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#012[村]

 みんなとは、誰のことか。「みんなは、陰では、笑ってるのよ」と言われた、母に。
 30歳頃、ダイエットで、体の不調が、拭われたように消えた。食べ物の味が分かるようになり、ある朝、木々の緑が目に注ぎ込み、視野が広がった。聴覚が冴え、本音と建前が聞き分けられるようになり、正夢を見た。そして、私は、自ら、[病み上がりの思想]と呼んでいるのだが、ある楽観的な思考を自分に許した。危ういことだと喉元まで出かかりながら、救われる方に賭けようとした。過疎の村にでも行って自給自足の生活をしたいと思った。電話で、そういう話を母にした。一人ではない。みんなで行くのだと、私は言った。言い張った。友達と? 母は訊いた。いや、みんなで。母は、田舎が嫌いらしかった。
 「みんなだよ、みんな」
 私は、繰り返した。母は黙り込んだ。私は、はっとした。私は、酒に酔っていた。知人に、それとなく打診し、頭から拒否されたことはあったが、みんなで行くなんて、本気で考えたことはなかった。
 みんなとは、誰か。すでに、両親は離婚していた。しかし、私は、その離婚を、心のどこかで偽装のように思っていた。そう思いたかったのではない。私は、彼らの言動を信じない。信じれば、当の彼らから嘲笑される。
 ふと、私の知っているらしい[みんな]が新しい村の建設に励んでいるさまを思い浮かべた。その中に、両親の姿もある。心を開いて話し合えば、どんな人とでも分かり合えると、思いたかった。私は、[みんな]を、彼らの陥った迷妄から引き上げてやらなければ済まないような気がしていた。以前の悲観的な人生観に足を引っ張られるのが、恐ろしくもあり、幼稚にも思えた。
 母が何事か察したらしいのを感じ、私は我に返った。そそくさと電話を切る。自ら罠に落ちた気分だった。吐き気。
 当時、私は、[みんな]とか、[私達]とか、[彼ら]などといった、人間を束ねるような言葉に対して過敏になっていて、なるべく、使わないようにしていたのに。


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