洋子さんのドイツデジカメレポート


撮影者 石原洋子 (ドイツ・ニュルンベルク在住)

 

 

 

2001年8/27up













2001年8/8up





バンベルクの子供   撮影者 石原 洋子

ニュルンベルクの北、古都バンベルクは、美しい中世の佇まいと歴史を感じる街でした。とうとう飲みきることができなかった、あの名物スモーク黒ビールが忘れられないです。
あぁ、全体のこの色合いは、なつかしいです。また行きたくなっちゃいました。
ホントに、天使のようにかわいいこどもですねぇ。





バッタ   撮影者  石原 美矢

バッタは、みやちゃんの部屋かな?やっぱりドイツ語で鳴くのかなぁ(笑)






2001年7/29up








ドイツの石原さんのデジカメレポート第4弾!ステキな庭のバラとりす。そして、はりねずみ君。
はりねずみは、夜行性なので、めったにお目にかかれません。石原さんちの駐車場でご主人が発見!壁と雨水の配水管の会うだに入り込んで固まってしまって、でてきてくれなかったとか・・・・おしりだけとられてしまった!やっぱりどことなくドイツの動物たち!?








6/19旅行から帰るとミュンヘン補習校のクラス委員だったYさんよりFAXが届いていた。突然の訃報にどうしてよいかわからない。二日前のこと。乳癌。21日葬儀。
今年の1月に石原さんからメールが来ていた。足の神経痛であまり歩けないと。そんな病と闘っていたなんて、まったく知らなかった。筆不精の私は、返事を出してない。悔やまれる・・・あぁなんてことを・・・悔やんでも悔やみきれない・・・・ドイツに電話したけれど、話中だった。なんと言っていいかわからない・・・
今日発てば、葬儀には間に合う。夫が勧めてくれるし、ドイツに行こうかとも思ったが・・・あまりに急なことで何をどうしてよいかさえもわからない。
今は、ただただ冥福を祈るのみ。2004/06/20






石原さんが逝ってしまって、もうすぐ5年が経つ。今日石原さんが送ってくれた写真を再びアップした。
1998年アウグスブルクで約1年間生活した時、次男の通ったミュンヘン日本語補習校で石原さん親子と知り合った。慣れない海外生活とカルチャーショックで不安だらけの私たちに大変親切にお世話をしてくださった。彼女あってこそ生き抜いたドイツ生活と言ってもいい。それなのに、帰国してからの私は、どんどん日本の生活に埋没し、義父母の看病に追われ、いつしかドイツへの返信も怠ってしまっていた・・・彼女からの最後のメールに返事を出さないままだった。突然の訃報に悔いても悔いても悔い足りない。闘病生活を隠しての最後のメールを読む度に・・・私は自分が情けなく、その情けない自分に耐えられなくて、逃げてしまった。
こんな私を許してくれますか・・・・
ただただ彼女のことをいつまでも忘れないために・・・・2009/03/28






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