| これは、江戸時代のさるお姫様の名前なのですが、さてなんという姫様か。
諏訪市諏訪と元町につながってお寺通りがあります。 国道から一つ山の手へ入った旧道(昔の甲州街道)の諏訪二葉高校の上り口を茅野よりに少し行くと、まずは「高国寺」次に「貞松院」。その角を曲がると、「法光寺」その奥に「正願寺」があります。その「貞松院」にまつわる話からこの五郎八姫がでてくるのです。 ある仲間内の掲示板に・諏訪市に「貞松院」てあるらしいけど、どこにあるか知っていたら、教えてくれ・という書き込みがありました。ああそのお寺なら高国寺の隣だけれど、、。 「実は、教え子が宝塚歌劇団に入っていて、たまたま花組の公演で「松平忠輝」を演じたので見に行った。とても良かったので記念にと高いビデオと本を購入してきて見たらなんと、故郷の諏訪市の「貞松院」が菩提寺だそうな。どこにあるのと聞かれて知らないと言ったら家人に馬鹿にされてしまった。それで、教えて!その「貞松院」てどこにあるの?」 私も半世紀もこの地にいるけれどそんな歴史のことは知らなかった。 ITの検索開始。 諏訪市のHPから「松平忠輝」を探し出して、ありました。「貞松院」は松平忠輝の菩提寺であり、墓があり、遺品も祀られている云々。 【松平忠輝】 まつだいら・ただてる 文禄元(1592)年−天和(1638)年 徳川家康の男として浜松城に生まれる。松平家の長沢松平家を継ぎ、武蔵深谷1万石、下総佐倉 5万石、信州松代18万石を支配。伊達正宗の娘・五郎八姫を娶る。のち、越後福島60万石に国替え。しかし大阪夏の陣や京都参内の際の不届きにより、家康に勘当され蟄居、直後に兄・秀忠により改易を受ける。キリシタン大名らによる忠輝の将軍かつぎだしの動きも取りざたされた。飛騨高山を経て、諏訪頼水の高島藩に流された。 高島藩では南ノ丸(現・諏訪市武道館)を建てて忠輝の住居とし、堀をめぐらして番所を建てるなど気を使った。忠輝は頼水の正室の菩提を弔う貞松院の住職と懇意であった縁で、92歳で没した後はここが菩提寺となった。後の住職の願いで、綱吉朱印状により幕府領伊那郡三日町(現・箕輪町)の30石を寄進された。 思いがけず歴史の勉強が出来ましたが、この文中に・伊達正宗の娘・五郎八姫・が出てきたのです。そこで伊達政宗の検索です。ありました。
いろはひめばかりでなく日本の昔の女性たちは政治の舞台の裏側で数奇な運命を背負わされて生きた人がたくさんいる。名前が云々よりもその運命が哀しいと思う。 ▲ |
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