2022
令和4年

令和4壬寅年の御柱祭

             山出しが行われた     里曳きへ

上社
4/2

 コロナ禍の御柱祭山出しはトレーラーに依る運搬となった。 
 コロナが収まらない中では仕方がなく、苦渋の決断をしたと発表されたが、いよいよその当日を迎えた。
 1,200年余り続く御柱祭の歴史の中でも人力に依らない重機での搬送は始めてだが、2年以上のコロナの心配で疲れがたまった昨今は、そんな搬送も見てみたい気持ちもあったのも事実。はたしてどんな光景が見られるのか・・
 なんと!テレビに映るトレーラーと御柱の大きさに目を見張った。大勢の見送る人々もほとんどが携帯を向けている。
 この日の為に奔走して来た役員の皆さんのご苦労を思い、涙腺が緩んでしまう。
 茅野市在住の息子は川越しが中止となり残念だったがあの寒い日の冷たい川に入らず親としては内心ホッとしていた。
   
 
 
   
 
 
  <写真は Lcvテレビ画面を映しました>




下社
4/8,9


  下社の山出しは東俣川沿いの狭い山道を下りて進む。トレーラーの幅ギリギリの難所や小さなカーブ、大きなカーブ、ヘアピンカーブもあり運転手の腕の見せ所満載だ。
 棚木場でクレーン車で2本ずつ柱を積み込み、大社の旗を先頭に各地区の旗、大御幣、山造り、元綱、木やり、曳行担当者、等の代表者が先導し、追いかけ綱係り、救護車、清掃車が後ろから見守り、「よいさ、よいさ」と隊列を組んで進んでいく。
 約4.7kmの道のりを時速3kmの走行でそろりそろりと2時間かけての運搬である。
 静けさの中に代表で参加している人たちの使命感や喜びと誇りを感じる記憶に残る良い山出しだった。


 さて、来月の里曳きは賑わいの中でやりたいがコロナでどうなっていくのか。今また感染者は増加している。ガイドラインの見直しもありか・・関係者は模索しつつ、決断を迫られる。
 建立まで、上社、下社の16本の御柱は静かに里曳きの日を待つことになった。
        
 
   
   
   
 
萩倉の集落では花笠踊りのお出迎えがあった。 

木落し坂の上を右へ迂回して国道へと下りていく。
木落し坂上から右へ下りてゆき国道へのヘアピンカーブを
左へ舵を切り1回で回り込み、観衆から拍手がおこる
   
   
   
 クレーン車による注連掛への移動作業が始まる
民家の屋根を超えてプロの仕事に見入る時
 宙に浮く御柱
二度と見られない光景だろう・・