【幻の東葛市】
 今から半世紀前の1954年、たった2カ月間だけ存在した幻の東葛市の話です。聞き伝えですが、あの最大手ドラッグストアの創業者も登場する、とても面白い話です。自転車の話題とは直接関係がありませんが、東葛地域の歴史上のトピックですので記しておきます。

 平成の大合併というのがあって、全国で市町村合併が進みました。東葛地域でも野田市と関宿町、柏市と沼南町がしました。実は過去にも大合併がありました。東葛市はまさに、その「昭和の大合併」で誕生した市で、現在の柏市と、今は松戸市の一部になっている小金町が合併してできました。しかし、東葛市は一瞬にして崩壊します。

 なぜ、そんなことになったのか。実はそこには、柏と松戸との間で小金を巡る壮絶な争奪戦があったのです。松戸は古くからの宿場町。柏は新興の町だったので、松戸に対する対抗心が強かったようです。ですから、昭和の大合併の時も、相手より大きな市を作ろうとした。そこで両者とも目を付けたのが間に挟まれた小金です。小金は柏や松戸ほど大きくはないために、自身が合併を仕掛けることはできません。選択肢は柏につくか、松戸につくかのどちらかだったのです。

 当時、小金では町民が柏派と松戸派に二分されました。有力政治家や行政の上層部が柏派、民衆レベルでは松戸派が多数を占めていたようです。小金の柏派は合併を強行しようとしますが、松戸派は大反対運動を展開、両派の争いは小競り合いや相互監視など、抜き差しならない状態になったそうです。

 結局、小金の町議会で多数を占める柏派が柏との合併を決議しますが、松戸派は猛反発。千葉県が調停に乗り出し、小金は柏と暫定的に合併した後に、改めて柏に残るか、松戸に移るかを住民の意思で決めるという、不思議な妥協案が成立したそうです。

 そして1954年9月に柏と小金が合併し、東葛市が誕生しました。さて、本来なら住民投票で小金の帰趨を最終的に決めることになっていましたが、住民の大半が松戸派。住民投票にかけることもないほどだったのです、あっさり小金は東葛市から離脱し、松戸に編入されます。その際、小金の一部地域は“手切れ金”として東葛市に残したそうです。

 実は、柏派の中心人物が、なんとドラッグストア最大手の『マツモトキヨシ』の創業者で、後に松戸市長になる松本清氏なのです。当時、有力県会議員だったそうで、小金町議会にも強い影響力を持っていました。自らの選挙区との関係で柏との合併を強く主張したそうです。激怒した松戸派の人々に小金にある店(当然、薬屋です)を襲撃されそうになるなど、すごい話もあったとのこと。

 さて小金に離脱された東葛市は、“東葛市”としての展望を失います。歴史ある小金に配慮して東葛を名乗ったのですから、小金なき後は東葛の名にこだわる必要もありません。翌11月、東葛市は別の村の一部を編入し、名前も元の柏に戻します。これが現在の柏市です。

 柏市は今回の平成の大合併でも、沼南町のほか流山市と我孫子市に合併を持ち掛けたそうです。しかし結局、流山市と我孫子市には袖にされ、沼南町とだけ合併することになりました。どうやら柏の交渉下手は、今も昔も変わらないようです。そいうわけで幻の東葛市が復活することは、当分なさそうです。


【お詫びと訂正について】
当初、このコンテンツは伝聞、かつ不確な記憶によって記述したため、松本清氏を松戸派と記載するなど誤りだらけでした。これを読んだ方からご指摘をいただき、全面的に書き直しました。なお詳しくは『大倉邦夫自伝 希望に向かいて』という書物をお読みください。一般の書店では扱っていないようですが、松戸市立図書館、およびその分館で読めます。


【JR常磐線北小金駅付近】
現在の松戸市小金地区の中心街です。私は以前、この辺りの住所でいうと「きよしヶ丘」に住んでいました。住所の由来は・・・結局、聞きませんでした(笑)。



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