漫画の思い出

著者別「た」

高口里純
『花のあすか組!』
 初めはすごく面白かった。でも、子供っぽい両親を置き去りにしてまで、なぜ、あすかは闘うのか。そのあたり、かなり、怪しいもんだなと思いだした頃、サヴァイヴァル・ゲイムに突入し、すごく退屈になって、放棄した。
 つみきみほ主演で映画化された。何のために原作があるのか分からないような映画だった。しかし、つみきは、よくやっていた。逸材。
田河水泡
『のらくろ喫茶店』
 『のらくろ』シリーズの完結編。
 戦争は終わった。混乱の時代には、家族のない身軽さからやんちゃをやって、思いがけなくも出世街道を驀進できたが、平和な時代には、やることがない。野良犬のふてぶてしさと軍隊帰りのやけっぱちが災いして、何をやってもうまくいかない。
 そんな彼の姿を、焼鳥屋のお銀ちゃんが見守っていた。やがて、二人は結ばれる。義理だが父親もできて、喫茶店を開き、仲間も祝ってくれて、ハッピー・エンド。読者も、やっと安心。
 『のらくろ』シリーズ全15巻、通読の価値あり。

『蛸の八ちゃん』
 のらくろが陸軍なら、八ちゃんは海軍というわけだが、『八ちゃん』の笑いは冷たい。蛸の膨れ面からの連想で、不機嫌な性格が与えられたのだろうが、物悲しい。
 忘れられない絵がある。巨大なのらくろの形をした岩が聳り立つ岬の前を、蛸の水兵が一人で小舟を漕いでいる場面。
滝沢解
『高校さすらい派』(+芳谷圭児)
滝田ゆう
『カックン親父』
 主人公は駄目な親父だが、『ダメおやじ』とは、まったく違う。「戦後は女と靴下が強くなった」と、まだ言うだけの価値があった頃の話で、形骸化してはいるが、父権が残っていた。だからこそ、「親父」が笑いのターゲットになりえた。
 滝田のよく知られたタッチとは似ても似つかない、太い線で描かれているが、例の白けた感じは、もう出ている。
 貸本だったので、この作品を知っているのは、学級で私だけだった。この作品の面白さを分かってもらいたくて、贋作を帳面に描いて見せた。それは、私が初めて他人に見せるために描いた漫画だったと思う。

『しずく』
 滝田でさえ社会風刺のような作品を描いていたことがあり、その多くは迫力に欠ける。しかし、この作品は、視覚的情報と触覚的情報を序列化したくないと思っているらしい作者のこだわりがほのかに見えて、興味深い。

『銃後の花ちゃん』
 戦時下を生きる娼婦、花江にとって、貧困も暴力も、べたっとした現実の皮膜にすぎない。男たちをその場限りの愉楽に誘うための肉体だけが、生木のように確かだ。戦争で弱っていく男たちを、「元気だして」と抱き寄せるとき、花江の眼は自然に細められる。彼女の絶対的に白い肌にぽつりと落ちた、鮮やかな泣きぼくろは、隈無く探しても彼女の汚点はそれだけだという証拠のようだ。しかし、証拠の有無など、所詮、彼女の預かり知らぬこと。誰かが誰かを裁いたりしない国を、彼女の肉体がしっとりと守っている。

『寺島町奇譚』
 話は、しばしば、どこからともなく聞こえてくる物音や声によって、ねじれたように展開する。終わりは、いつも哀しげで、町の一角が誰かの目で俯瞰される。うつむき加減の少年が、尖る耳、凍える肌で作り出した世界は、それはきみの悲しい嘘なんだよと知らされる前に、景色は濡れた思い出に変わってくれる。優しい町。

『抜けられます』
」  ぶよぶよした肉を曝す母親の前で、少年の眼球は抉られそうに痛む。見たくないものから目を逸らすのだと知られたくなくて、本当に見たいものを探す目をした。例えば、朝顔。
 はかないものの美しさで目を鍛え、やっと町の姿を見極めようとしたとき、疎開列車の窓から見えたものは、遠ざかりつつある焼け野原だった。
谷岡ヤスジ
『メッタメタガキ道講座』
 初めて目にしたとき、頭の栓が抜けるような爽快感があった。言いたくても言えないでいたことを、大声で喚いてもらっているような感じがした。嬉しかった。
 漫画というものは、いい意味で、芸術であってほしくないと思う。勿論、作家が何を描こうが、私の容喙すべきことではない。しかし、漫画が娯楽であるためには、一定の数の読者の支持が必要だと思う。壁の落書だって、ある程度の支持がなければ、すぐに消されてしまう。私が谷岡漫画を見ていたのは、その過激さが面白かっただけでなく、[他の子供たちも、この過激さを楽しんでいる]という幻想をもつことができたからだと思う。具体的に言えば、「鼻血ブーッ!」とやれば友達に受けると分かっていたからだ。
 私は、単に過激なものを求めていたのではない。裏の世界で楽しみたいのではなかった。[この過激さは、決して異常なものではない]という感じが谷岡漫画にはあって、そこが大きな魅力になっていた。
 勿論、[作品は、送り手と受け手の共有物であるだけでなく、多くの受け手の共有物であってほしい]という希望は、あらゆる大衆娯楽に対して抱くことができる。しかし、実際には、漫画以外では、そうした希望は叶わないと思う。
 たとえば、映画だ。『メッタメタガキ道講座』が映画化されたので、わくわくしながら見に行った。感想は、いまさら言っても仕方がないが、泣きたくなるようなものだった。映画関係者は、谷岡のアイデアを奇妙なものとしてしか扱っていないように見えた。彼らは、まったく自覚していないのだろうが、谷岡のアイデアを社会の片隅に追いやろうとしているようだった。盆栽のように狭いところに閉じこめて、こそこそと楽しむだけならば許すという雰囲気だった。そして、そうしたことに、谷岡自身さえ、気付かなかったのかもしれないと思う。なぜなら、映画とは、そういうものだからだ。少なくとも、娯楽映画はそうだ。TVの娯楽番組だと、もっと狭くなる。

『アギャギャーマン』
 「どだいこれしまいまで読んだ者はソートーのバアタレだったりして……」  私は、谷岡漫画の熱心な読者ではなかった。少し単行本を買ったかもしれないが、何を買ったか、記憶にない。とにかく、手元にはない。谷岡漫画は、本棚に並べて満足するというようなものではないからだろうか。いや、そもそも、単行本になること自体、そぐわない感じだ。単行本は、いわば缶詰だ。谷岡漫画は、生造りだ。生造りの缶詰などというものは、ありえない。
 彼の作風が過激さを減じ、東洋的達観のような趣を見せ始めた頃から、私も妙に安心して、谷岡漫画を見なくなった。いや、ほとんど、漫画を見なくなった。今では、漫画に対する興味は零に等しい。なぜか。安心しているからだろうか。谷岡漫画以上のものが出てくるはずはないと。
 谷岡漫画は、だんだん、他愛のないものになっていった。漫画とは、他愛のないものだ。あるいは、他愛のないものであってほしい。漫画以外、他愛のないものと出会える場所は、私にはないから。
 ふらふらと、谷岡について何か書きたくなって、『谷岡ヤスジ傑作選 天才の証明』を見た。旬を過ぎて見なおすと、笑うところは少なかった。感心するところが多かった。「たかが漫画だよ」という姿勢は有り難い。だが、[たかが〇〇]ではないものを欲することも、あるいは、必要だったのかもしれないとも思う。難しいところだ。
 照れて隠していたものが、『アギャギャーマン』以降、少しずつ、洩れ始めていたようにも見える。それは、他人から見ればつまらない不幸の思い出であり、単なる愚痴なのかもしれない。しかし、それを描いてはならないというものでもあるまい。漫画業界だって、狭量ではないはずだ。いろんなものに対して毒突いてきた谷岡だが、彼自身の照れはターゲットにしにくかったのだろう。
 『天才の証明』に引用されている対談(「週刊漫画サンデー」昭和58年9月27日号)を、少しだけ再引用する。相手は、いがらしみきお。
  いがらし オレと谷岡さんは正反対ですよ。
  谷岡 漫画は似てる。爆発漫画です。でも、オレの爆発が大砲みたいにボンボンやってるのに、キミのは、火山のマグマがグツグツと……、エネルギーがうっくつしてるような感じだね。いがらしクンは女にモテないだろう。
  いがらし ウーッ。
  谷岡 ネクラだからね。オレなんかネアカだから、どんどん女が入ってくる。
  いがらし モテますよ、オレだって。
  谷岡 いや、性格もオレに似せればいいんだよ。そうすればモテるよ。
  いがらし オレもモテるんですよ。性格はしょうがないんです。オレと谷岡さんが、性格、こんなにちがうのに、なぜ漫画が似るかっていうと、ふたりとも金玉をフィルターにして描いているからだと思うんですよね。頭で考えたものを、もう1回、下半身とおしてくるから。
  谷岡 同じ似るんだったら、性格も似せたほうがいいんだよ。いいものはマネなきゃ、そうすれば女も寄ってくる。
  いがらし モテるんですってば、オレも。女の前じゃクラくないんですよ! 
 谷岡は、[「性格も似せたほうがいいんだよ。いいものはマネなきゃ、そうすれば」谷岡の方から、いがらしに「寄ってくる」]と言いたかったのだろう。そのように明言できない照れが、彼の荒々しい絵に微かな気品を持たせていたのだと思う。だが、同時に、創作の壁にもなったのではなかろうか。

『ウシくんのむらでした』
 明らかに、『ぼのぼの』への恋文。


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