おふくろの味はなぜ恋しいか


 子供にとって、おふくろという存在はなつかしいものであり、恋しいのが普通で、いなくなったあとはなおさらその良さがわかるものらしいが、おふくろの味という場合は母親の愛情を懐かしむよすがとして、作ってくれた手料理に対する郷愁、そしてそれにつながる郷土料理への愛着を意味する。
 だから時には、母のない子がいても、ご当人はおふくろの味といえるものをちゃんと持ち合わせていることに変わりはない。
 子供のころに食べなれていたものは、少なくとも今たべているものにくらべて前時代的であったろうし、後進国的なにおいの強い、第一次産品的な原材料まる見えのものがおおかったはずだ。ヒトハタあげそこなって、今がドン底生活の人がむかしの豊かなときを懐かしむのとはまったくちがった要素がそこになければならない。
 どんなに高度の食生活をしている人でも、おふくろの味を現在のなかで再現したがるものであり、もしかりにそれを毎日食べさせられることになっても、あまり悲しいとは思わずにすんなりと受け入れてしまえる。
 本来、人間は生活レベルを下げることに対して非常な苦情を感じるもので、たとえばいちどプロバンガスを知ったあとは、その前には平気でやっていたにもかかわらず、カマドで火を燃すのがつらいと思うようなことになるのだが、おふくろの味に後もどりすることには抵抗がまるで起こらない。むしろ他国での放浪から故郷へ無事に帰り着いたような安心感さえ覚える。  これは何故だろうか。
 まず風変わりなネコについて観察をしてみる。
 このネコ、彼女は戦後まもなく生まれたので、親もとからよそへもらわれたときから、ネコの一般的好物を知らずに育てられた。その当時は人間だってもともな食物がなかったくらいなので彼女はメリケン粉を水で練っただけのものをあてがわれたのだ。そしてともかくもスクスクと育ち、数か月後に縁あって私の家に住むことになった。幸いなことに、私の家には彼女の今までの食物よりは少しマシなものであったため、魚のガラや配給米のおすそ分けを食べて暮らし、時にはネズミなども補給してしあわせに人間との共同生活を楽しんでいたように思える。
 ところが彼女は、台所でメリケン粉をこねはじめるとすぐにこれに気がつき、そのとき、たとえ大好物のアジを食べている真最中であっても、すっ飛んできて人間にまつわりつき、ニャーニャーとなだるのだ。そのころはまだ彼女が以前にメリケン粉で育ったことを人間側は知らなかったから、いったい何が欲しいのか理解できず、おまえはアジを食べていればいいんだとジャケンに突き放す。
 ところが彼女は人間のスキを見てメリケン粉のボールに手を突っ込んで、ベタベタした手を嬉しそうにペロペロなめる。
 変なものが好きなネコだなあ、おまえはネコじゃないのとちがうか、なんて冷やかされながらも、彼女は大満足、もっとよこせといって彼女の嗜好に気づいた人間からたんまりごちそうになる。メリケン粉は粉のままでもだめだし、パンやスイトンになってもだめで、人間が、こっちのほうがうまいぞといって食べさせようとしたって、見向きもしない。
 彼女のこの習慣は、その後どんな好物を知ったあとでもついに、一生を通じて、変わることがなかった。
 このような事例から、ネコの嗜好決定時期は生後二週間から二、三か月の間あたりに存在するらしいことがわかる。
 すこし話題をそらすが、ネコの公約数的好物は魚であり、魚のなかでもアジがいちばん好きだ。魚を食べたことのないネコ、これは外国あたりにはかなり多いことだろう。たとえば食べなれていなくても、まずネコの大半はアジに対しては嗜好を定着させるとみてよさそうに思う。ここで問題なのは、ネコとアジとの自然界での関係である。ネコは水泳が好きではないから、海を泳いでアジにでっくわす機会というものは絶対になかったはずだ。ネコが人間社会にノコノコ入りこんで同居するようになってからに違いないとすれば、たかだか過去数千年以内のできごとということになる。
 だからそれ以前のすべてのネコは、自分の最大の好物に行きあたらなかったわけだ。
 これと同じ考えをすれば、われわれ人類もこれこそ生きていてしあわせだと感激するような食物に、まだ出会っていないのかもしれないという可能性がないとはいえない。その食物が地球上にあるか、宇宙の果てにあるか、もしかしたらすぐ手近かにあって気がつかないのかもしれないし、もうとっくに食べていてそれ以上のものがこの世には絶対存在しないのかもしれない。
 また話がずれるが、ネコは水泳ぎらいだけれども、子供のうちから体験させておけば、あらゆる動物のなかで一番の風呂好きな性質を持っているらしい。ネコ用の適度の深さの浴槽をあてがうと、ふちに手をかけてジッと浸って眼を細める。もう少し進化したら手ぬぐいを頭に乗せてナニワ節でもうなるのではないかと思うくらいだ。
 さてと、だいぶケモノ道に入りこんで道草をくってしまったから、分岐点までもどることとする。
 かつてインドに居住している日本人約千人を対象として嗜好の変移についての調査をしたことがある。大人たちはインドの食物に対してなかなかなじんでゆけず、日本で食べていた日本的な食品に異常なまでのあこがれを抱くようになっていたが、その子供たちはすぐに現地の食物になれて、平気でインド型日本人となってしまっていた。そしてもっとタフな子供は、親たちが日本の食品ばかり持ち望む姿に腹を立て、日本から食物なんか送ってよこすなと叫んだ。
 “子供のうちに連食したものには嗜好は単純に定着する”
 “子供のうちに環境が変化するときは、順応が簡単に成立する”
 ところで、何歳までだったら人間はこの条件に適合するだろうか。
 地方の中学を卒業して都会へはるばる就職に出るケースはかなり多いものだが、こういう子供たちは都市生活によくなじみ、食生活もすぐに都会化して、環境の変化を苦痛と感じることはほとんどない。おまけに地方なまりや方言もまもなく消え去る。
 だが高校を卒業してから郷里を離れる場合には、もはや前のケースと同じことがいえなくなる。いくら周囲から笑われても言葉のなまりは消すことができず、その土地を知っている人が聞けば、どこからでてきた人間かすぐにわかってしまう。と同時に、都会の食物を口にはするが、もう郷土の食事が固定的に身についてしまっていて、ことごとにいなかの食物に郷愁をかりたてる。
 十八歳という年齢は、生理的には完全な成人となったといえるから、法律家は少年法の適用の外に十八歳を置くように法律の改正をしなければならない。
 多くの子弟はこの十八歳までを親の許で生活すると考えてよかろう。親というかわりに親の年代の親の代行者としても同じことで、かれらは生まれ故郷で主としてそこで生産される食物を食べて成人になるのだ。
 母親は自分の嫌いなものを決して好んで食べようとしないから、子供に自分の好みの食生活パターンを強制する形式をとる。調理の絶対的な主導権は主婦が掌握しているものであり、食品目の選択も味付けもすべて自分の思いのままで、それをあてがわれ飼いならされた子供が母親と同じ嗜好の持ち主にされてしまうこととあいなり申す。
 その母親もかつて彼女の母親に飼いならされたわけだから、この母系の嗜好型は遠い先祖にまで連綿とつながっている。おふくろの味はそのまま先祖の味であり、むかしほど食品の流通は局地的であったから、おらがふるさとの味もまったくおふくろの味と同一ということになる。
 虫を主食とする小鳥を飼うには、いちいち虫なんか採ってやっていたら大変なことだから、生まれたときからスリ餌をあてがって、これに嗜好を移すのがきまりになっている。野山で成鳥を捕えても、嗜好が虫に固定してしまったあとなので、まず絶対にスリ餌を食べてはくれない。
 小鳥でもネコでもこの期間の生理事情はみんな人間の場合と変わりないことがわかる。
 働きざかりには、故郷を遠く離れて異郷で生活する人は多いが、だんだん老人化して還暦ごろになると、成人になってから身についたものが少しずつはがれていって、ついには幼少年時代の嗜好がむき出しで表面に出てくるようになり、いったん消えたお国なまりも再び顔を出す。身についたものの消えかたは、初潮が平均より遅い人の閉経は平均よりも早くなるのと同じで、
 “あとからついたものは先に消える”
 という法則が嗜好にも成立するのだ。
 夫婦が共に老人になるころには、亭主は女房の味に飼いならされ、女房は亭主の好みを少しずつ覚えていって無意識であっても夫の好みに近づけようとするから、双方の嗜好には歩み寄りが生じて、名実ともに似たもの夫婦ができあがる。故郷が同じ夫婦ならばこれはもう完璧な状態であって、他人の割り込むスキなどありようもない。
 生まれと育ちがちがう男女が夫婦になるとき、結婚は当然文明国ならばお互いに成人になってからあとのことになるので、嗜好には多かれ少なかれズレがないはずがない。その家の子供たちは母親に飼いならされる立場で、これは母親と同じ嗜好だ。そこで亭主は、わが家でたったひとりの異国人のかなしい思いをさせられる。男親はあくせく稼いでくるばかりで、子供はすべての面で母親の側に立つ。父親とは何と割りのわるい生き物だろう。
 そこで世の父親たちは、憩いの場を外に求めるようになる。これがこの需要に応じた郷土料理屋の軒なみ繁盛ということにつながってくる。
 ガード下の球磨酎屋で、あるいは友とカラ元気を張り上げ合い、あるいは片すみでひっそりと水さしみたいな徳利を傾けているのは、まず九州男児のなれの果てと見てよかろう。 長野県人は信州酒蔵などで蜂の子なんかをついばんで、リンゴや梨の花がいっせいに咲き競う山国の春を回想するのだ。
 ここで私は郷土料理屋およびそういう店をこれから出そうという意志のある人たちに忠告を与えておきたい。
 郷土料理ブームは今がピークであって、これから先は決して永い春が続くものだと思ってはいけない。
 どんな山間僻地にもテレビのアンテナが立ち、都会と同じ食品原材料がよろず屋の軒先きに並ぶ時代になって、今や日本全士がすさまじい速さで広域流通社会化している。
 今の子供たちが大人になるころ、かれらの味覚・嗜好は北も南もすべて平均化されてしまい、せまい地域社会の個性的な遺産を身につけることなく、同一規格の嗜好を持つ日本人が充満するようになるはずだ。
 その人たちは母親の味や郷土の味を決して濃厚に身につけずに大人になるにちがいない。
 ここではじめてほんとうの断絶が出現するわけだ。かれらはおそらく親がしたようには郷土料理屋に未練をつなぐことはあるまい。
 数十年後のその店には、紙クズのようにヨレヨレになった年寄りたちが、生き残りの友達と、あるいは友もすべていなくなってポッツリひとり、まだ住みにくいこの世にしがみついていなければならないのを歎いている姿が見られるだろう。まるで腐った椿のはなのように。
 かれらが食べているっもの、それはもはやかれらのふるさとでできた材料ではなく、世界的規模にまで拡大された流通機構のなかのどこかで生産された、とんだまがい物の郷土料理であるに相違ない。
 かたわらのテレビが、月の表面に長柄のヒシャクで石油をまきちらし、食用バクテリアを栽培している光景を映し出しているのを、その老人たちはうつろな眼でながめるのだ。
 「そうだ、アポロ十三号なんてのがあったっけなあ。エーこちらヒューストン、すべて順調。テヤンデエ。 
 おいオヤジ! お茶漬けにする。ナニ? フロリダ産の特選米だと? ニャロメ」



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