOMO'95パンフも売られており、通販で買っていたにも関わらず買った覚えもある。 なお、このときグッズを5000円以上買うとポスターが1枚貰え、私は「White」のポスターを貰った。これまた濃い…(^^; で、私はここで初めて社長が社長であるということを知った。売り子をしていた社長に誰かが「社長!」と呼びかけて、めちゃめちゃビビった覚えがある(^^; 社長自ら売り子をするか〜、と驚きもした。しかし、社長の売り子は秀逸で、グッズ何点かまとめて5000円のところ、それをやっぱり5000円で売っていたのだ(^^; 普通、少しくらい安くするものだと思うが、さすが伊達に社長はやっていない(笑) |
■私がひーちゃんを好きになったワケ(そのなな)97/04/16記 さて、次なるイベントは、翌H8年2月3日、「稽古場完成記念ファンの集い」――要するに「お茶会」であった。 私はもちろん迷うことなく応募した。なにしろ、ここ横浜には1年間しかいられないのだから、行けるものは行けるだけ行っておきたい。 しかし、実のところこのお茶会の1週間前に、「長崎萠 K.O.F.'95アテナ役記念ゲーム大会」というイベントがあったのだ。萠ちゃん&遊星王女とゲームができるというおいしいもの。 しか〜し! 私はそれには参加しなかった。できなかったのではない。しなかったのだ。 そのころはようやく遊星王女と萠ちゃんが何たるかは理解していたものの、特にファンでもなかった((^^; )。だから、一応悩みはしたものの、結局参加はしなかったのだ。 私はこのことを、その後半年もせずに後悔することとなり、実は今でも後悔していたりする。ああっ、なんて愚かだった私(^^; で、参加したお茶会の方だが、こちらもよく覚えていない(^^; 覚えていることといえば、智ちゃんとの1分間2ショットタイムがあり、私は智ちゃんを目の前にカチンコチンに固まっていたことは、未だによーく覚えている。プレゼントをあげ、そのとき妙なことを口走ったことも覚えているが、ここでは割愛。 また、お茶会には遊星王女と萠ちゃんも給仕として参加していたと思う。私は萠ちゃんにジュースだか紅茶だかをコップに注いでもらった覚えがある。 誰かしらの歌があったかどうかは覚えていないが、お茶会だけになかったような気もする。 結局、当時の私は、智ちゃん以外はアウト・オブ・眼中だったのだ(^^; 以下、続く!
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■私がひーちゃんを好きになったワケ(そのはち)97/04/16記 さて、この連載はいつのまにか「エルスタッフタレント関連イベント参加履歴」になっているような気もしてきたが、気にせずに続けていこう。 次に私が参加したのは、2月12日、ヤクルトホールでのバレンタイン・エイド'96であった。2公演あったかと思うが、例によって私は14時開場の部にしか参加していない。この頃は、同じものなんだから、1回行けばいーや、という考えだったのである。 席はF列16番であった。CFL'95と比べるに値しない場所である(^^; もっとも、張り出したステージの近くだったので、前に出てきてくれたときは近くで見れたのだが。 で、やっぱり大して内容は覚えていない(^^; 私の記憶力はザルなんですよぅ。 遊星の「シャッフル、シャッフル〜!」のトランプ野郎があったこと覚えている。萠ちゃんはほとんど振り付け無しの「MY LOVE」を歌ったような気がする。 チョコレートは萠ちゃんに貰った。智ちゃんの特製生写真付きの奴だ。 結局、このときもまだ「普通の智ファン」であったのだ。 続くイベントは、2月25日豊島区民センター、アニメイト池袋主催の「ACTRESS発売記念握手会」であった。流れ作業的に握手してサイン配られて、ただそれだけの素晴らしきイベントであった。 4月2日〜7日の「桃のプリンセス」には行けず。ああっ、「ツインテール」が欲しいぞ〜っ!(^^; そして、運命の日4月13日。晴天の下、静岡は駿府公園で行われた「撮遊会スプシャル」。このイベントが、私の運命を変えたのだ! 以下、続く!
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■私がひーちゃんを好きになったワケ(そのきゅう)97/04/23記 「私がひーちゃんファンになったのは、去年の撮遊会からです」 私にひーちゃんファン歴を聞いた人なら、例外なくその答えを得たはずだ。 確かに、ひーちゃんに惹かれたのは撮遊会からだ。しかし、実のところ、“ファン”になったのはもう少し後のことだったりする。 その証拠として、私は遊星王女の写真はあまり気合を入れて撮っていなかった(^^; いや、今となってはもちろん後悔しているんですけど(^^;; 後悔先に立たず、とはよく言ったもだ(^^; ちなみに、萠ちゃんも似たようなものだったのだが、結果としては、萠ちゃんの方がまともな写真は多かった。だって、遊星って、二人の視線が揃わないんだもん(^^;; しかし、私が「森谷密」という少女を初めて意識したのが、この撮遊会であることは間違いない。 なぜ、意識したか。 その答えは単純である。 ひーちゃんが一番近かったのだ。 人数が多かったので、3色のリボンで班分けしたのだが、私の所属した白組の先導役が遊星王女であった。しかも色分けの中でさらにAとBの2つに分かれており、白色B班の私の担当がひーちゃんであった(担当というか、整列する際にB班側にいる方が多かった)。 さらに、移動するときや整列するときに私は常に先頭の方におり、私は先頭のひーちゃんにべたべたとくっついて行動していたわけですが、いや〜、可愛いのなんのって(^^) 何気ない会話や何気ない行動が、私のツボにハマってしまったんですよね。多分に、あの能天気なまでの明るさが影響してますけど。 「白組、ここに集まってー!(^^)」 「はーい!(^^)」 って、いっつも目の前で手をあげてたな(^^;>私 と、まあ、このときはただ単に、「可愛いなあ」と思っていただけなんですよ。 このときは。 #なんか、うまくまとまらないなあ(^^; 以下、続く!
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■私がひーちゃんを好きになったワケ(そのじゅう)97/04/25記 4月13日の撮遊会でひーちゃんを意識して以来の最初のイベントは、5月15日、渋谷公園通り劇場で行われた「怪盗セイントテール声優コレクション」であった。 もちろん智ちゃん主体のイベントであったのだが、萠ちゃんと共に遊星王女もゲスト出演。萠ちゃんは智ちゃんとの短いトークだけだったが(何のために出てきたんだ?)、遊星王女はお得意のコントをぶちかましてくれた。 「学ラン刑事(デカ)」 「恋人たちの公園」 「学ラン刑事オヤジ編」 の3本だ(ったと思う)。 でも、このコントネタということは、“+1”の麗ちゃんもいたのだろうか? う〜む、全然覚えていない(^^;; 「恋人たちの公園」に智ちゃんも参加していたのは覚えているのだが。 #この3本のコントはどれもCFL'96と同じもの。よって、コント概略は「ひ密な耳コピコント台本」でお楽しみいただけます。 多分これが、初めて見た遊星王女の(1発ネタではない)まともなコントだったと思う。 そして、“遊星王女”にハマってしまったのだ。 だって、面白かったんだもん!(笑) 特に、初めて見た、ひーちゃんの学ラン姿。良かったなあ〜(^^) カッコ良かったなあ〜(^^) …! もしかしたら、ここでひーちゃんに転んだのかもしれない。>私 その真実は、6月8日、「心臓伝言〜ハートにメッセージ〜」特別版(^^)の飛び出した智ちゃんの新宿都庁イベント(東京都環境展ネイチャーコンサート)を経由した、19時。「密ちゃんの21歳は大人だから夜にパーティー」で明らかになる(かもしれない)。 以下、続く!
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■私がひーちゃんを好きになったワケ(そのじゅういち)97/05/09記 私がひーちゃんのスカート姿を見たことは、二度ある。 #見たことないお方。決してひーちゃんはスカートをはかないわけではないのですよ(笑) しかし、一度目の方はいつだったか覚えていない(^^; 見たのは確かなのだが、その頃は特にひーちゃんに興味があるわけではなかったからだろう。今ではひーちゃんのスカート姿など、狂喜乱舞モノなのだが(^^;; で、二度目のスカート姿は、6月8日、めでたく誕生日当日に行われた「密ちゃんの21歳は大人だから夜にパーティー」でお目にかかった。 #このパーティー名の由来は、ひーちゃん'sパーティーは19:00開始、22日の萠ちゃん'sパーティーは15:00開始から来ている。命名は遊ちゃんか、それとも社長か…。 第一印象。 に、似合わない…(^^;; いや、可愛いんですよ。「格好いい」という言葉が不似合いなくらいに、「可愛い」んですよ。ドレス風の衣装だったような気がしますが。 でも、やっぱりひーちゃんにはパンツルックがよく似合う。 ひーちゃんは「格好よく」あらねばならないのだ! #でも、やっぱりたまには見たいですねぇ(笑) さて、パーティーに参加した人数は40人くらいだったろーか。2回まわしとかではない。正真正銘、実質参加人数だ。お茶会などと比べて、非常に少なかった記憶がある。 場所は演劇団稽古場。まあ、この人数では適度な広さだ。 パーティーに参加していたスタッフは、もちろん主役のひーちゃん、相方遊ちゃん、後輩萠ちゃん、そして社長と先生といういつものメンバー。智ちゃんは仕事が入っていたそうですが、出発前に挨拶だけしてくれました。 タレント3人は、部屋の奥側に並べられた椅子に腰掛け、司会の社長と先生は適当な位置に立っている。 さて、撮遊会で「イベントでは前にいないと損だ」と理解した私は、このときもほとんど先頭となる入り口から入って左奥をゲット。立食でしたから、場所の移動は簡単(^^) これで、ひーちゃんのすぐ間近だ(^^) パーティーは朝倉先生の乾杯の音頭で始まります。みんな銘々にジュースを紙コップに注ぎ、乾杯の準備。 しかし、そこで私は気づきました。 ひーちゃんの持っているコップには何も入っていない!! 朝倉先生、遊ちゃんや萠ちゃんのコップには注いでいたのに、肝心のひーちゃんのコップには注がないんだもんな〜(^^; しかし、乾杯のコールはもう間近です。 私は慌てて手近の烏龍茶のペットボトルを手に取り(本当はお酒にしたかったんだけど、手近になかった(^^; )、ひーちゃんのコップに注ぎました。 「あ、ありがとうございます〜(^^)」 いえいえ、どういたしまして(^^) で、なんとか乾杯には間に合いました(^^) めでたし、めでたし。 後は歌やらゲームやら。 歌は、なんと私の目の前で歌ってくれました! …私がマイクの目の前にいただけですけどね(^^; それでも、はぁ〜、しゃ〜わせ〜(^^) 確か、各タレントが一曲ずつ歌ってくれたんだったと思う。遊ちゃんは智ちゃんの持ち歌から「フロイトのお髭」、萠ちゃんは中森明菜の曲、ひーちゃんは「純情愚連隊」だったと記憶しているが、何分1年も前のことなので間違っている可能性は極めて大。そのときは、笑って許して下さい(^^;; ゲームの方は、おもちゃのパットゲームのようなもの。スポンジのボールをホールの絵の描かれたシートの上に打ち込んで、その絵には点数ゾーンがあるんですが、3球打った合計点で競う。 で、これで高得点を取ればいいというものじゃない。最後にプレイする、ひーちゃんと同じ点数だと賞品が貰えるのだ。 で、そのひーちゃんの得点は…0点(^^; ちなみに、参加者内でも0点が一番多かった…(^^;; といった感じで、非常に楽しいパーティーでした。 これがひーちゃんにのめり込む一因となったのは間違いないでしょう。 というか、もうこの時点で、ひーちゃんファンになっていたと思います。 うん、きっとそうだ。 以下、続く!
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■私がひーちゃんを好きになったワケ(そのじゅうに)97/05/20記 「密ちゃんの21歳は大人だから夜にパーティー」から2週間後の6月22日、実際の誕生日からは1日後れで「萠ちゃんの18歳はまだまだ子供よバースディパーティー」が行われた。子供だけあって、15時からである(笑) 最初の予定では、ひーちゃんのときと同じく演劇団稽古場でパーティーを行うはずだったのだが、人数が多すぎて入れない(^^; ということで、急遽近場のスタジオでのイベントとなった。参加人数は100人程度。しかもボイスアニメージュ誌の取材まで来ていて、「これがひーちゃんと萠ちゃんの違いか…」と、愕然としてしまう(^^; 今回は特にゲームとかはなく、あいさつ兼のツーショットタイムと、トーク&質問タイム。そして、歌。 萠ちゃんは「純情愚連隊」と中森明菜の歌を歌ってくれたような気がするが、ひーちゃんは何を歌ったんだっけ?(^^; 遊星王女として「胸の中の小鳥」だったっけかなあ。 まあ、歌はそんな感じで(^^;、この日の目玉は、遊星&萠ちゃんと一緒に4人で写真を写して貰える、というものでした。まあ、ポラだったのがなんですが(^^;、ばっちり朝倉先生に写していただきました(^^) もちろん、お気に入りの1枚です(^^) で、プレゼントなんですが…。 そうそう、その前に、ひーちゃんの誕生日にあげたプレゼントは、ディズニーの「ドナルドグッズ何点かセット」でした。「猫・猿・バナナ」はみんなが狙ってくるだろうと思って(笑)、それ以外に好きなドナルドで攻めてみたわけです。バナナを持ってきた強者には驚かされましたけど(^^; で、プレゼントを渡すときに「明日、ドナルドダックの誕生日なんですよね(^^)」って話したら、「そうなんですよ!(^^)」と、妙に嬉しそうでした(^^) ――というようなことがあったんですが、実は萠ちゃんにはプレゼントを持ってきていない(^^; #やっぱり、この時にはすでにひーちゃんに転んでたな(^^;; で、「この気持ちをプレゼントします」なんてカッコつけてごまかしたわけなんですが(^^;;;; #でも、一応ウケてはいたみたいだったぞ(^^; というわけで、もちろん楽しいイベントだったのでした(^^) 以下、続く!
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■私がひーちゃんを好きになったワケ(そのじゅうさん)97/06/01記 さて、次なるエルスタッフ絡みのイベントは、6月30日、智ちゃんの専修大学学園祭です。 #このイベントについては触れたくないので省略。ひーちゃんが出たわけでもないですし。 それから一週間後の7月7日、七夕。新橋の徳間ホールにて、「OVAフェスタ」と称して、「桃のプリンセス」の上映会が行われました。 もっとも、とっくに「桃プリ」のビデオ/LDは発売されていたので、今さら見せられても…、という感じでしたが(^^;; しかも、途中までの上映でしたし(^^; さて、ここではゲストに遊星王女+1が来てくれました! +1ということは、もちろんコントで登場です。 ひーちゃんが学ラン姿で登場したので、「学ラン刑事」かなー、と期待していたのですが、残念ながら「学ラン刑事」はありませんでした。 コントネタは、「UFOキャッチャー」(私は未だこのネタをこの1回しか見たことがない)と、「恋人たちの公園」もやったんだっけかなあ。よく覚えていない(^^;; 続いて、智ちゃん&遊星のトーク。当然と言えば当然なのですが、コントに参加していたレイレイはトークには参加せず(^^; 途中、プレゼントコーナーがありまして、一緒に行っていたF氏がひーちゃん&智ちゃんのサイン入り「桃プリ」ポスターに当選。ああっ、羨ましい〜っっ! まあ、なぜかそのポスターは、今は私の手元にあるのですが(^^;; #ひーちゃんのサインはこれ1つしかない(^^;; で、トークも終わり、遊星は舞台から降りて控え室に戻ろうとしたのですが、舞台脇にある控え室に戻る通路へのドアが閉められていて開かない(^^; 二人してドアをドンドンドン、「開けてーっ!」と慌てた様は、見てて面白かったです(失敬(^^; )。ほとんどの人は、舞台の智ちゃんのトークの方に気がいってて気づいていなかったようですが、それを発見するあたりが私ですな(^^;; #ちなみに、すぐに通路側の方から鍵を開けてくれて、遊星は無事に消えていきました。 とまあ、そんなこんななイベントでした。 で、余談ですが、七夕だということで、短冊に願い事を書いて、それを抽選で智ちゃんが読んでくれるというコーナーがあったんですが、何の因果かなんと私のが最初に読まれてしまったのです(^^; 「少年キャプテンが面白くなりますよーに」 読んで固まる智ちゃん(^^; 隣には、キャプテンの編集長が…(^^;; 「こ、これは、今よりもっと面白くなってほしいってことですよ(^^;;」 智ちゃん、声が震えていたなあ(^^;; 悪人(^^;>私 #そして、今キャプテンはない(^^; 以下、続く!
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■私がひーちゃんを好きになったワケ(そのじゅうよん)97/06/03記 「OVAフェスタ」から約3週間後の7月26日。品川きゅりあんで「ミュージカル 怪盗セイント・テール」が封切られた。 さて、その初日に私は行ったわけだが、その日は金曜日――つまり、平日。私は初めて、「私用のため」に有給休暇を使った。 しかし、にも関わらず、席はさほど良くない(泣)。あまりにも舞台の左すぎて全体を見渡せる位置ではなかったので、多少後ろとはなるが中央辺りが空いていたので(初日だというのに(^^; )、そちらに移動。そこで見ることとする。 で、ミュージカルが始まる。初っ端から、セイント・テールとアスカJrのおっかけっこだ。客席にまで飛び出して走り回る始末(この辺が朝倉演出?)。 そのとききづいたこと。 いち。智ちゃんの頭がでっかい。これは、羽丘芽美ちゃんからセイント・テールへの早変わりのためだそう。 に。智ちゃんの化粧が濃い。これもまあ、ミュージカルだったらあんなもんなんでしょうか(初めて見たもので)。 で、目当てのひーちゃんはというと…。これがまた、客席まで結構遠いんですよねー(^^; しかし、男子学生役ですぐに発見。 ちなみに、どれくらい遠かったかっていうと、萠ちゃんが発見できなかったくらい(^^;; それでもひーちゃんを発見する辺りが私ですね(笑) 少しだけ、ミュージカルの感想でも。 「面白い」という人ももちろんいましたが、率直な感想、私は「面白くなかった」。もっとも、この辺は、私がセイント・テール自体をあまり好きではないことが多分に起因していると思いますが(智ちゃんが出ていなかったら、見てなかったぞ(^^;>アニメのしっぽ)。 あまりにも、アニメ(見たことないけどコミックも?)と同じなんですよ。朝倉先生の演出という感じがしなかったです(とか言いつつ、この時点で私が知っている朝倉演出とは…(^^; )。 そんなわけで、あまり楽しくはありませんでした。 以下、続く!
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■私がひーちゃんを好きになったワケ(そのじゅうご)97/06/04記 このページ、もはやタイトルが用を果たしていないので(^^;、次回の「TOMO夏'96」か、その次あたりで最後にしたいと思います。それ以降のイベントは、イベントレポートがありますし。 「VOiCE ANIMAGE Vol.9」の表紙を萠ちゃんが飾った。 といっても、萠ちゃん単独ではなく、「ガルフォース」で一緒に出演している、桜井智ちゃん、横山智佐さん、草地章江さんとの4人での表紙だったのだが。 しかし、そんな表紙ながらも、萠ちゃんのサイン会が神田の書泉ブックマートにて開かれた。 人数は結構来ていたような気がする。「こんなに来るか〜?」と思った覚えがありますから(^^; さて、本の表紙にサインを貰い、握手を交わして、プレゼントを渡す。いやあ、さすがに誕生日に何も渡さなかったのはマズいかなーと思いまして(^^; そういえば、萠ちゃんのお供には、社長と朝倉先生が来ていました。過保護ー(笑) 以下、続く!
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■私がひーちゃんを好きになったワケ(そのじゅうろく)97/06/17記 1996年8月18日。TOMO夏'96 in 赤坂BLITZ。 はっきり言って、細かいことなんて覚えてません(^^; 感動したのは覚えているんですが…。 で、古いメールを漁っていたら、感想が出てきました(笑) とりあえず、当時の感動を表現するにはベストの素材だと思いますので、多少編集した上で、それを本記事に代えさせていだきます。
ああっ、何か当時から結構すごい奴だったんですね(^^;>自分 次回、さいしゅーかいに続く!
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■私がひーちゃんを好きになったワケ(さいしゅーかい)97/06/18記 というわけで、いよいよ最終回である。 もうタイトルも意味がないし。暇だったら別のテーマでコラムでも立ち上げよう。 最後は、残るイベントをザザーッといきましょう。 さて、次なるイベントは、9月8日の「桜井智バースディパーティー 25ans」だ。詳しくはイベントレポートを参照のこと。この時点では、もう「森谷密ちゃんのファンです」と臆面もなく断言しているな(笑) まあ、このイベントでの私の行動を見て、私が智ちゃんファンだと思う者はいまい(^^;; 10月6日、「橋本遊がバースディだそうだぞパーティー」。多分、命名はゆーちゃんでしょう。これもレポート参照。このときはやっぱり、朝倉先生と一緒にローソクに火をつけたのと、ゆーちゃんと乾杯できたのが大収穫でした。ひーちゃんの私服もカッコよかったですし(^^) 10月26日、一ツ橋ホールにてOVA「ガルフォース THE REVOLUTION」イベント。 萠ちゃん目当てで行ったんですけど、残念ながらソロでの歌はなく、「素顔のスパイたち」のみ。 しかし、その「素顔のスパイたち」に、参加予定のなかった智ちゃんが飛び込み参加! …あ、過去のメールがあった。そっちに譲ろう。
#やっぱり聞きどころは「天使のブラ」かな?(笑) 翌10月27日、後援会のお茶会。場所は、もう馴染みの店となってしまったきらいのある(笑)、事務所のそばのカレー屋さん。 これも過去のメールから。
12月24日、「CFL'96」。こっちはレポート参照。個人的な事情で一度しか行けなかったのが今でも悔やまれる。 やっぱり、この頃はまだ「海バス」の振り付けはやってないですね(^^;>自分 最後の「憧れに向かって」が、盛り上がって、好きでした(^^) 正月の後援会員5000人突破イベントには行けず。 翌年1997年2月11日、「バレンタインエイド'97」東京。 と、遠いっ!(場所が) う、薄いっ!(内容が) これははずれのイベントだなあ(^^;;(少なくとも東京は) 2月23日、「月光の不安」。レポート参照。 ひーちゃんを見ずに誰を見るッ! #萠ちゃんファンに刺されるかも(^^; 3月11日〜13日、「スキー合宿」。レポート参照。 もう何も言い残したことはありませんっ! 溶けましたっ!!(笑) 4月3日、「春満開ライヴ」。レポート参照。 ここで「海バス」の振り付けを覚える(笑) しかし、何といっても、あのトラブルは忘れられない(笑) 5月10日、「長崎萠 サイン&握手会」。レポート参照。 実は「夢見るシャンソン人形」の方が好きだったりして(^^;; 5月11日、「桜井智後援会 関東エリア ファンの集い」。要は「お茶会」。レポート参照。 カレー屋リターンズ! である(笑) 6月8日、「森谷密 バースディパーティ」。レポート参照。 人数が増えたのは残念である。まあ、仕方がないのだが。 そして、明々後日、6月21日。遊星王女が問題作(!?)「カビ(仮)」を引っ下げて、遂にCDデビュー! 6月21日、「遊星王女ライブ in 渋谷公園通り劇場」。 6月29日、大阪と京都にて「カビ(仮)」のイベント。 まだまだ遊星王女は――そして、ひーちゃんは、止まらない。 おしまい
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