お知らせ 
  ソフト部の先輩が長野日報に出ましたよ。ー 2005.10.9付け −

 私たちが入った年に出て行ったのでちょうど3年先輩です。清酒「真澄」の研究室でおいしい酒造りをしています。
 私との接点は諏訪市のママさんソフトボール『若葉リーグ』に所属していた「なかよしクラブ」でキャッチャーを
していて、さんざん戦った人です。そのチームは4年先輩のとよこさんが二葉のOBを集めて作ったチームで強
かったのよ。悔しくて必死で向かっていったんだけど3割(?)くらいしか勝てなかった。いちど混声チームでバッ
テリーを組んだことがあって私の投げた球が先輩の指に食い込んで裂けちゃって血が出たこともありましたっけ
。リーグが無くなったので今はソフトでお会いすることもありません。たまに町なかでばったり会うことがあります
けど。
 先輩はこれまでの生涯、化粧とパーマの経験が無い人です。黒い顔してニッと笑うかワアッハッハッ・・と豪快に
笑う人です。が、十二指腸炎なども経験されてそれとも戦っていて酒造りの大変さを思わせました。 岸洋子の
大ファンで意外と歌もうまいんですよー。(自称他称)

写真説明 
        左上 先輩から連綿と受け継いできた品質を確実に伝承するため、裏方で醸造を支えたい  
        右側 近年は「自分へのご褒美」と称して旅に出るという小林直江さん。趣味は油絵やソフトボール
         

ウーマンズeye  私の道 
                  それぞれの人生
   
 小林直江さん 富士見町富里 59歳 宮坂醸造

〔記事全文〕
 清酒「真澄」などの日本酒を造っている宮坂醸造株式会社(諏訪市元町)に73年に入社し、10年間は事務職
を経験しました。83年に研究室に異動してからは、研究室が私の職場です。来年の1月に定年を迎えますが、
長く働くことができたのは、「酒造り」という奥の深い仕事に、心底魅せられたからに他なりません。
             ◇
 研究室の主な仕事は酒造全般の仕事と品質管理です。品質管理を徹底するための成分分析(アルコール
度数、糖、アミノ酸など)は、1年を通して段階的に行っています。
 酒造りの期間中(10月−4月)は、醸造用水、玄米・精米の分析に加え、酵母の培養や酒母・醪(もろみ)
・麹(こうじ)の分析、品質管理などもプラスされ、目の回るような忙しさです。
 研究室に移ってまず感じたのは「こんなに面白い仕事があったのか」ということでした。すべてが新鮮で興味
深く、職場に来るのが張り合いでした。酒は生き物ですから、様々に変化します。嗅覚や味覚、四角など五感を
総動員する気の抜けない毎日ですが、醸造の世界に関わり、充実した毎日が送れることを、大変幸せに思って
います。
             ◇
 研究室での仕事を楽しみながら出来たのは、心から尊敬できる二人の杜氏との邂逅があったからです。
酒造りをイロハから教えてくれた故久保田良治杜氏は、父親を亡くしたばかりの私にとって、父のような存在
でした。知りたいことや覚えたいことがいっぱいある私に、醸造の仕事を丁寧に教えてくれました。
 雨宮正徳杜氏も仕事熱心な人格者でした。高い目標を掲げ、妥協を許さない一途さがありました。「共に
おいしいお酒を造りたい」「杜氏に恥をかかせない仕事がしたい」という気持ちが、仕事に取り組む原点に
なった気がします。
             ◇
 1級酒造技能士の国家試験は、久保田杜氏の勧めで86年に受験しました。筆記と実技(精米や麹、容器
の検定、利き酒など)の高度な内容でしたが、1回でパス。女性では県下初だったため注目もされましたが、
「この仕事にまい進しよう」と決意するきっかけになりました。
             ◇
 大吟醸の仕込みの時期は蔵に行き、蔵人(くらびと)と一緒に醸造の仕事にも携わります。活気のある蔵の
中で、芳(かぐわ)しい香りに包まれる時、この仕事を選んだ喜びを実感します。
 1年を通して朝6時半に家を出るのが日課です。冬場は特に、頭の中が100%仕事のことばかり。でも、
定年後は、全力疾走していた日常をジョギングに切り替え、晴耕雨読の日々を送りたいと思っています。
そして、「この人となら、蓄積してきたものを活かして見たい」と思える杜氏に巡り会えたら、再び酵母と対話
をしてみたい気もしています。