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#021[世界]03雑録(1)定義的

  澤山の例を引くことはまだ出來ないが、今でも大衆小説の缺くべから
 ざる武噐として居る「美人の薄命」、是などは石噐土噐よりも前からかと
 思はれる世界的の趣向であって、更に此島に来てから特殊な發逹を遂げ
 て居る。
                       (柳田国男『文藝と趣向』)
  常陸風土記には、譬へば、其國名をかう説いて居ます。
   風俗諺に曰はく「筑波ノ岳に黒雲挂きて、衣袖漬(コロモデヒダチ)の國」と曰ふ。 とある。後の歌學から言へば、「ひだちの國」を呼び起す爲に据ゑた序歌─ 枕詞の一句以上に跨るもの─「筑波……衣へ袖」の句のついた形である
 と言ふことになります。だが昔は、此まゝ唱へるのが正式だつたのです。
 山の讚へ名なので、「筑波の岳」から「ひだちの國」までが其なのです。後世
 の枕詞の考へから言ふと、かう言ふ形なら、幾らでも出來る。現に此など
 も、もつと色々「ひだち」に繋る言ひ方があつたのだらうとも言へます。此
 などは既に、もつと外にも常陸の國を起す枕詞・序歌も出來てゐた時代の
 形と見てもよろしいが、本來は一つであつたものと思はれます。さうして
 其詞を聞くと同時に、其地名なり人名なりに關聯した、古い物語が浮んで
 來るやうになつて居る。さう言ふものでした。即、此國の名は、常陸風土記
 によれば倭武命の東夷征伐の砌、新治の地で其地の國造に井を掘らしめ
 られた處、湧いた水が清かつたのを喜ばれて、水を翫んだ手を洗はれた。
 其際御衣の袖が泉に垂れて濡れたと言ふ古事があつたのです。が、此傳へ
 は、風土記自身に新しい時代の姿を見せて、物語と國名との間に、矛盾の
 出來て居る處があります。だがともかく、物語の壓搾したものが、人名・地
 名と言ふことになります。さうして、讚へ名の讚へてゐる部分が、名の根
 幹となる部分から離れて、枕詞が成立するやうになるのです。
                   (折口信夫『古代日本人の感覺』)
  最初にある地名がある歌人に詠まれ、それが勅撰集に入る。以後、多数
 の歌人に詠みつがれているうちに、固有の情緒が付着する。それが文学史
 の中で成長し、やがて固定する。その情緒が付着した地名が歌枕である。
 (中略)「人が吉野山はいづれの国ぞと尋ね侍らば、ただ花には吉野山、紅
 葉には竜田を詠むことと思ひ付きて、詠み侍るばかりにて、伊勢の国やら
 ん、日向国やらん、知らずと答へ侍るべきなり。いづれの国といふ才覚は
 覚えて用なきなり」<正徹物語・上巻>という極論まで出るに至った。
                    (『日本古典文学大辞典』「歌枕」)
  芭蕉が「季節の一つも探り出したらんは後世によき賜」<去来抄>と述べ
 たのは、新しい俳諧的自然観・人事観による題材の発見が作者の手柄にな
 ることを言ったものであろうし、「田にしとる鳥」を季語として取り上げ、
 「鵙(もず)の声はおどろきやすきを本意とすべし」<篇突>というように主
 張しているところに、俳諧的な対象把握の在り方を察することができる。
 俳諧における季語は、第一に、作品の対象とする題材の本意を規定する働
 きを持ち、第二に、その題材を一定の季節に結びつけ、その句の季節を規
 定する働きを持っている。この二つの役割が俳諧において特に発展させ
 られて季語が確立したのは、連句一巻の中に四季を配して変化を求める
 要求があったことにもよるが、また、発句が連歌時代よりも複雑な内容を
 詠むようになり、その表現不足を補う要請があった事も考えるべきであ
 ろう。
                           (同前「季語」)
  散文中に古歌や同時代人の歌など既成既知の歌をふまえることによっ
 て表現を重層的・効果的にする手法、またその時ふまえられる歌そのもの
 をいう。(中略)本来、優雅と洗練を求めた宮廷サロンにおける会話に古歌
 を断ち入れてあやなしたのと同じ基盤から発した手法(後略)
                           (同前「引歌」)
  鴨長明の『無名抄』に「題の歌は必ず心ざしを深く詠むべし。たとへば祝
 には限りなく久しき心をいひ、恋にはわりなく浅からぬ由を詠み、もしく
 は命にかへて花を惜しみ……」とか、「郭公などは山野を尋ねありきて聞
 く心を詠む。鶯ごときは待つ心をば詠めども尋ねて聞く由をばいと詠ま
 ず……」と説いているのがそれである。(中略)俊成にいたると、詠歌の対
 象とはもはや任意な、あるがままの自然・人情ではなく、それらについて
 の長い積み重ねられた観察や省察の結果として確立された本意であり、
 従ってまた詠歌とは単なる抒情ではなく対象認識の道であるという考え
 さえ認められるようである。はじめに本意があり、本意に基づいて「風情
 (ふぜい)」(趣向)が構想され、次いで「詞」の選択から「姿」の構成へと進むの
 が詠歌の過程とされたが、しかし本意という約束の中での風情がいずれ
 行き詰まることは必至であった。
                                                              (同前「本意」)
  日本の神事や芸能には古くからこのもどきの流れがある。神懸りした
 巫女が神の言葉を宣る。これを託宣というが、その言葉は普通の人には解
 しにくいことが多い。これを清庭(さにわ)にあってわかり易く説きなおして
 くれるものがおり、これを審神者(さにわ)<古事記、日本書紀>という。もどき
 の役であった。(中略)「三番叟」は「翁」のもどきであるとよく言われるが、
 奥羽の山伏神楽や番楽の場合これがはっきりしている。三番楽は翁をも
 どいて出、もどいて語るからである。
                          (同前「もどき」)
  定家の本歌取は、古典主義・道統主義の歌観に立ち、古歌の詞を取るこ
 とを主とした。余情妖艶の歌を作るためのものであった。つまり、三代集・
 伊勢物語・源氏物語・白氏文集・和漢朗詠集などの古歌をふまえ、その詞を
 取ることによって、その美的小世界を背景や部分とし、自歌の場面構成に
 奥行や暗示を与え、古典美を濃厚にし、イメージや情趣を複雑化・重層化
 しようとする技法であった。これは自己の魂を救い、自己の抒情を解放す
 るために現実から離脱しようという態度の定家には、あるいは自己を古
 典の世界に転移・参入させ、生の眼を消去して現実以上にリアリティを感
 じることのできる虚構や観念の美的小世界を現出させようという態度の
 定家には、有効な方法であった。
                   (犬養廉他『和歌大辞典』「本歌取」)
  ジャンル・国籍・時代によって文学作品がもつ特有の「主題」を指す。E.R.
 Curtiusが普及させた言葉だが、時には時代をこえて西欧文学全体に共通
 であったり、あるいは国境をこえて共通であったりするarchetypeのよう
 なものとして現れることがある。
         (齋藤勇、西川正身、平井正穂『英米文学辞典』「トポス」)
  ギリシア語のarch*+typosから来た「原型」という意味。文学作品を構成
 するplot,character,action,situation,settingなどのうち基本的・一般
 的・普遍的な形をもつものをいう。                                         (同前「アーキタイプ」)
  地名や人名など、同じ種類の事項を目録や一覧表のように羅列的に列
 挙する文学形式。本来はギリシャの叙事詩の構成要素で、ミュケナイ時代
 の財産目録から発達したと推測される。この形式の最古の代表的な例は
 ホメロスの『イリアス』第2歌484〜877行の軍船の表である。
               (『集英社世界文学大事典』「カタログ文学」)
  舞台上で起きたこと(または、起きつつあること)や登場人物によって
 発せられるセリフが観客には登場人物が気づかない別の意味、あるいは
 登場人物が考えているよりも深い(または、逆の)意味を持っている(また
 は、持つことになる)状況を指す。(中略)観客は舞台上の「明らかな意味」
 と「別の意味」を統合的に経験する。観客はこの経験を通して演劇的真実
 を認識する。
                 (同前「ドラマティック・アイロニー」)
  反語(イロニー)には反語信号(イロニー・シグナル)が付属している。人は卑下をする、
 と同時に、卑下している事をわからせる。人は偽態を演じている。それは
 確かであるが、偽態を演じている事を知らせもするのである。反語信号は、
 卑下する事と同じ様に反語にとって構造の一部である。この両者が一緒
 になってはじめて、キケロの言葉を使って言えば、あざむきから、道徳的
 汚点の全然ないしゃれたあざむきをつくりあげる。
         (ハラルト・ヴァインリヒ『うその言語学』井口省吾訳注)
  反語信号は、かりにそれを今のところ特定の語調だと想定するならば、
 話し言葉に付随する言語記号である。それは、聞きとられる事もあれば、
 聞きもらされる事もあるといった性質のものである。つまり、それは、文
 法の一般的な符号(コード)とは違ったもので、ただ機知を解する人達しかあ
 づかり知らぬ符号に属している。生はんかな教養人と、うぬぼれ屋達はそ
 れを聞きもらし、反語信号は所期の目的を達しない。だがこれは話し手の
 責任ではなく、聞き手の責任である。
                              (同前)
  <エンブレム>は、人文主義者の間の学識を示す知的遊戯に由来するが、
 道徳的教訓を目指すものでもあり、時には新プラトン哲学に倣ってシン
 ボルとも考えられた。つまり、それらシンボルを凝視することで、神の
 神秘のより高度な知識が露わにされるのである。エンブレムは、<主題>
 (lemma)と呼ばれるモットー、図像(image)、格言(epigram)を含んでいる。
 エンブレムは、その全体だけが理解されうるものであり、エンブレムを構
 成するそれぞれの要素は、意味の一部分しか与えない。言語とイメージを
 連結するこれら謎めいた表現コードのすべては、秘密とエリート趣味と
 して生じた。分かりにくさの程度という問題は、象徴学の理論家たちに
 よって議論された主要な論点のひとつともなっている(クレメンツ[1964]、191一
 95頁)。ロッテルダムのエラスムスは、〈インプレーザ〉の徳性のひとつを、
 知的努力によってのみ把握しうる意味という点にある、と主張した。また
 チェーザレ・リーバ(『イコノロギア』、1593)は、象徴的イメージが「謎(エニグマ)の形
 で」構成されるよう要求した。サンブクス(1564)は、エンブレムに「不可解」
 (obscuritas)と「新奇さ」(novitas)を要求した。そしてパオロ・ジョヴィ
 オは、穏当な媒介物を想定している。「象徴的図案は、それを解釈するため
 に巫女を必要とするほど不明瞭ではないが、それにもかかわらず、どんな
 融通のきかない精神の持ち主でも理解できるほど明瞭でもない」
    (フィリップ・P・ウィーナー編『西洋思想大事典』「イコノグラフィ」)
  それでも初期キリスト教徒は、旧約聖書中に新約聖書に出てくるもの
 の祖型をつきとめる予型論(タイポロジー)という仕掛けを介し、また過越祭の
 仔羊にキリストの原型を見るというような「比喩(フィグラ)」教説を介して、
 新旧ふたつの聖書のめでたき和解を図ったはずである。
      (フィリップ・P・ウィーナー編『西洋思想大事典』「モティーフ」)
  典故を使うのは、中国古典文学に限ったことではないが、その重要な修
 辞の一つであることに間違いはない。上古の素朴な段階においては、たと
 えば非常に悲しいとき、「とても悲しい」と表現するだけでよかった。しか
 し時代が下るにつれ、そのような表現の繰り返しでは単調で満足できな
 くなるし、読者に与える感銘も薄くなる。そこで「悲しい」という言葉を使
 わずに悲しい感情を表わすようになった。典故もそうした技術の一つの
 頂点と考えることができよう。すなわち今の例でいえば、悲しいという言
 葉のかわりに同じような事情で悲しみを味わった歴史上の人物の例を挙
 げ、「……のように悲しい」と言うべきところを、その「のように」と「悲し
 い」とを抜いてしまう。すると、何も知らぬ読者には何のことやらわから
 ないが、知っている人には、あのことかと見当がつく。しかし知っている
 人にしても、それを思い出すまでにはある種の抵抗が存在するのであっ
 て、その抵抗を乗り越えた満足感、作者の意図を正しく読み取ったところ
 からくる作者との一体感と典故を知らぬ人に対する優越感、さらには現
 実の事態の上に歴史的事実をかさねることによって得られる一種のモン
 タージュ的効果、それらが複合して生み出す典故の美学は、それなりにす
 ぐれたものであった。
                      (前野直彬『中国文学序説』)
  ただ、これらの問題をも含めて、なお李商隠がなぜかくも夥しい故事を
 つらねて詩を構成したのかと質問されるなら、李商隠の方法にならって、
 次のように答えたく思う。フランスのある寓話に、ある貧しい少年が、魔
 法使いから一つの青い玉を授かった話がある。その玉は、耐え難い不幸に
 襲われた時に覗くと、世界の何処かで、いま自分が経験するのと同じ不幸
 を耐えている見知らぬ人の姿が浮んでくる。その少年は、その玉を唯一の
 富とし、その映像にのみ励まされて逆境に耐えてゆく。李商隠が夥しい故
 事を羅列するとき、それは概ね、彼の意識に浮んだ青い玉の像だと解して
 よい。
                         (高橋和巳『李商隠』)


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