『いろはきいろ』タイトルバーナー 『いろはきいろ』

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#030[夜]02

 消灯後、霊の話をしていて、分かりかけたことがある。私は、こんなふうに話していた。
 ない物が見えたように思うことは、よくあることだ。オカルト好きは、それを霊と呼んでいる可能性が大だ。だから、私は彼らを信用しない。もっと信用できないのは、そんなものさえ見たこともないくせに、金縛りにあったぐらいで大騒ぎする連中だ。
 Lの反応がおかしかった。問い詰めると、「本当に見える人だっているかもしれないじゃない?」と、怒ったように答えた。私は、嫌味なほど穏やかに尋ねた。
 おや、私が、[誰にも見えない]とでも言いましたかね。/言わない。/では、どういうことなのかな。/何の話。/さっき、あなたが言ったこと。/私は、何を言ったの。/あなたは、[本当に見える人だっているかもしれない]と言ったんだよ。/いないの?/ああ、あなたは、一体、誰と話をしているつもりなんだ。/あなたとよ。/へえ? とても、そのようには思えないな。いいかい、私は、[あなたは、「本当に見える人だっているかもしれない」と言ったんだ]と言ったんだよ。/知ってる。/で、あなたは、何が言いたいんだ。/本当に見える人だっているかもしれないってことが言いたい。/それは、あなたが言いたいことではなくて、言ったことだろう。/言いたいことと言ったことと、どう違うの。/言いたいことと言ったこととの違いを聞いているんですか。/そう。/本気で?/うん。/嘘だね。/嘘じゃない。/嘘だ。/絶対に嘘じゃない。/絶対に嘘だ。では、訊く。[言いたいことと言ったこととに違いはない]と、あなたは主張するのか。/そう。/冗談じゃない。言いたいことというのは、まだ、言っていないことだよ。言ったことは、すでに言ったことだ。全然、違う。/違うけど、同じよ。/待ってくれ。[違うけど、同じ]とは、どういう意味だ。さっぱり、分からない。/嘘よ。分かってるくせに。/分かると言えば、分かるさ。でも、よくは分からない。/私、そんな、難しいこと、言ってない。/いや、言ってる。/考え過ぎよ。/誰が。/あなたが。/いや、考え過ぎているのは、あなたの方だろう。/私、何も考えちゃいないわ。あなたの言うこと、聞いてただけよ。/何も考えないで人の言うことを聞いていたの?/ええ。/そりゃ、失礼な言いぐさだな。/どうして。/[どうして]じゃない。あなたにそんなことを訊く必要はないはずだ。なぜなら、あなたは何も考えないどころか、別のことを考えながら聞いていたんだから。/別のことって?/知らない。/知らないのに、どうして、分かるの。/[どうしてか]って訊いてるんだね。/え?/訊いてないの?/何のこと。/それは、こっちの台詞だ。/え? 何。/ほおら。もう、何が何だか、分からなくなった。/何の話。/だから、霊の話。/ああ。/[ああ]じゃありませんよ。いいかい。ええっと、あなたは、[本当に見える人だっているかもしれない]と言ったんだ。/いないの?/だからね、それがいけないと言うんだ。/いないのね。/違う。/じゃあ、いるのね。/違う。/どっち?/[どっち]じゃない。/何なの。/疲れた。くたくただ。頭がおかしくなりそうだ。/おかしくならないで。
 いいかい。私は、[あなたは、「本当に見える人だっているかもしれない」と言ったんだ]と言ったんだよ。/うん。/うん。それでいい。/いるんでしょ?/それがいけないんだ。/え?/私は[いる]とも[いない]とも、まだ、言ってないんだから。/人が言ってないことは、言っちゃいけないの?/ああ! 次から次に問題が出てくる。その質問については、後回しだ。/あなたは、答えたくないことには答えなくていいの?/こいつ、喧嘩、売る気か。/あ、いや。
 いいかい。あなたは、[本当に見える人だっているかもしれない]って言ったんだよ。/分かってるわよ。/うん。それでいいんだ。いや、ちょっと待て。まだ、何も言うな。次に言うべきことがある。私は、ええっと、何だっけか、そうそう、私は[そんな質問はするな]と言いたいんだ。/いいじゃない、何、訊いたって。/そういうわけにはいかない。/どうして。/待て。今、質問は止せ。こんがらがる。いいかい、私は、[私が「誰一人見えない」と言ったか]と、質問したんだ。それに答えてくれ。/え?/もう一度、言うのか。/そんなことに答えなくちゃならないの?/そう。/だって、それ、反語でしょ?/反語なの?/違うの?/知らない。/え?/[知らない]って言ったんだよ。でも、反語だったら、どうだと言うんだ?/反語には、答えなくていいんでしょ?/知らない。誰が、そんなこと、言ったの?/だって、そうでしょ? 違うの?/だから、さっきから言ってるように、それがいけないんだ。/え? 何。/もう一度、言うのか。/言わなくていい。
 で?/何。/で、何なの。/何が。/もう一度、言うのか。/いい。自分で考える。/考えて、また、ほかのことを言い出すんだろう?/え?/いいかい、私は、[誰がそんなことを言ったか]と言ったんだ。/そんなことって?/それは、あなたが言ったんだ。/何て。/だから、ええっと、その、ああ、忘れた。そうだ。[反語には答えなくていい]ってことだ。/答えなきゃいけないの?/この野郎。[それがいけない]と言ってんだ。分からないのか。/うん。/うん。そう、それでいい。/え? これでいいの?/いいさ。/なあんだ。/でも、話は、全然、進んでいない。それどころか、とんでもないところまで来てしまった。そして、そうさせることが、あなたの意図だったんだ。/意図なんかない。/[それがいけない]って言ってるんだよ。/え?/私は、[そうさせることがあなたの意図だったんだ]と言ったんであって、あなたに意図があるとか、ないとか言ったんじゃない。/だって、意図なんかないんだもの。/あるよ。意図でなければ希望か。すみませんねえ、分かりが悪くって。/希望もない。
 要するに、あなたは霊の話が不愉快だった。だから、話を逸らした。そうなんでしょう?/不愉快じゃない。/それがいけない。/だって、不愉快じゃないもの。不愉快じゃないのに、[「不愉快だ」って言え]って言うの?/そうじゃない。そういう話をしてるんじゃないんだ。あのね、ああ、もう! そういう話し方があなたの生まれ育った土地の言葉なら、そう言って下さい。私はそれを勉強しますから。/何のこと。/[イズ・イット・ア・ペン?]の答は、何だ。/分からない。/分からない? 何で。/だって、あなたが何を指しているのか、見えないもの。/私は、何も指していないよ。/だったら、分かっりこないじゃない。/そういうことじゃなくて、[イズ・イット・ア・ペン?]に対する答えを訊いてるんで、私はあなたに[イズ・イット・ア・ペン?]と訊いてるわけではないんだ。/え、嘘。/嘘じゃない。/じゃあ、何て言ったの。/[「イズ・イット・ア・ペン?」の答は、何だ]と言ったんだ。/同じじゃない。/同じじゃないよ。あのね、そういうことじゃなくて、ああ、もう、言ってしまおう。[イズ・イット・ア・ペン?]の答は、二つか、せいぜい、三つしかない。[イエス]か、[ノー]か、[アイ・ドント・ノー] それ以外のことを言えば、零点。/分からないって言った。/だって、それ、日本語でしょう? 英語で訊いたんだから、英語で答えてくれなくちゃ。/私、英語、苦手だから。/じゃあ、何語が得意なんだ。/何語も。/嘘つけ。自分語が得意なんだろ。誰にも通じない自分語が。まるでインテリが難しい言葉を使ったり、洋行帰りが外国語を混ぜて話すように、わざと自分語を混ぜて、人を見下すんだろう、えっ?/分からない、あなたが何を言ってるんだか。
 要するに、あなたは霊の話がしたくない。そういうことでしょ?/全然。/[全然] 何?/全然、そんな気ない。/そんな気って?/だから……/何が、[だから]だ。何で、また、ここに、[だから]なんてもんが出張ってくんだよ、え?/そんなふうに言われたら、言えない。/と、被害者面するために、怒らせてんのか。/全然、そんな気、ない。/じゃあ、何なんだ、一体。/分からない。もう、何も分からない。/今度は、劣等生の真似か。/もう、やめて。/やめるって、何を。/こういうの、いや/私だって、いやさ。でも、始めたのは、あなただよ。/私じゃない。/いいや、あなただ。/私、してない、何も。/くそ! いいか、あなたは、[本当に見える人だっているかもしれない]と言ったんだよ。/言った。それがどうしたの。/うん。そうこなくっちゃ。/え?/分からないの?/え?/ああ、また、通じなくなった。/そうなの?/そうですよ。/分からない。
 こういうことですか。[自分の気持ちは、言葉では言い尽くせない]と言うことは矛盾なので、[自分の気持ちは、言葉では言い尽くせない]とは言わずにいる方が正直だとでもお考えなんでしょうか。/そう。/だったら、[貼り紙禁止]と書いた紙を貼ることは、自己矛盾なの?/そう。/じゃあ、[私は嘘つきだ]と告白すること自体が、嘘なのか。/そう。/参ったな。いろんな規則を作っちゃったんだね。自縄自縛。/……
 私は、あなたに何かを言わせようとも、あなたから聞き出そうともしていない。/え?/何かを言わせたがっているのは、あなたの方だ。/違う。/違わない。/だって、私は、あなたの言うことがすんなり頭に入らないで、困っているだけ。/そうじゃなくて、私の言うことに反対なんでしょう?/違う。あなたが正しいと思う。/無茶を言うな。私の言うことが分からないのに、なぜ、私の言うことが正しいと思えるんだ。/だって、思う。/そう言っておけば、ここは丸く納まると思っているだけだろう。/丸く納めようとしちゃいけないの?/誰が[いけない]なんて言ったんだよ。/あなたが。/言ってない。/言った。/言ったように聞こえたのと言ったのとは、違うよ。/どうして。同じじゃない?/正気か。じゃあ、[疑わしきは罰せよ]と言うんだな。/そんな、裁判とは違う。
 どう言えばいいんだ。要するに、あなたが、私の言うことが気に入らないとか、反対だとか言いさえすれば、すっきりするんだが。/反対じゃない。/ああ、そうか。反対ではないが、賛成でもないというわけだな。/賛成してる。/賛成してるのに、なぜ、ちゃんと話そうとしないんだ。/下手だから。/上手い、下手じゃない。その気がないんだ。/あるわよ。上手に話せたらどんなにいいかと思ってる。/嘘だね。[上手に人を丸め込めたら]でしょう?/あなたは、私に悪意があるのよ。/あるよ。/ひどい。/ないとでも思ったかね。そんな話し方をして、他人に好かれるとでも思ったかね。/私には、悪意はない。/[「悪意に気づかれるはずはない」と思っている]と言うべきだな。あなたは、他人に比べたら私に対する悪意が少ないと思ってるのかもしれないけど、全人類に対する悪意が異常に大きいもんだから、何て言うか、そう、チンピラの言う、[撫でただけ]ってやつかな。/何?
 [何]って何だよ。/え?/だから、[何]って何なんだよ。/別に。/[別に]って、何がだよ。/別に、何も考えてない。/嘘ばっかり。何も考えていない人間が、人と違うことを言えるもんか。/違ったことなんか、言ってない。/言ってる。/言ってない。/言ってるじゃないか。/いつ。/今。/言ってない。/だから、そう言ってるじゃないか。/言ってない。/だから、言ってるって、今。/言ってない。/頭、大丈夫か。/分からない。/何が。/何も。/違うんだろう。/え?/分からないのは、[頭が大丈夫か、どうか、について]だろう。/そう。/じゃあ、なぜ、そう言わない。/言った。/言わない。/言った。/大丈夫か、本当に。/分からない。/何が。/何にも。/だから、それが違うって。/だって、本当に、私は何にも分からないんだもの。/くだらないことばかり言うな。おまえがいくら本当だと言ったって、こっちに、それが本当かどうか、確かめるすべはないんじゃないか。一体全体、誰と喋ってる気だ。/あなたと。/嘘だね。/どうして。/[どうして]って、何が。/どうして、私が本当のことを言ってないって、分かるの。/それが違うって/[違う]って、何が? ああ、分からない。
 ああ、頭がおかしくなりそうだ。/ならないで。/なるよ。/怖い。/だから?/怒らないで。/それでいいんだ。/怒らない?/だから、それが違うって。/え?/[怖い]とだけ言って、[怒らないで]と言わないから、私は怒ってるんだ。/なんだ、そんなこと? [怒らないで]と言ったら怒られると思った。それだけは言っちゃいけないと思ってた。/そう言われて怒る人もいるのかもしれないけど、[怖い]とだけ言って[怒らないで]という言葉に代えるような態度は、もっと、人を怒らせる。/怒らない人もいると思う。/怒らないのは、そのような手品に気づかないからだろう。つまり、あなたの気持ちが伝わっていないからだ。/え? 伝わらないのに、どうして、怒らないの?/もう、あなたとは、あんまり、話、したくないな。/して。
 あなたは、[丸く納めたい]と言うが、現実に丸く納まっているかね。納まっているんなら、問題にしなくてもいい。でも、そうじゃないんだから。/でも、他の人は……/他の人とならうまくやれる自信があるんなら、とっと出て行けばいい。/やっぱり、やれない。/他の人は、私ほど失礼じゃないから、黙ってるか、でなければ、あなたに興味がないから、気づかないんだ。/そうかもしれない。/[かもしれない]って、じゃあ、[そうじゃないかも知れない]ってのか。あなたは、私の言ってることを、ほとんど、聞いていない。/聞いてる。/ああ。そりゃ、聞こえてはいるだろう。鼓膜は震えているんだろうよ。そして、あなたは、私の言った単語を使って、別の文を組み立てている。そうでないとしたら、あなたは日本語を知らないんだ。/うん、知らない。
 [知らない]なんてこと、あるもんか。知らないんじゃなくて、[胸を張って「知っている」と言える程の自信がない]と言うべきだろう。/まあ、そうね。でも、分かり切ったことは省略していいんじゃない?/[分かり切ったこと]? これが?/だって、あなたは分かったじゃない?/あれこれ、考え合わせた結果ね。でも、[分かった]と言うより、[当たった]んだけどね。/でも、分かったんだから、いいじゃない。/会話は当てものか。はあ、当てものだと思ってるな?/何のこと。
 もう、いい。話が脱線するばかりだ。いいかい。あなたは、さっき、[本当に見える人がいるかもしれない]と言ったんだよ。/言った。/うん。いや、待て。その前に、片づけておく。あのね、私は、[本当のことを言え]と言ってるんじゃないんですよ。私が言っているのは、[嘘をつくな]ということです。/どう違うの。/嘘というのは、真実に反することではないんですよ。/ええ、違うの?/違いますねえ。嘘というのは、自分で嘘だと思ってることですよ。間違いは、嘘じゃない。じゃあ、テストで満点取れない人は、嘘つきですか。/違う。/正しいと思う答えを書いたんなら、嘘じゃなくて、間違えただけですね。/あ、そういうこと。でも、自分でも、嘘か、本当か、分からないときは?/分からないんだから、[分からない]と言えばいいんじゃないですか。/分からないかどうかも、分からないときは?/そんなときがあるとは、思えないけど。/ある、私は。/分からないかどうかも分からないときも、分からないと言えばいいんじゃないのかな。/分からない。
 何が分からないんだろう。でも、先へ行く。あなたは、さっき、[本当に見える人だっているかもしれない]という意味のことを言った。/言った。/でも、私は、本当に見える人のことは問題にしていないんだ。/じゃあ、いいじゃない?/いや、だから、いけないんだ。私が言ってもいないことを、あなたは、さも、私が言ったことのように反論した。単なる誤解なら、話は別だけど。/え? 誤解はしてもいいの?/あなたは、誰と話してるんだ。あなたは、ここにいない誰かと会話をしてて、その結果を、少しだけ、私に漏らしてくれてる。そんな感じだ。いいか、もし、誤解なら、あなたは、そう指摘されて驚くはずだ。しかし、あなたは驚いてはいない。だから、問題なんだ。/何が問題なの。/ああ、面倒臭い。あなたは、きっと、テレパシーを信じているんだろうな。/信じてない。/だったら、なおさら、始末が悪い。言葉も信じず、テレパシーも信じないとしたら、あなたはどうやって他人と通じ合えると思ってるんだ。/何となく分かり合える。/そうなんでしょうね。で、その[何となく]というのが曲者だという話をしていたんだ。/ええ? 霊の話じゃなかったの?/霊の話だけれども、しかし、私が言ってたのは、[霊が実在するか、しないか]とか、実在するとして、[それを見ることができるか、できないか]といった問題についてではないんだ。/えっ、違うの?/ね、あなたは、人の話をちっとも聞いてないって、分かった?/そうみたい。
 私が言ってたのは、霊かどうか分からないのに、何かが見えたような気がしただけで大騒ぎする連中のことさ。/その人達が、どうしたっていうの。/良くないと言ってるんだ。/どうして。/その質問は、私を消耗させるためだな。/とんでもない。/嘘をつけ。反対なんだろう、私の意見に?/全然。/[全然]、何。/反対じゃない。/じゃあ、賛成か。/え?/反対なんだろう?/どっちでもいいじゃない?/反対なんだね。/少し。/[少し]も、[たくさん]も、あるものか。反対は反対だ。/でも、そんなに反対じゃない。/[そんなに]がどんなにだか、私に分かるものか。/そうね。/[そうね]じゃなくて。/ああ、分かるわけないわね。/まあ、いいや。で、何が言いたいわけ。/別に。/嘘をつけ。隠してる。/隠してないわ。オカルトなんて、嫌いだもん。/[嫌いだけど、悪くは言いたくない]と?/いいじゃない、あの人達、勝手にやってんだから。/いいよ、私だって、彼らを海にほうり込んで鮫の餌にしようなんて、言っちゃいないよ。/じゃあ、いいじゃない。/良くない。私が言ってるのは、本当に見えると思っている人にとっても、見えるわけがないと思っている人にとっても、見えたふりをする人は邪魔だと言いたいんだ。/いいじゃない、何だって。/でも、あなたは、さっき、[本当に見える人だっているかもしれない]と言ったよ。/言った。/なのに、今度は、見えるふりをしている人を守ろうというの?/守らない。でも、守ったらどうだって言うの。/待て、待て。その質問は、へんてこだ。ああ、あなたは、もしかしたら、こう言いたいんじゃないの、[見えるふりをしている人は、そういうふりをしてみたいんでしょうから、させてあげればいい]って?/そうそう。/そういう態度に、私は反対しているんだよ。/厳しいのね。/厳しいって? あなたは甘いんだ。あなたは、きっと、勘違いしてる。[他人に甘くしておけば、いつか、その人達があなたに甘くしてくれるんじゃないか]と夢見てる。でも、あなたの厚意はその人達に伝わっているのかな。あなたは、その人達に、[あなた方の存在を許してあげます]って言って来た?/言ってない。/言ってないけど、伝わってると思う?/思わない。/いつも人のことを守ってやっているのに、誰もお礼を言ってくれないから、あなたは人を恨むんだね。/ああ、そうね。/[私は、傷口に、塩でなく、砂糖をまぶしてあげた。だから、傷口は喜んで私にお礼を言った]/私、そんな頓珍漢なことしてる?/してる。[私は、彼女がお金持ちになるように祈ってやった。だから、彼女は収入の一部を私に寄越すべきだ]/もう、いい。分かった。/[私は、商品を客に渡した。客は、妥当な金額を支払うべきだ]/それは、いいんでしょ?/さあね。どこからが妥当で、どこからが妥当でないか、誰が前もって分かるんだろう。お祈りみたいなことをして、お布施を貰って生活している人はいる。何がどうなって、こういうことになっているのか、誰かに分かっているのだろうか。テレパシーだって、そうだ。普通に推測して分かったのと、テレパシーで分かったのと、どう違うんだ。そこが私には分からない。また、もし、超能力を信じるのなら、テレパシーで相手の心が読めたのか、それとも、こちらが相手の気持ちを動かしたのか、どうやって区別するんだ。念力で物体を動かせるんなら、水蒸気か、埃か、集めて人の形を空中に作り出すことだって、可能じゃないか。それが、本当の霊なのか、霊の形をした物体に過ぎないのか、どうやって区別する。人が人の考えを理解するということも、本当は、どのようなプロセスで行われているのか、私には分からない。ただ、体験的に、よりよく分かると思われる方法を模索し続けるだけだ。/[分かる]って、どういうこと。/そんなこと、私に聞いて、どうすんだよ。あなたが分かったと思ったことが、分かったことだよ。/そうなの? でも、やっぱり、私には、分かったか、分からないか、分からないときがある。/信じられませんね。本当は、あなたは、こう言いたいんだ。つまり、[思いは言葉ではないから、言葉でいくら言っても伝わらない]/そうそう。/[そうそう]って、今、当たったんじゃないの?/うん。/[うん]じゃありませんよ。どうして、驚かないの。/あ、驚く。/嘘だ。驚いてない。ああ、分かった。[言葉で考えてるときもあれば、そうでないときもある]って言いたいんだな。/うん。分かってるのに、なぜ、訊くの。
 私があなたの考えを、そして、あなたが私の考えを代弁し合うのを会話だと思っているんでしょう?/違うの?/それは、[腹の探り合い]というんじゃないでしょうかね。/じゃあ、どうして、みんなは本当のことを言わないの。/と、みんなも思ってることでしょうね。/どうして、そんなことが分かるの。/いや、失礼しました。ほんのジョークです。でも、あなたは、どうして、[みんなが本当のことを言っていない]と分かるんですか。また、みんなが本当のことを言わなくても、[人々が本当のことを言わない]と分かっているのなら、人々の言葉の反対をやれば済むことではないんですか。/そう、うまくは行かない。/そうでしょうね。あなたは、ただ、こう思っているだけだ。[人々は自分勝手なことを平気で言っているのに、なぜ、私にはそうすることが許されていないのか]/そう。/だから、みんなもきっとそう思ってることでしょうね。/なぜ、そんなことが、あなたに分かるの。/だから、これはジョークですよ。/ジョークって、何。/それがなければ生きられない。/え?/あのね、あなたは、私が思っていることのすべてを言葉にしているとでも思ってるの?/違うの?/違いますよ。当然でしょう? さっき、あなたは、考えを代弁し合うと言ったけれど、人の考えが分からないのに、どうやって代弁できるんですか。/……
 聞こえる?/……/聞こえる?!/……/聞こえる?!!/聞こえてるわよ、そんなに大きな声、出さなくたって。/だったら、なぜ、返事をしない。/そんなに大きな声、聞こえないわけ、ない。/聞こえたら、答えろ。/答えてるじゃない。/今はね。/でも、さっきは答えなかった。/答えた。/その[さっき]は、私の言う[さっき]とは違う。/私は、自分の好きなようには喋れないの?/本気で、それ、言ってんの?/勿論。/喋れないよ。/どうして。/私が先に言い出したからだ。/早い者勝ちなの?/勿論。違うとでも思ってた?/じゃあ、私の[さっき]は、どうなるの。/そのことは、また、明日にでも話そう。/どうして。/何が、[どうして]なんだよ。私の[さっき]が気に入らなければ、[気に入らない]と、そう言ったらいいじゃないか。/言ったら、怒るでしょ?/怒るかもしれない。でも、これほどは怒らない。/信じられない。
 早い者勝ちだからこそ、チャンスは平等なんじゃないか。もしも、早い者勝ちでなきゃ、何だってんだ。強い者勝ちか。そんなの、当たり前じゃないか。あ、そうか、あれだな、弱い者勝ちだと思ってるな。違うか。弱いふりする者勝ちなんだな、え?/……
 あのね、[嘘をつかない]というのは、[本当のことを言う]というのと、同じではないよ。/どうして。同じでしょ?/あのね、[雨は降らないと思う]と[雨が降るとは思わない]は、同じこと?/うん。/ええっ? じゃ、[雨は降らないと思ったから、傘を持って出なかった]と[雨が降るとは思わなかったから、傘を持って出なかった]は?/うん。/まさか? じゃ、[雨は降らないと思ったので、わざと傘を置いて来た]と、[雨が降るとは思わなかったので、わざと傘を置いて来た]は?/うん。/へええ?/うん。/降るか降らないか、考えて、降らないと思ったのと、何も思わない……/うん。/ 聞いてないね?/あ、ちょっと眠ってた。何。/もう、いい。お休み。/お休み。


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