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#038[鳩] もう、あまり、考えずに書く。 子供の頃、女物の下着を穿かされていた。当時、子供の半ズボンは、グルカ・パンツのように長くて、野暮ったかった。だから、「東京の子供みたいに」極端に短い物を穿かされた。ところが、それだと下着が出てしまうので、女物を穿かされた。男物のブリーフは、まだ、売ってない。近所の子に見つかり、ひどく笑われた。母親に訴えると、ブリーフ姿のボディービルダーの絵を見せられ、「今度、笑われたら、この絵を見せてやりなさい」と言われた。そのとおりにすると、相手は、気持ち悪そうな目をして引き下がった。 冬も、半ズボンで通した。黒いストッキングに赤いガーターが目立った。赤は、女色。嫌がると、「町中捜し回って、やっと、見つかった」と、恩着せがましく、緑色のを渡された。 半ズボンにストッキングの子は、学校に数人しかいなかった。私にとって、本当に苦しかったのは、寒気や嘲笑に耐えなければならないことではなかった。私が、自ら好んで、そのようなファッションをしていると思わされることだ。私は、お洒落をしたがったが、それは、他所行きを着るとか、髪を横分けにするとか、ズボンに線を付けるといったようなことだ。ところが、そうしたことは、きつく叱られた。どうせ、好きな格好はさせて貰えないので、身の回りのことに構わなくなった。後に、母から、私が、幼い頃、あまりにお洒落なので、行く末を心配したと言われ、驚き、呆れた。 私の思いは、一言か二言で表現できるほど、単純ではない。そして、私の頭の中には、単純でないことを静かに聞いていてくれる人が住んでいない。いや、こう書いてみて、反省した。私の思いは、単純なものだった。ありふれた欲望。わざわざ、記すほどのこともない。要するに、子供達の中で名誉ある地位を占めたいと願う、ただそんなようなこと。そんな欲望ぐらい、さっさと満たせばいいではないかと、私の頭の中の人が言う。しかし、その人は、嘘をついている。私が、実際に動き出せば、難癖をつける。いやはや、こんな話、いくら書いても、きりがない。ご退屈様。私の頭の中に住む聞き手の思いの方こそ複雑だと思えないことが、私の頭のおかしさの始まりなのだと思う。私の話が単純過ぎて面白くないというのなら、私はあなたの好みに合うように、徐々に話を込み入らせてみせよう。しかし、難しいというのなら、私に打つ手はない。 「誰もやったことがないようなことをやって、世間をあっと言わせてやりなさい」と、母に言われた。あっと言わせてから、その後、笑われたり怒られたりするのでは、駄目なんだろうな。母は、私を使って、誰を驚かしたかったのだろうか。笑い者になることを死ぬほど恐れる生活に倦み果てて、折角、生まれて来たのだから、たまには威勢のいいことを言ってみたいもんだと思っていた矢先、たまたま、通りかかった私を、聞き手にしたとか? 人は、誰だって、羽目を外すことがある。飲んでもいない酒に酔って喋ることがある。大目に見てやらなければならない。だが、そういうことなのかどうか、私には分からない。あるいは、正規のルートでは頭角を現しそうもないので、そのことで塞ぎ込んでいるのかもしれない息子を、景気のいい話で慰めてくれようとしたのかもしれない。塞ぎ込んでいるように見えたとしても、理由はそんなことではないのだけれど。私は、頭角を現したくはない。目立てば、その分だけ、批判される。私は、失敗が怖い。失敗を恐れてはならない。失敗を恐れるのは怯懦である。しかし、失敗してもならない。失敗者は醜悪である。私は失敗を恐れ、失敗した。私は、怯懦で、醜悪だ。なんちゃって、卑下して見せれば、私の読者は満足し、立ち去ってくれるのだろうか。子供の頃なら、やりたいこともあったような気がする。だらだらと書いているうちに、そんな気がして来た。 「人は、どうして、私を利用しないのだろう、私は便利なのに」と、Lは言った。「自分からやってみたいと思うことは、何もない」と、Lは言う。でも、何かあるだろう。非現実的なことでもいいから、言ってみたら? すると、ちょっと考えてから、「母を女王様にすること」と白状した。そして、「やっと、すっきりした」と言った。そして、昔飼っていた犬のことを思い出したと言って、自分は犬嫌いだと思っていたが、幼い頃はそうではなかったのを思い出したと言った。犬の名を呼んで、泣いた。マリ。マリが、いつ、どうして、いなくなったのか、思い出せない。子犬を生んだ。チビ、チビ。どこに、遣られたんだろう。 [東京の子]が、私のお手本だった。「あなたは他の子達とは違うのよ、東京に行ったことがあるんだから」と言われた。私は、東京に行ったことがあった。一週間程、しかも、3歳になる前。うっすらとした記憶があるだけ。「覚えていない」と言うと、証拠写真を突き付けられた。上野動物園の檻の前で、不機嫌そうな私が、母親に抱かれている。車内食堂のテーブルの向こうで、私が「辛い!」という顔をしている写真もある。生まれて初めて食べたカレー・ライス。その強烈 な味に驚く表情が面白いと、父親はカメラを取り出し、さあ、もう一度、「辛い!」をやれと要求した。できない。水で口を濯げ。言われた通りにする。しかし、一度知ってしまった味に驚くことはできない。何度も、やり直させられた。 (写真/15字×13行) 白いテーブル・クロスに、白い皿、びかびか、光るスプーン。それらが、異様に確固とした表情をして、遠くに見えた。いつからか、[この人達は、私の本当の親ではない]という気がしていた。私にとって、多分、初めての外泊。その間、私は、ずっと体調を崩していた。親達の振る舞いが奇矯に感じられ、私は不安に苛まれていた。私の親達にしては[若過ぎる]と感じられた。ひどく幼稚。頼りにならない。 旅館の一室に寝かされ、人が繁く出入りして、私は発熱し、苦しみ、天井を眺め、[ここに来て、つらい目に会うなあ]と思っていた。どこから来たと思っていたか。 思い出した。私は、そのとき、[この人達は、本当の親ではない]と思ったというよりは、そう思おうとしていた。あるいは、そう考えた。幼い推理。 頭の上で体温計が振られる。熱はある。でも、微熱。体温計を振りながら、「微熱」と母親が言う。[ビネツとは、どういう種類の言葉だろう]と、私は考えている。大したことはないと、父親が言う。私は、はふはふする。自宅だったら大事を取るはずなのに、この人達は、[まあ、大丈夫だろう]というようなことを、勝手に言い合い、私に尋ねもせず、私には理解不能の「予定」とやらに従い、この先もことを運ぶ気でいるらしい。[ちょっと、待ってくれよ]というような言葉が、喉の奥で、ぐるると鳴ったか。 [この人達は私を誘拐したのだが、そのことに気づいたとは知られないようにしなければならない]と思っていたような気がする。だから、子供っぽく、体調を崩したり、不機嫌になったりして、帰宅せざるを得ない状況を作ろうとした。ついに帰宅の叶った日、私は、彼らをおいて、無人の家内に本当の親達を求め、声にして呼んでみた。ここにいるのにと応える父を、肩越しに睨み付けた。今に本当の父親が出て来て、不安げな笑みを浮かべた、この偽物を追い払ってくれる。 どれほど本気だったか。[本当の親は、別の場所にいる。だが、そのことに気づいていないふりをしなければ、危うい]というのが、その日以来、私の[世界]になった。そして、それは私の構えの土台となり、否定されないまま、息子のふりをする演技の時間が降り積もったと思う。 Lが重宝なのは、いわば漫才の相方としてだった、何にでも頷くから。うん、うん、そうね、そうそう、そうよね。[ウナズキンちゃん]と名付けよう。二人きりのときでさえ、私は観客を意識していた。思えば、観客とは親達のことだろう。彼らに向かって話しかける勇気はないので、Lに話しかけるのを盗聴させる気持ちで喋った。私が、何年も同じような話をして飽かなかったのも、漫才のつもりだったから。 私は、彼らに何を伝えようとしていたのか。あなた方は偽物だというようなことか。あるいは、私こそ偽物だというようなことか。 私の臑の、両方、同じ高さに、古い傷痕がある。小学4年生の頃、何度も、同じ所をバケツの縁にぶつけた。癖になって、バケツを見ると、決まって、ぶつかって行った。掃除の時間、放課後の倦怠から来る、ふわふわした感じで歩いていて、バケツを見ると、[あ、また、ぶつかるのかな]と思う。その思いが暗示になるのか、本当にぶつかる。[ぶつかると思わなければいい]と考えたが、やはり、ぶつかる。何も思わなければ、もっとひどくぶつけそうな気がして、怖い。バケツを避けようとすると、[では、どういう状態を避けるのか]と思い描くうち、その思いが描き出されるより早く、その回避すべき状態を実現している。いつも同じプロセス。バケツの高さは決まっているし、足を出す角度も決まっているから、大体、同じ所をぶつける。痂が取れかかる頃、また、ぶつけ、抉れ、肉が剥き出しになり、深い傷になった。 どういうことから、ぶつけなくなったか。どういう思い方をしたから、ぶつかる癖がなくなったか。どういうふうにか、思い方を変えようとした記憶がある。[ぶつかる]という暗示を、[ぶつからない]という暗示に切り替えたか。今、思い出そうとする。現在の困難を切り抜けるヒントになりそうな気がして。[どうせ、ぶつかるのだから、ぶつかってもいい]という思い方だったか。 ここで、別のことを思い出してしまった。明るい日光の当たる木造校舎。廊下に膝を着き、拭き掃除をする少女が、驚いて、いや、不気味な物を見るように、私を見上げている。その目と出会い、私は臑の痛みに堪えつつ、笑いに紛らそうとしている。しかし、彼女の表情は、却って強ばる。私は、自分が、ひどくおかしな動きをしていることに、やっと気づく。脚から出る血を見せびらかし、笑って貰おうと思って、笑っている少年。[いつもなんだ]とか、問われもしないのに無益な弁解をして、それで通じると思っている。 小学6年生の頃、首のない筋肉男の絵を、よく描いた。首は、時々、後ろの棚の上に置かれた。目は閉じている。肩から頭部にかけての線が難しくて、ごまかすために首を離した。目も難しかった。自分が気味の悪い物を描いているとは、指摘されるまで、思わなかった。背景は荒野。疎らに、草。 その筋肉男は、父親だった。私は、空想の中で、何度も、父親の首を切り落とした。夢の中で、父親から逃げなくなったのは、30歳を過ぎてからだ。言葉を返せるようになったのは、その後だ、勿論、夢の中で。 私の字は、変だ。落ち着いていれば、まだしも、落ち着こうとすると、頭の中が、ぐじゃぐじゃっとして、字がぐじゃぐじゃになる。父は、自分の字が自慢だった。活字のような字を書く私に、父は鉛筆を握らせた。父の字を、私は真似する気になれなかった。いくつかのことで、父の言うとおりにして、人に叱られたり、笑われたりした。そのことを父に訴えても、にやにやされるだけだった。父が正しくなかったとは限らない。問題は、そういうことではない。言う通りに書かないので、鉛筆を持つ手の甲を、父が、物差しで、ぴし、ぴし、打った。楽しそうに打った。良い音がするように、工夫をして打つらしかった。生徒の手の甲を打つために物差しを使うことを思いつくと、楽しそうに捜し、そして、捜し当てたときの父の嬉しそうな顔を思い出す。打ちながら、自分もこうして教え込まれたと、言いわけでもするように呟いていた。私は、父も、父に字を教えた人も幼稚だと思った。いくら打たれても、できないふりをしてやった。[打たれたら、できた]という先例を作らせてはならない。[できなくて困る]という顔を拵え、ひくひく、首を捻って見せた。赤く腫れて感覚が鈍くなる手を他人の物のように眺めながら、この根比べを、内心、楽しんでいた。そして、私が勝った。筋が悪いと言われた。筋が悪いと思われれば、もう、教え込まれないで済む。叩かれずに済む。私の字は、もう、活字のようでもないし、お習字の字のようでもない。この変な字は、勝利の証しだ。誰にも知られてはならない勝利。秘密。知られたら、恐ろしいことになる。 構われない方が安全だった。構われないためには、愚かでいるに限る。親の期待を背負えそうな才能を見せたら、苦労させられる。たとえ、どのように嘲笑されても、役立たずでいる方が安全だ。いや、どうせ、嘲笑からは逃れられない。 一番古い、夢の記憶。5歳の頃か。左右から、骸骨が何体も出て来て、武器を手に闘う。刀、槍、盾? 岩。下草? 背景は、闇。両者、旗指し物を背負っている。一方の骸骨の旗は、日の丸。敵は、米軍? ひどく恐ろしかった。何度も見た。この夢の話をすると、父は嘲笑した。 自分の指が肥大する夢。その素材は、TVの時代劇で、妖術使いが、自分の指を肥大させ、主人公の少年を怖がらせる場面だ。指は、こちらに向けられ、アップになった。夢の中で、仰向けに寝ていて、擂り粉木ほどの自分の指が胸に載り、その重みで起き上がれなかった。庭に倒れていた。花畑? 息苦しくて、死にそうだった。ふと、頭の近くに咲いている白い花が目に入り、徐々に安らぎを覚えた。いつか、その花が、胸に載っていた。少し捩れるようにしてキャメラが上がる。周囲は、白い花。その花は、実際、庭に咲いていたと思う。花の名は、知らない。ほら、庭の溝のそばに咲いているみたいな。 「花」と言った途端、父は声を上げて笑った。[どうせ、笑われる]と、覚悟はしていた。しかし、あまりにも予想通りだったので、腹が立つよりは、白けた。「花」という言葉で笑うなんて、子供から見ても、その反応は滑稽だった。自分は薔薇作りに入れ込んでいるくせに。広くもない庭に、芝生と薔薇。遊ぶ所がない。近所で珍しがられた。が、数年で、飽きて、放棄。荒れるまま。 深夜、がばと起き上がり、ひどく怯えた様子で、「布団の上に、青い蛙がいる」と訴え続けたという。まるで覚えがない。翌朝、両親は、しつこく、笑い者にした。 彼らに悪気はない。彼らは、遊んでいただけだ。私は、その遊びを知らなかった。今でも、どんな遊びなのか、知らない。遊びだろうと推理しているだけのことで、よしんば推理が当たっていたとしても、どうにかなるものでもない。 [夢/19950804] ペニスを切り落とせば後から大きいのが生えてくるという話(やまがみたつひこ『ガキ刑事』〜?)だ。私は、中腰でいる。寝ているLの腰を持ち上げている。その股間に、私の物が埋まっている。根元を、まじまじと見詰める。ここを、剃刀で、すぱっとやるのだな。どきどきする。 (切断されたペニスは穴を塞ぐ。瓶に栓をするように。栓は、少しだけ、外に出たままだろう) 黄色の家の居間。薄暗い。私は、寝室を背にしている。母がすぐそばにいて、電気炬燵が出ている。しかし、冬ではないようだ。玄関、台所に通じる襖が半開きで、そちらは明るいか。全裸の私達を見ているのか、いないのか、母は長いスカートを広げて座っている。そして、「お父さんも、そうして大きくなったのよ」と言う。信じられない。父は、陰萎ではなかったのか。(「男ではなかった」と、母は父について書いて来た) 落ちたペニスの断面から、(引きちぎられたコードのように)白い蚯蚓のようなものが3本ほど出るのだろう。ちくちくする絨緞の上に落ちて。絨毯は赤い? (以前、その色の絨毯を敷いていた。その色は、蠅取り薬の色でもある。母は、薬の上に座ったのを知らずに、尻に赤い色を付けたまま、買い物に行って、後で気づいて、怒りながら恥じていた。小学生の私には、その拘りの理由が想像できなかった。母は、二度と、その店に行かなかった) 問い詰めようとするが、母の目と出会わない。どこか、遠くを見ているよう。奇妙な確信が、繰り返し、口にされている。切れば、大きいのが生えてくるの。譫言のよう。譫言のようにして、聞かせているのか。 母は、若い。性愛のことなど、ろくすっぽ、知りもしないくせに、聞き齧りで、ものを言う。聞き齧りだということに気づいてもいない。背伸びした少女の、変にきらきらした、底の浅い微笑。 長くて白いスカートが、丸く広がっていて。 (そんな服を着て、そんな姿勢で座る、若い女を見下ろしていたことがある。彼女は私を避けた。彼女が私を避ける理由は、私には想像できた。しかし、私が彼女を避ける理由を、彼女は想像できまい) 騙されて切ってしまったら、取り返しがつかない。 (Lは、夢の中で、ときどき、母親と同一視されたが、この夢では、別人として登場している。そして、ある女が母親と同一視されている。その女も、[どこかへ行ってしまう]表情をすることがあった。そして、そのせいで、私は、[彼女と関係を持ってしまったら、取り返しがつかないことになる]と思っていたような気がする。初めて彼女を見た瞬間、私は、彼女が悪い冗談の一部であるように思った。あるいは、子供っぽい罠。誰だって、見破れる。彼女は、過去からやって来た人のようだった。私の経験することのなかった、看板絵のように鮮やかな青春からやって来たとでも思ったか。古い洋館の、薄暗い階段を上って、軽い疲労を覚え、踊り場から手摺りに捕まりながら数段上り、後どれくらいか、確かめようと仰ぎ見た、ちょうど、そのとき、彼女は正面の部屋を出て、横の部屋へ入って行くところだった。首だけが、すうっと宙を水平に移動する感じ。胴体が手摺りに隠れていた。私は、苦笑した。その女の頭部は、私をいたぶる目的で、何者かが遣わした、言わば餌だと思った。彼女は、自分が餌にされているとも知らず、そんな頭部を載っけていて、そして、結構、ご機嫌らしい。私は、正面の部屋に用事で来た。私は、そこで、しばらく、待たされた。待たされながら、彼女の消えた部屋を、ちょっと覗いてみたいという誘惑と闘っていたか。ところが、数分後、彼女は、私のいる部屋に入って来た。その後、何度か、同席する機会があり、私は、彼女に、彼女は[過去からやって来た人]だということを教えたいと思った。しかし、その思いは、言葉にならなかった。[過去からやって来た人]だということを伝えたいのか、そう伝えたい自分の気持ちを感じ取ってほしいのか、判然としなかった。私は混乱した。最後に見かけた夜、その前に彼女を見てから、すでに1年近く経っていたが、そのとき、初めて、彼女が大学を出て結婚するらしいと知った。あるいは、その結婚は親に反対されていたか。彼女の目の前では、そうしたことは話題にならなかったし、話題が何であれ、私は、彼女の私生活に興味はなかったので、正確な情報は持たない。彼女が聖女であれ、魔女であれ、私には関係のないことだ。私は、[彼女と私の間には、何の関係もない]ということを、彼女に伝えたかった。[あり得たかもしれない、あなたと私の物語を、私は拒む]とでも伝えたかったか。しかし、[付き合いたくない]と告げて意味が生じるには、ある程度の付き合いがなければならない。そのために付き合うというのも、おかしなことだ。その夜が最後だと分かっていたのに、別れの挨拶さえ交わさなかった。彼女がいなくなって、ほっとした。ところが、その後、私は、彼女を見かけた場所を歩いていて、不意に、彼女が姿を現すような気分に浸されることがあった。数年後、[彼女の顔も思い出せない]と言葉にして思った。すると、その数日後、彼女が夢に登場した。そして、その後、いくつもの夢の中で、彼女と私の物語が、続き物のように展開した。その物語の中で、彼女は成長した。ジェニー(ロバート・ネイサン『ジェニーの肖像』)のように、夢に出ていない間にも成長していた。私達は、喧嘩別れした友達のようだった。怒りは解けても、友情は復活しない。友情が復活しないことが、怒りの復活しないことの担保のようでもあった。私達の間に怒りの感情が生まれないことを確認し合うような立ち話があって、すぐに彼女を見失う。が、全身に痺れのような、甘い快感が広がり、そして、それは覚めても持続した。私は、夢の通信を信じ始めた) 異様に赤い血の印象。 父の古いペニスは、どうしたろう? 切ったのなら、それが残っているはず。 チベットに送った? (贈った??) ガラス瓶に容れて??? 整理棚、白木?の骨組みだけ。並ぶガラス瓶? 中に、棒状の物体?? (干しバナナ?) 明るい部屋? 白衣の研究者?の後ろ姿が去る? さっぱりした感じの中年男? 眼鏡? 西洋人? 頬髭?? (トロツキー? 亡命……、暗殺! 背後から、こめかみに拳銃。割れた眼鏡がタイプライターの上。映画の一場面。キーボード) 鉢植えの観葉植物?? 鉢を包む藁束? 零れた泥。板張りのフロア。(研究所と言えば、板張り) チベットの山々のイメージ。通俗的な異国趣味。緑の少ない高地。近代文明の反対物として浪費されたシャングリ・ラ? 胡散臭い。嘘だろう。嘘に違いない。思いついたことを、本当のことのように、すぐ口に出すのが、若さを保つ秘訣か? むかむかする。 でも、「切らなければ」という思いを払拭できない。 ……本……。紙の束? 書類。記号。意味不明?? チベットは遠い…… ─どこかの町の電線に、大きな鳥が、何羽も、止まっている。黒い鳥の一羽が、別の一羽に捕まり、ぶら下がって、交尾。 (故郷の繁華街? TVが壊れたので、妹と新しいのを買いに行った。TVは、隣の部屋の物音を覆い隠すための必需品) 電柱?の横に、鳥の縫いぐるみに入った西川のりお。その股間に、一抱えもあるペニスが突き出ている。暑苦しい縫いぐるみを脱がされると、また、別のペニスが出てくる。また、脱がされる。その度に少しずつ小さくなるが、剥いでも剥いでも、きりがないようだ。グロテスクなほどリアルな物もある。あかんべえした舌も出た。 (夢で逢う女の顔は、思い出せない。ある夜、鏡の前を通り、彼女の顔を認めたと思った。流し目。私の顔が彼女の顔に似ていると言えば、知る人は、笑う前に訝しむ。しかし、私にとって、彼女の顔は、私の顔だった。そのことに気づかされた。彼女は、私だった。彼女は、少年の私の成り損ないだった。彼女の皮を剥げば、私が出てくる。[彼女の心の鎧を脱がせてあげたい]というのと、[彼女の化けの皮を剥いでやりたい]というのは、趣意は正反対のようでも、やられる側にとっては大差あるまい。ところが、やる側の私の気持ちとしても大差ないのだった。だから、近づくのが怖かった。しかし、彼女の皮を剥がさなければ、私が窒息死する。彼女は、不当にも、私を閉じ込めている。胎内回帰願望の裏返しか。彼女の裸身を拝みたいということでさえない。私は、何だろう、彼女に、[あなたはボクを解放すべきだ]と訴えたかったのか。彼女を初めて見てから、数カ月、夢を見た。私には半眼で眠る癖があり、そのとき、部屋に吊るした自分のコートが見えていたらしい。それが首吊りに見えた。恐怖で体が強ばった。人の部屋で首を吊るとは、何事か。多少、腹立たしくもあった。夢だと気づいたが、素材は見えているので、否定しきれない。苦しい。すると、風もないのに、吊られた体が、くるりと向いた。そして、ニヤリと笑いかけた。怖かった。そこまで聞くと、彼女は気味悪そうに顔を歪めた。その反応に気を殺がれ、私は口を噤んだ。だから、その首吊りは彼女だと告げるには至らなかった。そのことを告げさえすれば、彼女に対する私の言動について、彼女の抱いているはずの疑問が氷解するかのように思っていた。いや、首吊りが彼女だと了解されたかのような錯覚を、数秒間だが、私は抱いた。引き攣った顔を、了解の証しと取った。彼女の恐れが、彼女自身の死に対するものでもなく、私が彼女に抱く恐れの伝染によるものでもなく、私という男に対する恐れだと気づいたのは、しばらく経ってからのことだ) 西川のりおの独りよがりな愚痴を聞かされる。営業に行った先で受けた、屈辱的な扱いについて。落ち目の芸人、処置なし。 歩いて来て、郊外のバス停。バスは、滅多に来ない。用を済ませた後? 木製の腰掛け。背凭れは、板壁。板庇。向こうは日が照っていて、薄青の水の広がりが、少しだけ、見える。 (その水の素材は、以前住んでいた部屋から少し離れた所にある、古い溜め池。その辺りに住んでみたいと思ったことがある?) [夢/19950807] 黄色の家の中庭。近くに鳩小屋? ボクは広い方?に背を向け、拳を握り締めて立っている。堅い。そのボクを、私は、まだ、そこに、そのままにしている。声を掛けても、振り向きはしない。私は、ボクの気性を飲み込んでいる。肩に手を掛ければ、振り払われる。少し近づいただけでも、私の目の届かない所まで逃げ去る。私は、ボクのことをどうすればいいのか、分からない。ボクをそのままにして、私が、また、一つ、年を取る。 足下にボクの犬が座り、私を見上げている。ボクを見て、私を見る。不器用に腰を浮かし、そそくさと座り直す。繰り返し。極めて犬らしい動き。合図を待っている。安全装置を掛けたり外したり。アソビマショとでも言いたげな、犬の体。 ネエ、モウ、ソウイウノハ、ヤメニシテ、アソビニ、イキマセンカ。 合図を待っているのは、私なのに。 私には、振るべき尻尾がない。(私には、[tail/tale]がない) 私が遊び出せば、ボクは振り返るのだろうか。 危険な賭けだ。 でも、私達(犬と私)なら、できるかもしれない。 デキマスヨ、キット。 私は、犬の首を撫でてやる。そして、誰にともなく言う。いい犬だ。すると、少年の肩が、嬉しそうに、少し、下がる。 ……でも、もう、止そう。 私は、ボクが私の胸に飛び込んで来る様を思い浮かべた。 だから、今日は、ここまで。 だって、信じられない。ジャンプした少年の体が巨大な火の玉に変わり、火の玉は私に向かって進み、私は衝撃波を受けて消滅し、そして、ようやく、本当の世界が始まる……なんて! 教訓。ボクの心を読もうとしてはならない。読まれると思うと、ボクは事態をわざと悪化させる。 くるっくう ハト ナイテ シズカ マヒルマ |