佐渡おけさ物語
おけぃさーん





佐渡おけさって何んで
言うようになったのでしょうか?

5年の物産展への参加で
お客様に「おけさって何?」と聞かれたのが
このお菓子をつくるきっかけになりました。


佐渡おけの話


むかし、むか〜し佐渡の南にある小木(おぎ)という
ところに、それはそれは仲のよいおじいさんとおばあさんと
「おあさ」という名前のメスの三毛猫が、住んでおったそうな

ある日、おばあさんが三毛猫の事を心配しながら
亡くなってしもうた

おじいさんは、たいそう悲しみ、金貸しから1両5分の
金を借りて、りっぱな葬式をしたそうな

ところが、ある日、金貸しが借金の取り立てにきて、
返す当ての無いおじいさんから住んでいる家を
取ろうとしたそうな

その晩「おあさ」の姿はどこにも見えなくなった・・・

翌日、また借金取りが来た時、おじいさんは家をあけ
わたして、旅に出ようとすると一人の若い娘が
あらわれて「私が1両5分を払います、おじいさんは
家を出ないで」と、言いました

ところが欲の深い金貸しは利子の1両も払えと
ぬかしおった

若い娘は「お金は1両5分しかありません、
利子の1両は私が一生懸命に働きますから
どうか、おじいさんの家を取らないでください」と、
頭をさげて言いました。

金貸しは若い娘を小木「おぎ」の人買いに売りつけ、
人買いは船にのせ越後の出雲崎のそば屋で「おけい」
という名前で働かせたそうな

きりょうよしの「おけい」のためそば屋は
たいそう繁盛したそうな
ところが「おけい」はいつも海の向こうの佐渡が島を
ながめながら歌をうたったそうな

その「おけい」の歌は皆の郷愁をさそい
「おけい節」という名で有名になった
その歌に聞きほれた大商人が
「おけい」を北海道に連れていくことになった、
すると「おけい」は

〜来いというたとて ゆかりょか佐渡へ
佐渡は四十九里 波の上〜

と歌い終わるとバッタリ倒れて、
「おけい」は三毛猫の姿となって死んでしまったそうな・・・

ちょうどそのころ佐渡の小木(おぎ)では、
おじいさんが三毛猫の「おあさ」を懐かしんで
歌う「おあさ節」が評判になっておった

佐渡と越後で評判だった二つのうた「おけい節」
と「おあさ節」はいつのまにか一つになって
今の「佐渡おけさ」の元になったそうじゃ

〜佐渡へ佐渡へと 草木もなびく
佐渡はいよいか 住みよいか〜


佐渡おけさ物語 おけぃさーんは
さどっ粉・佐渡バター・地鶏たまごを使ってマドレーヌを作りました。

フランスCADCT洋菓子店のマドレーヌの配合で
佐渡の食材 さどっ粉 地鶏ひげの卵と
佐渡バターを使用したマドレーヌです。

店主が修行した東京カドは、
オーナーの高田壮一郎さんは今は
普通ですがフランスに洋菓子の修行にいかれた方です。
高田壮一郎氏の父上は高田力蔵氏で
画家です。よくフランスにいかれた人だそうです。
その関係で壮一郎氏は渡仏されたのだと思います。
一定の修行が作るとCADOTをのれん分けしていただき
東京カドをして駒形に開店しました。

また、高田力蔵氏は人脈が広く
作家の川端康成氏やシャンソン歌手の
石井よしこ氏も大のお友達です。
そのため川端氏が開店の際に
高田壮一郎氏へのコメントが
店内の額縁に入って飾られています。

こうしてフランスのルイ15世の妃、マリー・レクチンスキの
おきにいりのお菓子マドレーニは、佐渡の地元の食材で
品質改良した佐渡の観光お菓子大使として
一役担ってくれたなら佐渡が日本及び世界にも
アピールできたらいいなという思いでつくりました。


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