『いろはきいろ』タイトルバーナー 『いろはきいろ』

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#003[青]02

 会議に遅れる。人々の目が冷たい。遅刻したせいばかりとは、思えない。
 (この物語は、終わっている。終わった方がいい。終わりたい。青い本の比喩の力は弱い。この先を続けるのは、惰性というか、形式というか、伝統というか、そういったもののせいだ。私は放棄したい。私は、たくさんの物事を放棄して来た。そうすることで、ささやかな安定のようなものを得たつもりだ)
 何とかしなければと思い、したことは何かと言えば、額に手を当てたこと。Bは、出ていない汗を拭おうとして、ハンケチを探す。人々は、彼を、ちらりと見る。が、見るだけ。他人の汗、それも、出てもいない汗のために、自分のハンケチを差し出す人は、当然、いない。彼はハンケチを探しているんだよなと思う人も、いない。
 (この調子で続けて、どこで終わるつもりか。しかし、私には終われない。私にはBが見えているから。Bが見ているものも、見える。Bが見ているもの、それは、Bだ。Bの一部。Bは、Bの短い指を見ている。Bは、[XはYの指を見ていた]と書くときと、ほとんど同じ気持ちで、自分の指を見ている)
 彼が指を曲げたり反らしたりするのを見咎める人は、いるのだろうか。指は、見られたくなさそうだ。Bにさえ、見られたくないようだ。指は、自分を恥じている。短いから。短いだけでなく、捩れてもいる。なぜ、かくも、自分は異様なのかと、指は思考するようだ。指がそのように思考すると思う人は、いるのだろうか。いるとしたら、そんな記憶は、迅速かつ截然と消去したい。しかし、他人のファイルの消去は越権行為だから、指の方が隠れることになる。こそこそする。こそこそする生き物を眺める気でいるB。自分の一部ではない生き物の束が、こそこそ、動く。動かしたのではない。動けと念じたら、動いた。動き出した物を、今度は、止められるかどうか、念じてみる。ところが、指の動きは止まらない。逆に加速する。指は、机の下で、裸の札を数え始めた。存在しない札は、数えても数えても、数え終わらない。
 名前を呼ばれ、立ち上がる。立ち上がる必要はない。何事か、咎められている。彼は、[お見苦しい]自分の手を隠すべきか、あるいは、神妙に差し出すべきか、迷う。が、問題は、手ではなかった。メンバー全員が同じ本を持っている。昨日見た、青い本。彼だけが持たない。ちょっと拝見という体で、隣の人の本に手を伸ばすが、相手は、恥部に触れられるのを嫌がる感じで、さっと、本ごと、身を引いた。照れ笑い、誰にも見られないように。だが、本当に、誰も見ていない。怖じる。この感覚が、今夜、夢の中で、何に変身することやら。
 さまよう視線。飛び回る虫を追うような目。ホワイト・ボードの前で振り返った報告者が、Bの歪んだ口元を見て、彼自身の口元に手をやりかけ、はっとして睨む。Bは、しゃんとする。しゃんとなさい、しゃんと。そう言われ続けた少年時代、しゃんとすれば許されるものと思い込み、取り敢えず、しゃんとしたら、生意気だと教師に殴られた。殴られるのを覚悟で背を伸ばすと、彼に欠けているものが明白になる。Bの知らない人が、Bを指し、近くの人に耳打ちする。囁きは、波紋のように広がる。彼は、手ぶらなのかね。は? けしからんな。ごもっとも、ごもっとも。もごもごっと。
 数十の目が、写真から切り抜いて貼り付けたみたいな目が、こっちを向いている。その背後の空間には、数百の目。こんなことは、ありがちだ。こんなとき、にやにやしてはいけない。いけないのだが、いけないと思うと、いけないって、どういうのが、いけないのって思ってしまって、いけないことの見本が見たくなって、そんな見本は、そっと、隠れて、自分だけで見たらいいのに、隠れるところを見られるのが恥ずかしくて、みんなに見せてしまう。自分には、見えない。
 「君は」
 声は、見えない輪ゴムを指に掛けて弄ぶ部長の脇腹を震わせて漏れた。伸びたり縮んだりする、見えない輪ゴムの動きに、意味を読み取ったつもりの課長が、腰を浮かす。すると、中村君が立ち上がった。
 「彼のことでしたら、実は、彼の物のようなことでもありまして、直接、そうではないようではありますが、あの中庭の方を、先年、頓挫した計画の一部が見直し予定の中庭の方を、ぐるり、ぐるぐると回りまして、実際、毎朝のように気を配っているような状態でありますから、まあ、彼から始まったようなことだと申しましても、別段、差し支えないような、ええ、そのような事態でして、は、言わば」
 私語する相手を探して、私語する人々。中村君も座ってからは、私語する。Bは、しない。言うまでもなく、相手がいない。真剣な顔付きをして、上司の締めを拝聴する。
 「ほんじゃ、今日のところは、ここまで。ここのところは、明日まで。以上」
 会議の後、鏡の騎士を追う。縋るように追う。礼を言って、本を借りようとしたら、片目を瞑り、胸の前に指を一本立てて、しいっ。
 個室で、しいっ、真似ているB。鏡の前。濡れた手を拭いながら、真似てみる気になっていた。中村君は、少し首を傾げていたよ。こ、こんなふう? 半分だけ、息を吸って、中村君がしたように、ゆっくりと後退り。さっと身を翻す。ややあって、自分の立っていた場所を見下ろす。その場所に、特徴はない。
 退社後、書店へ。敢えて大きな店に来たのが、裏目に出た。書物の森で、迷子。店員に、青い本と尋ねて通じるか。青い本は、いろいろ、ある。青にも、いろいろ、あって、青空の青と、青海苔の青とは、違う。青ざめるときの青は、青ではない。漠然と、青と言っても、青とは漠然とした色のことで、黄色でも赤でもないのが青だ。信号の青は緑だ。灰色が水色に見え、その水色を青という人もいる。青い本の青が、ぼやけていたわけではない。むしろ、鮮かだった。ぼやけているのは、記憶だ。鮮かだったという印象は、言葉だけのものになり、うう、とにかく、見れば分かる、言葉にできないだけだと思いながら、アオ、アオと、小さく声に出しながら歩き回る。その声を、聞かれたいか、聞かれたくないか。ううむ、四分六かな。
 屈んで在庫整理をしている、若い女子店員を見つけ、声を掛けた。女は、無防備だった背中の、透ける下着の線をなぞられたかのように、ひゃっと叫んで、蝦蟇になる。かくんと顎を落とし、男物の靴、男物の服、緩んだネクタイと、順々に見ていって、作り笑いを浮かべた顔に出会うと、両手を広げて蟹歩き。そんな醜い姿に女を変えたのは、Bの罪だ。中腰で、「誰かあ」
 誰かは、男で、年齢不詳で、長身で、顎がしゃくれていたので、「いいです。いいです」と、覚えた日本語はそれだけの外国人のように呟き、手を振る。男でも女でも、顎のしゃくれた人は、Bは苦手。背の高いのも、苦手。なぜ、本屋をやるのに、背が高くなくてはならないのか。バスケット選手じゃあるまいし。ボールを手に伸び上がる男の像。ああ、高い所の本を取るためか。Bは高い所にある本を手に取ろうとすると、怖くなる。高い所にある本は、自分には読めないと思う。子供の頃、親が棚の上に成人向けの雑誌を置いていた。それに手を伸ばすと、親は顎をしゃくり、その場を去れという合図をした。
 (このように、物語は、本から彼を遠ざけるために進行する。と同時に、彼の性格や境遇などが、徐々に明かされていく。というのは、もう、常套で、さて、物語が語るべきことを語り終えたとして、後に何が残るのだろう。予想できない。予想したくもない。どうせ、喜劇だ。喜劇は、実生活だけで十分だ。喜劇が好きな人は、自分は笑われるようなことは何もしていないと自惚れているのだろう。あなたは、[自分は、他人様から笑われるようなことは、何もしていない]と思っているのかもしれないが、そう思っているだけで、十分、滑稽だぞ)
 Bは急ぐ。途中、滑稽な人物と擦れ違う。それは、あなただ。でも、Bは笑わない。先に、あなたに笑われてしまった。笑われて、Bは焦る。電車に乗って、降りて、また、乗って、降りる。家に着いても、まだ、急ぐ。口の形が、アオ、アオ、いっている。気付いて止める。が、すぐに、やっている。気付かずにやっていると思われたくない。わざとやっていると思われたい。例えば、虫歯の痛みを紛らわせようとしてやっていることのように見えたらいいと思う。工夫する。顎に手を当て、二度、三度、動かしてみる。わざとらしい。どうやれば、自然に見えるのだろうか。
 Bは、自分が滑稽に見えることを、極端に恐れる。滑稽にさえ見えなければ、腕の一本ぐらい、無くしたって構やしねえやと思う一瞬はある。そういうのって、やっぱり、滑稽なんじゃあなあい。ううんと、滑稽なんだろうねえ、やっぱり。いや、滑稽とは違う何かだろうね。それは何かと尋ねたら、ぐぐうっと、深い、狭い、暗い穴に引きずり込まれる気分になる、なぜか。 
 (滑稽でないこと、苛めの問題が残っていた)
 なぜ、君は、苛めるの? いや、そうじゃなかった。そういうのは、まずいんだ。最初、ソフトに出て、苛めているという意識があるのかどうかと。いや、そうでもないか。苛めちゃいないのかもしれないんだからね。誰に言ってんの。
 なぜ、自分(達)の子に、人を苛めるような真似ができるのだろう。
 深く潜航する、鉄色の声。どうやったら、人を苛め抜くことができるのだろう。どのように痛め付ければ、人の心から[復讐]の文字を消し去ってしまえるのだろう。どのようにこころをもてあそべばふくしゅうをおそれずにいきていけるのだろう。ドウスレバコワクナクナル? D* sure ba,umaku iku? ドーすrya,ウマイ 肉 kuferu? おどおど、おどすもののこえから、どうすれば、にげられるのかなあ。
 「ナンカ、ヨオー?」
 「ま、いいから、座って」
 「スワッテルヨ」
 その座り方では、座ったとは言わない。Bの時代では、そうだった。息子の時代では、どうなんだろう。もし、その座り方が、息子の時代でも、座ったことにならないのだとしたら、Bは窮地にある。
 「何年生になるんだっけ」
 「シッテルクセニ。モシカシテ、シラナイ?」
 「5年生、だよな。5年生にもなりゃ、言われなくても分かってると思うんだけど、いいかい、人と人とはね、理解し合わなければならないのだよ」
 「ラシイネ」
 「うん。そうなんだよな。でも、頭で分かってるだけじゃあ、駄目なんだぞ」なんてことを口にしながら、冷や汗の二粒も垂らさないようでは、この男、将来はない。(「頭でじゃなきゃ、どこで分かるのさ」「心で、だよ」「笑わせんじゃねえよ、あんたのどこに心なんてものが……」「分かった、分かった。みなまで言うな。心が苦しむ」)
 「デ?」 待ちの姿勢。
 「ううむ」 こちらも受け身。
 「モウ、イイ?」
 「いや、もう、ちょっとだ。ちょっと、難しいかな。相互認識というのだ」
 ジャンプ! 
 そおれ、四字熟語だぞい。恐れ入ったか。
 (Bは、間違っている。「相互認識」は、四字熟語ではない。因みに、「四字熟語」も、四字熟語ではない)
 四字熟語を使ってどうなるかと言えば、どうにもならない。どうにもならないことを隠蔽するために、四字熟語はある。大人の面子を保つためにある。面子ということは、子供にだって分かるはずだ。いや、そんなことしか分からないから、子供というのだ。難しい言葉を耳にしたら、難しい顔を拵えるのが、子供の処世術というものだ。それくらい、弁えておいてくれよな。そしたら、わっはっは、難しく縮んだ顔を豪快に笑い飛ばし、頭の一つも撫でてやろうってもんじゃないか。で、幕かな? と、楽観していたら、違った。
 「ソーゾーニンシン?」
 「あ、いや」
 「ドンナカンジ?」
 「感じるんじゃなくて、認識、つまり……」
 「ダカラ、カンジデカクト」
 「ええっと」
 宙に書こうとして、もし、違ってたらという不安が、ビニールのように、辺りを覆う。異様な静けさに、空咳。近頃、署名以外、滅多に字を書く機会がない。相互の「互」の字を思い浮かべ、何とも言えない違和感があり、はて、あれはハングルだったか、あるいは、簡体字、いや、俗字だと思いは変遷し、だったら本字を思い出すのだと考えた途端、どこからか降りて来る鉤爪があって、それを受け止める鉤爪もあって、互いに脚に爪を食い込ませた、二羽の猛禽が、くるくる、回転しながら、天空を横滑りする、どこか、視野の彼方へ。
互***互***互***互***互***互***互互***互**
 未知の領域へと押し流される、不倶戴天の敵同士。青い海に滴る染みのような、黒い、二つの命。
 「ドーユーイミ?」
 「分かり合いながら、やってくんだ」
 「バカシアイシナガラ、ナットウ、クウンダ」
 「いや、納得というより、そうだな、空気のようなもんでね」
 「クーキ」
 子供の頃、近所の主婦に訊かれた。お父さんとお母さんって、レンアイ、ミアイ? 意味が分からず、そのままを親に告げると、母親が、見合いしてから恋愛と答えかけるのを、父親は引き取った。夫婦というものは、空気のようなものなんだ。あるときは気づかないが、ないと困る。うまいことを言うなあと、子供心に思った。何がうまいかというと、恋愛でも見合いでもないのを、うまく言い抜けた。
 「ヘエ、クーキニ、ボッキスンダ?」
 「勃起」は、意外。「空気」と韻を踏んでいるのも、一本取られた感じ。
 「一本取られちゃったよ」
 妻に報告すると、「空気って、どういうことよ?」 まっすぐに訊いて来る。先程は不発に終わった講釈の再開も今更で、何げなく、タバコの箱の上にライターを載せると、「ふん」
 「君にも、あんなこと、言う?」
 「学校で言われてるらしい」
 「何のため」
 「やっぱり、性教育なんじゃない?」
 かつて性器教育と論われていたものが、Bの知らない間に、性愛教へとグロテスクな変貌を遂げた。もともと、教育は宗教の一部なのだから、当然の成り行きと言えば言える。愛があれば、性行為は許容される。義があれば、暴力は称揚される。
 「で、何て答えた」
 「私?」 指は、背後霊を指す。
 「うん」 目は、背後霊を探す。
 「満足してるって」 顔は、背後霊を向く。
 あ、なるほど、そういう言葉もあったか。感心して、一晩寝て、起きて、「満足」の一言が、こちょこちょ、耳元で囁かれるような、船酔い気分。
 満足という言葉を聞かされるのは、初めてではなかった。いつだったか。昔、ぞっとするほど、昔。どこでか。酔っていた? 水の上。酔う程、揺れはしない。小舟。スワンの形。自分の影を湖面に探すのか、スワンの首は長く、細く、実際にはあり得ないほど痛ましげに湾曲し、汚れていた。無用の首。女は、首の長いのが自慢だった。その首を自分で撫でながら、「満足」という言葉を、煙のように吐き出した。スワンから降りる時に貸した手を離さず、町の裏側に落ちた。女には噂があった。おまけが目当てで買われるキャラメルのように、彼女の顔を知らない人でも、彼女の噂を知っていた。彼は、噂のことを話題にしなかった。おまけが欲しくてキャラメルを買ったわけではないと、自分を欺瞞するためだ。おまけだけ取って、キャラメルを捨ててしまうなんて、もったいないこと、できない。僕はね、疑り深い男ではないよ。そうなの? 信じやすくもないんだけどね。ご立派なこと。相手が落ち着くまで唇を貸し与えておいてから、女は腕を弓にして突っ張り、肌と肌の間に風を入れた。Bは、女の胸を見た。女は、男の髪が自分の頬に垂れるのを撥ね除け、両方の目で、相手の目を、片方ずつ、見た。そして、言った。「この世に、満足ということは、ないのだわ」
 この世にないはずの満足が、なぜ、妻にはあるのか。
 声が笑っていても、目が笑っていない顔がある。涙を流しながら、悲しんでいない顔がある。言葉のような、儀式のような感情がある。あなたは、自分が笑っているとか、泣いているとか、信じているのだろうか。しかし、他人には、必ずしも、そのように見えているとは限らない。いや、むしろ、見えない方が望ましいのかもしれない。感情は見世物ではないのだから。見世物ではないことの告知のために、笑い、涙する時間がある。でなければ、どんな感情の表出もあってはならないと思える時間がある。自分の感情は他人とは無関係なのだと、あなたは考えるから。自分の感情くらい、自分で始末できる。そう言い切れる自分が誇らしい。そう言い切れない他人を軽蔑できるから。
 日曜だった。
 「日曜よ。どうする」
 「いいよ」
 「よかないわ」
 「うん。そうだ」 何だって、「よかない」という観点は成り立つ。
 「私、行くつもりだったの。本当よ」
 話題は、何だろう。Bは、自分の「いいよ」の流れに棹さしたくなかった。こっそりと、相手の話に合流を試みる。手掛かりを探る。
 「誰だって、心の中では、あれだから」
 「誰にでも、憎しみの感情はあるわ、恐れと同様に」
 あ、苛めの話か。
 「いいよ。行こうと思ってたんだ」
 そう言えば、止められるもの、と思っていたか。ところが、あっさりと、「じゃあ、お願い」
 「今日じゃなくちゃ、駄目かな」
 「だから、私が行くって」
 Bは橋を渡る。いつも渡る橋だ。
 (おいおい、どこ、行く気だよ。話、広げないでよね。直談判? そんなの、書くの、今から? 鬱陶しいなあ、もう)
 橋を渡ると、電車の駅だ。電車には、乗らない。駅裏のコンビニエンス・ストアに向かう。その店は、Bが越して来た頃は「伊勢屋」といって、昼に小僧の食べたカップ麺のスープの匂いを夕方まで、来る客、来る客に嗅がせて平気というような店だった。タバコか競馬新聞を買いに入り、商品の柱を倒すか、倒しそうになったか、したことがあって、不愉快だった。店主に不愉快な野郎だと思われたのではないかと思って、不愉快だった。数年前、改装し、店名もよく知られたカタカナのものに変わった。しかし、今も、Bの家では「伊勢屋」だ。
 自動ドアの前に立つと、一呼吸ずれて開く。がっしりした体の女店員に、来意を告げると、「それでしたら」と教えられる。一旦、店を出て、ターン。彼女の腕が肩の高さにリフトされ、指先だけが弧を描く。その指先を、Bの目は、数年、忘れない。
 彼は闖入者だ。立ち読みが目当ての客よりも、ランクが下。万引きよりは、ずっと上だろうが。彼は人々の視線を気にして振り返ろうとするが、そうするより、早く、人々は、彼が入ってくる前の姿勢に戻ることだろう。振り返り、そして、もしも、彼を見ていないとしたら、彼が見られていた証拠だ。
 店員の黒く染めた爪に操られたふりをして振り返り、思った通り、誰も見ていないのを確かめると、へん、知ってんだぞと、自分のためだけの薄笑いを浮かべ、その笑いを空調の急降下する冷風に払わせる。黒い爪は、訪問者が店を出た後も、ガラス越しに彼を追う。追えなくなると、腕と肩が律動を始め、遅れて首、そして、腰と、動き、最後に、段を上るように、膝が、くっくっと引き上げられる。軸足を軽く曲げ、バランスを取ると、上げた方の脚の自由度が増す。彼女は、幼稚園のキリン組のときから中学の2年まで、クラシック・バレエをやっていたが、家庭の事情で創作折り紙に転向して以来、人前で足を上げることはなかったが、今日はカメラが見ているから、上げる。上げた足の先を伸ばし、軸足の膝の両側を小刻みに撫でる。そして、腰から回転。顔も遅れて回転。カウンターに、チョコレイト・バーが一本、置かれる。ピ、ピ。POSの電子音がリズムを刻む。商品を袋に入れるとき、肩が三連符で上下する。客の少女の目は、ぱちくり。笑いを押し殺して、ちょこちょこ走り。外へ飛び出して、チョコレイト・バーを前歯で折り取る。肩を竦め、短いスカートの裾を翻し、振り返り、後退しつつ、静かに歌い出すのだろう、「このお店は素敵」を。
 このお店は素敵。どれもこれも、私のためにあるの。買うって言うか、自分でしまっておいて忘れてたのを、ふと、見つけたって感じ? 私のための無限大の戸棚かな。キーは、カードね。無くしても再発行してくれるから、安心なのよ。でも、だからって、わざと無くさないでね、カードを。
 このお店は、素敵。必要な物なら、何でもあるの。必要じゃない物だって、あるんだもの。探せば、きっと、愛だって見つかると思うの。でも、だからって、わざと無くさないでね、愛を。
 このお店は素敵。昼も、夜も、開いてるの。一日が24時間ならね。私の一日は、25時間。なぜか、はみ出してしまう私。人が忘れた私、私が忘れた私、私の中で眠る私、私の殻を破り、いつか、羽ばたく私。探せば、きっと、私だって見つかると思うの。でも、だからって、わざと無くさないでね、私を。
 このお店は素敵。探せば、きっと、あなただって見つかると思うの。でも、だからって、わざと無くさないでね、あなたを。
 「このお店は素敵」は、素敵に変奏され、店内を流れる。客は、それぞれ、お得意のステップを踏み、お得意の人生論を開陳する。陳列棚の合唱隊。さまざまな楽器に見立てられる商品。冷凍庫から流れ出した霧が、店からも溢れる。群舞。暴動さながら、通りの人々を巻き込み、怒鳴るように歌う。
 Bは、ミュージカル仕立ての安っぽい空想を振り払おうとして頭を振り、その仕草が下手な踊りのように見えたのではないかと、きょろきょろ、辺りを窺う。人々が踊り始める前に店を出られて、よかった、本当に。
 Bは、踊れない。Bは、踊りの輪に入れない。気が付くと、自分は、いつも、輪の外にいる。外から見ると、輪は、いつも同じ所を、ぐるぐる、回っているように見える。でも、思い切って飛び込むと、輪は、決まって、別の場所にある。
 人々は、どう踊ればいいのか、知っていて、踊り始めるようだ。Bは、どう踊ればいいのか、まだ、知らない。いつか、知るのか。人々は、誰かに振り付けをされたかのように踊る。人々は、会社がどういうものか知っていて、社員に成る。文学青年は、小説が何なのか知っていて、小説を書き始める。Bにも、ダンスがどういうもので、会社がどういうもので、小説がどういうものか、知っていると思っていた時期がある。だから、ダンサーにも、小説家にも、なろうとはしなかった。その頃、世の中の凹凸は、明らかだった。登れる山と登れない山の見分けは、簡単に付いた。ところが、今は、それが平板に見える。壁というか、絶壁。昔、不得手だったことも、数年の努力で克服できそうな気がする。と同時に、自分の得意技も、すぐに人に真似されそうな気がする。要するに、やる気と根気。……Bは、ときどき、人々と同じように振る舞わないという理由で、咎められたり、失笑を買ったりする。そんなとき、ニヤニヤしながら、彼が痛切に願っていることはと言えば、「どうか、自分が人々と同じように振る舞えないなどとは、誰にも思われませんように」ということだ。本当は、どうなのか、彼自身も知らない。よく考えたことはない。よく考えるのは、怖い。よく考えること自体が、人々の遣り方とは少し違うような気がする。Bは、ときどき、わざと失敗したように見えることを望む。そのために立場が不利になるとしても、多少のことなら、我慢をする。Bだって、人々がそれなりの努力を積み重ねた結果として、ある域に達していることぐらい、承知している。だが、やる気と根気を、どの域に向けたらいいのか、分からない。彼は、努力を始めるに当たって、努力の真似から始めなければならない。宝籖を買うために行列に並ぶことが努力なら、Bの真似事も努力の名に値するのかもしれない。……人々は、子供の抱き方を知っている。Bは、知らなかった。Bが初めて息子を抱き上げたとき、危なっかしいと言って、妻に奪い返された。初めて異性の肌に触れた放課後のことを思い出しそうになり、Bは襟のボタンを留め直す。
 Bは、忙しくて踊っている暇などないかのように装う。いや、音楽が聞こえないふうを装う方が、余程、手っ取り早いのかもしれない。
 ワワワ、ワワ。耳を聾するばかりの、『輪はわわしいわ』のコーラス。そして、フェイドアウト。
 少女の腰を、捩れて包む、薄い布は、夜明けの頃の、解けそうで解けない蕾の朝顔を思わせ、それは、いつ、見た蕾だったか、ずっと見ていたい蕾だったと、悲しみを忘れて、Bは思う。


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