好き好きヤマハXTZ660テネレの部屋 | |||
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〜目次〜 |
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1998年7月購入 |
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元々私がバイクに乗ろうと思ったきっかけは、私が高校生の頃カップヌードルのテレビCMでパリダカをモチーフにしたやつを見たことです。ハウンドドックのフォルティッシモがBGMでライダーがコンロでお湯を沸かしてカップヌードルを食べているCMでした。「負けるものか負けるものか」のナレーションが最高でした。 |
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しかもビックタンク付き!」と声をかけてきました。 |
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その後ひょんな事で限定解除。 |
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これはもう最高なバイクでした。 |
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私の心のバイクです。ちなみにテネレのネーミングはサハラ砂漠の一部にあるテネレ砂漠からきており、初期パリダカの常連コースになっていました。パリダカ主催のTSO創始者・故テリーサビーヌの墓がある場所でもあります。 |
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ヤマハXTZ660テネレ |
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2001年4月29日(日) 曇りのち雨 | |||
《オーナーを探せ》 |
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ヤマハXTZ660テネレは日本ではとてもマイナーなバイクである。 |
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《春の珍事》 |
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4月29日AM9時に集合場所である中央高速談合坂SAに行くと、いるいる(笑)テネレが。 |
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《オーナーズ・ハイ》 |
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ガストで昼食がてらテネレ談義に花が咲いた。これだけテネレオーナーが一堂に介するなんて、みんな初めてなので話が熱くなる(笑)。 |
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まずラリーレーサーとしてのテネレを語るにおいて最初に語るべきは、「ジャン・クロード・オリビエ」という人物についてでしょう。 オリビエはフランスにおけるヤマハインポーターであるソノート社のヤマハ部門(現ヤマハモーターフランス)の最高責任者(社長)である、昔V−MAXの試乗発表会でスーツ姿のままノーヘルでウイリーかましていた楽しい人です。 エグゼクティブであるにも関らず彼はライダーとしてソノートの重役時代から進んでモータースポーツに参加していました。その代表がパリ‐ダカールラリーでしょう。 彼は第1回のパリダカ(オアシスラリー)から参戦し、その経験を直接マシン造りにフィードバックさせ、ヤマハワークスラリーマシンの開発に貢献したのである、その行程の中では、様々な試行錯誤が繰り返され、かなり奇抜なマシンも存在しました。 単気筒のレーシングテネレはまさしくその試行錯誤のど真ん中でラリーを走り続けたマシンなわけです。 |
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第1回パリダカ(1979)から数年の間ベースとなったマシンはXT/TT500でした。前後のサスを強化して35Lビックタンクを付けただけというとてもシンプルな改造をほどこしたXT500は前期パリダカの王者シリル・ヌブーのライディングで記念すべき第1回大会において見事優勝しました。 |
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その後ヤマハはパリダカをイメージしたバイクとしてXT600Z・TENREを発売します。1985年にテネレベースのワークスマシンを走らせJCオリビエ本人が2位になりました。 |
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F・ピコやC・マスなどのライディングで継続して使用されてきた単気筒テネレは1986年に排気量を660ccにアップ、T・シャルルボニエが4位(XT600)1987年はF・ピコ が4位となり1988年になると水冷5バルブ750ccのスペシャルエンジンを搭載したヤマハ単気筒マシンの到達点とも言えるYZE750が登場、ワンオフのフレームやクランクケース、マグネシウムパーツ等随所にワークスパフォーマンスが見られ、乾燥重量170kg、最高速度は180km/hをマーク。 |
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しかし時代はラリーのハイスピード化により各メーカーは二気筒エンジンが主流となり、ヤマハも89年に遂に水冷5バルブ二気筒750ccのXTZ750スーパーテネレが登場します。1990年代は二気筒テネレがワークスマシンとなり、残念ながら単気筒テネレはラリーの表舞台から姿を消していきます。 |
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2001年6月18日(日) | |||
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XTZ660テネレのフロントフェンダーはいわゆるダウンフェンダーと呼ばれる物でツアラー系ビックトレールのほとんどはこのタイプです。 |
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そうこうして、ステーは完成しました。様子見で作ったせいで無駄が多いのがたまにキズですが、まあまあの出来ってとこでしょうか、若干の調整が効くように一体ではなく分割にしてあります。フォークに噛ませるだけでなく三つ又前部にあるM6の穴も利用して固定するようにしています(ただこれは不必要な気がしますが)防錆のためアルマイト処理しました。ステーがあまり目立たないようにブラックアルマイトにしています。 |
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さてFフェンダー本体ですが、前述にある問題を考慮するとフェンダー後部にエアースリットのあるアチャルビスの「Bajaフェンダー」あたりがベストなのですがこれが最近売っていない(笑) 結局UFOのスズキRM用(黒)にしました、え?なんでって? たいした理由はありません、ただ単に店の棚から取りやすかっただけです(笑) このテの社外フェンダーは取り付け穴がまだ開いていないので位置を検討したい私には好都合です。ラジエターに接触しない位置を見て、取り付け穴を開けます。 このフェンダーはエアースリットが無いため、ちょうどラジエターに被るあたりに電動ドリルでまさしく蜂の巣にして(笑)とりあえずエアーが通るようにしてみました。 で実際取り付けてみて問題となったのは、「ハンドルを切るとウインカーと接触する」ということでした。ウインカーというよりウインカーステーが当たるのです。 普通はここでウインカーステーの加工を考えるのですが、私はフェンダー自体を加工しました。ウインカーの当たる部分を工業用ドライヤーで温め、部分が柔らかくなったら丸い棒をグリグリと押し付けヘコませる事に成功(笑)うーんバッチリ。 ちなみに今回2個製作し共同発案者であるogwさんにも取り付けてもらいました所、フェンダーはヤマハランツァ用を使用して、ウインカーステーを若干外側に曲げたらバッチリだったそうです。 それとダウンフェンダーを外すとタイヤに近い所を通っているブレーキラインに若干の不安を感じたのでステーを作り、50mmほど外側に逃がしました。 |
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次の日さっそくテスト、高速道路でバタつきのチェックをしましたが120km/h付近でも特にバタつき等はありませんでした、これはフェンダー自体の強度の問題だけですね、冷却の方も今の所問題無しです。 まずなんといってもカッコいいです(笑)それと妙に違和感がありません。 よしよしこれで石が挟まってフェンダーが割れる心配も無くなったし泥がつまってタイヤの動きが悪くなる心配は無くなったぞ!。と まっとうな成果を述べていますが結局のトコロ、シャレです(笑) |
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H13年7月 |
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XTZ660テネレのノーマルハンドルは気持ち程度ですが、やや前ぎみで、すこ〜し前傾ぎみのポジションになってしまいます、私はそれが気になったのでハンドル本体を以前乗っていたカワサキKLR650のものに変更しました、結果好みのポジションを得、現在に至ります。 |
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装着前⇒ |
装着後 |
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知人のアフリカツイン乗りのM氏から「自分のアフリカツインもアップフェンダーにしたい、ついでにハンドルアップスペーサーも作ってちょうだい」という依頼を受けて製作してみました。 |
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