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#046[肉桂紙]04 洪水が町を襲う。明け方、揺り起こされた。やけに天井が近い。積んだ畳の上に寝かされていた。二階のある、向かいの家に避難する。その家の女の人にボクの体を預けると、父は、川になり始めた道を、ザブザブ、戻って行った。女の人に抱かれたまま、背中を見ていたが、父は振り返らなかった。父のゴム長が欲しかった。いつになったら、あの大きな長靴を履けるようになるのだろう。二階に、近所の人が集まる。雨は降り続き、道は川になり、夜半、自宅に物を取りに戻った若者が流木に当たって見えなくなった。そんな話をおとな達がしているのを、うつらうつらしながら耳に入れていた。では、あれは、「うわあは」という、女の、どこか気の抜けたような低い叫びや、「うふふう」といった、男の呻きなどは、目撃者のものだったか。夜、黒い水は、ぬめぬめと鱗のように光る。黒と白だけの絵。黒は深く、重く、白は小さく、そして、揺れる。ボクの体は、乳飲み子のように布に包まれ、重ねた畳の上に、ぽつんと載っている。手も足も出ない感じ。おとなの顔が怖い。怖い夢だなあと思っている。蝋燭の光で影が壁から天井へと這い上がり、そして、崩れる。影は、ふわふわと揺れる。その中に、人の体が鋳込まれる。黒いくせに、ギラギラした感じの体。何だか、目が痛くなる。早く消えてくれと願う。うろうろするな、座れ。中学生ぐらいのが、きつく言われている。そして、座る。ある朝、雨は止んでいる。小舟が屋根を艀にするのは、うきうき、面白い。父達が、吸い殻を奪い合う。母が、その醜さを、後々、話題にすることになる。積み上げた畳の谷間を子供が走り、叱られている。おや、おとな達は、いつ、元に戻ったのか、弱り切って、もう、威張ったり叱ったりできないと思えたのに。おとなは、勝手だ。数日後、自宅の縁側で、新聞を敷き、握り飯を食べている。飲み物は、お茶しかない。ボクは、お茶は嫌いだ。父が、水を吸った柱を拳で叩き、家を出る。 (小学生の頃、[災害で下校できなくなり、校舎の二階に、子供だけで泊まり込む]という夢想を楽しんだ。災害というのは、洪水だったようだ。校庭が浅い池になっているのを、薄暗い教室の窓から、何人かで眺めている。板の間に布団を敷く。剽軽な誰々君と、夜通し、冗談を言い合おう。離れて座る女の子が、ときどき、聞こえた冗談に、くすくす、笑う。女の子って、どんな冗談が好きなんだろう。一週間ぐらい、閉じ込められてみたかった。学校が楽しいというほどではなかった。ただ、とにかく、帰宅したくなかった) 昼前、道を駆けていて、転ぶ。しばらく、俯せのまま、泣いていた。誰も来ない。誰も通らないのが、裏切りのように思えた。意地になって泣く。でも、無駄。泣き止む。また、泣いてみる。泣いても泣かなくても、風景に変化のないことに気づく。痛みは全身を包むものではないことにも気づく。痛いのは、膝と、そして、胸のあたりぐらいで、後は、どうということもない。頭なんか、ちっとも痛くないぞ。発見。その瞬間、「世界は、ボクがいても、いなくても、存在し続ける」と悟った。ボクは立ち上がった。生まれて初めて、転んで一人で立ち上がった。喉から胸にかけて、キーンと、細い、半透明の管が通る感じがした。管の両端は斜めに切り落とされ、尖っている。それがもやもやした枠に入って、空に浮かんで見えた。空は、儚い、薄い水色をして、冷たそうだ。甘えを捨てることに未練はあったが、誇らしい感情の新鮮な味わいが魅力的だった。何だ、こんなに簡単なことだったのか。誇りと侘しさ、あるいは、悲しさが、同時にボクのものになった。この背反する思いは、ずっと、ボクのものなのだろうと思った。この思いだけは変わらないと信じた。母に、このことを告げようとした。しかし、伝わらない。もごもご。ボクを面白そうに見つめる、丸い二つの目の中に飛び込みたかった。跳ね返された。当然だと思った。 転んで泣いて、土に半ば埋もれた飯茶碗を見つけた。元の形のまま、割れて埋まっている。その絵柄には見覚えがあった。うちで使っていた茶碗だ。あんなに凄まじい水だったのに、人だって死んだのに、茶碗を家の前に運んだだけだったか。その一片を掘り出し、母親に見せに走った。母親は、よく見もせず、いきなり、怒った。なぜ、怒るのだろう。そんな物、どこにだってあると言われた。でも、ボクには確信があった。「それをうちの物だと認めてもらえない限り、自分もどこの者か、知れないぞ」という感じが、少し、した。母に、ボクの思いは、伝わってはいるのだろう。でも、ボクの思いには何か良くないものが混じっていて、だから、伝わらないふりをしているのだろう。洪水の記憶を蘇らせてしまったことを咎めるふりをしながら、実は、ボクがボクなりの思いを持つこと、そのものを咎めているのだろう。そうに違いない。 (碗の絵は、青い唐子だった。食事のとき、その唐子と目で遊んだ。食べたくない物のとき、彼は同情してくれた。すると、ボクは我慢して食べることにした。でも、やはり、絵は絵なので、大抵は、何の反応もない。彼は、曲がりくねった木の枝に飛びつこうとしていた。碗を回せば、鞠のような物が落ちていたか。それが彼の手に戻る日は決して来ないと思われるのだが、一度は自分の手の中にあった、小さな鞠を追って、彼は永遠に遊び続けるのだろう。自由で、孤独で、もの悲しい世界。ボクの方でも、少し、彼に同情していた。ボク達は、淡く理解し合っていた。ただの絵だ。父は、そう言ったか。すると、ただの絵になった。無言で呼びかけても、彼には届かなくなった。昔は、応えないのは、おとなが見ているときに限られていたのだが) (昔は、友達が大勢いた。彼らは、ボクがボクになるにつれ、一人去り、二人去りして行った。箪笥の上からボクを見下ろしていたのは、熊の縫いぐるみだったか。極彩色の陶器の鸚鵡。がらがら、回る、天井から吊るしたおもちゃに描かれていた、平板な顔。ミルクの缶の、笑い止まない赤ん坊。時計の針が、ある角度を作るのを待っていた。4時40分は、いい。3時40分も、悪くない。2時50分は、退屈。1時50分や10時50分は、怖かった。怖い時間、乳児が時計に手を伸ばし、泣く。おとなには、分からない。どうして分からないのだろう。今、私は思う、どうして、分からないのか、目尻を上げ下げして笑わせたり怖がらせたりする、時計の小父さんのことが) ボクの生まれる前にも洪水があって、大きいおなかを抱え、母は、父に助けられながら、泳いだという。 ボクも泳いだ? ボクも泳いだと思う。泳いでいる自分を思い出す。おなかの中で、きゃっきゃと、はしゃぎ、犬掻きのようなことをしている。 (いや、そのときは妊娠3カ月だったはずで、[おなかが大きい]というのは、誇張だろう。あるいは、常套句。常套句の羊水を泳ぐ私。泳げた自分を想像するのは、楽しい) ボクは、男の子達と遊び始める。この間までは、えいえいおう、鬨の声を上げる彼らを、別の種族のように眺めていた。「男の子達がね」と言いかけ、「おまえも男だ」と、ぴしゃり、父に決めつけられた。 男の子は、口笛を吹く。ボクは、台所で、口笛の練習をした。母が、炊事をしながら、「あ、鳴った」と振り返り、微笑む。短いが、確かに、鳴った。しかし、ぴーっと鳴るようになると、今度は、口笛は下品だと禁止される。振り返り、「あ、動いた」とも言う。母は妊娠している。ボクに気が向かない。そのことは理解するように言われ、理解したつもりになっている。 男の子達と、防空壕を探険する。奥に人間の骸骨があると言われていた。汚れた痩せ男の留守を狙い、食器一式をひっくり返す遊び。ある日、男は予想より早く帰宅し、子供は泡を食って逃げる。そのとき、壕の前の坂を腹這いのまま滑り落ちて、ボクは火が点いたように泣く。威嚇していた黒い男が、悲しそうな、怯えた体で近寄る。父が、あの男に会って話をしたが、あれもあれなりに、いろいろ、苦労したようだと、母に言っている。親はあるか。あるにはあるが。 (はて、これは本当の記憶だろうか) 陰嚢がボールのように腫れ上がり、太い注射器で膿を抜かれる。ひどく痛い。手術室のガラス越し、父母がこっちを見て笑っている。ボクは泣き叫び、手を伸ばし、救いを求める。なのに、助けるどころか、笑っている。これは、一体、どういうことか。 治りかけ、尿道から青い膿が出る。マーブル模様の、きれいな膿。やっと歩けるようになり、ひなたぼっこばかりしている。遊ぶ体力はない。家の周囲を、ゆるゆる、歩くと、もう、ぐったり。性格が変わったように、静かになる。路上で、小母さんに、久しぶりに会う。人のいない空き地に誘われる。膿を見せろと言う。平たい、大きな石の上に載せられる。特設舞台。包帯を巻き取り、腰を突き出す。母や看護婦がするように、しごいてくれると思った。ところが、自分でやれと言う。手を出そうともしない。両手は、割烹着に隠す。仕方なく、自分でしごく。出るとき、痛い。苦痛に顔を歪め、同情を求める。しかし、小母さんは腰を折り、変な顔をして、膿の出る様子に気を取られている。尖った目。絵の具のようにどろりとしたものが、べたっと石の上に落ちる。「あはあはああ」というのは、小母さんの声にならない声だったと、少し後から了解する。もう、出ないのかい。ちょっと怖い言い方。頑張って、数滴、絞り出す。が、それ以上は、痛くてならない。泣きそうにしたので勘弁され、包帯を巻き終えると、小母さんは、いつの間にか、明るい顔に変わっている。お菓子をくれた。このことは誰にも言うんじゃないよ。 女の子達は、その一日を、ふわりとやり過ごす。待っている。ただ、待っている。でも、男の子達は、忙しい。朝から晩まで、探し回る。何が待たれ、何が探されているのか。 夕暮れ、「あ、ミットソン」と、空を指して言う声。だが、ミットソンなる鳥は存在しない。見ると損。種明かしされても、なお、空を探すボクは、笑われる。ボクの目は、もう、ミットソンを捉えないではいられない。木菟のような鳥が、翼を畳んだまま、中空を、前向きで、すうっと横滑り。そんな姿を見ないではいられない。むきになる。男の子達とは、気が合わない。一人で遊ぶ。 浅い川に入り、洗面器で目高を掬う。アルマイトの洗面器を水に潜らせると、先に入っていた獲物が逃げてしまう。新しいのと古いのと、入れ替わるだけ。数は変わらない。何度やっても同じこと。むしゃくしゃする。もう一個、容器が必要だろう。だが、取りに帰る気になれない。薄い皮膜のような不機嫌さが、いつも、ボクに張り付いている。川床のぬめりに足を取られ、ふらつく。洗面器の水と体の中の水の揺れを相殺させようと、踏ん張る。 そんなやり方では駄目だという声がする。声の主を探すと、橋の欄干の間から、あの子が首を出している。何か言い返してやりたいが、言葉が見つからず、黙って睨み付ける。あの子は、欄干の柱をぐっと握り直し、また、ボクのやり方を批判する。無視して、作業を続ける。水を掬って体を起こすとき、洗面器の中で水が大きく揺れ、その揺れに身体が持っていかれそうになる。そこを堪えて見上げると、あの子と目が合う。お互い、黙っている。もう一度、掬う。空しい作業。何度目かに見上げたとき、あの子の姿はなかった。日は暮れかけていて、薄い橙色の雲。 あの子の家の裏に、子供が集まっている。あの子は、他人など眼中にないかのように振る舞う。買ってもらったばかりの学習机に向かい、本を立てて読むふり。机の横に、赤いランドセルが掛けてある。本を閉じ、つっと立って、ランドセルを背負い、部屋の中を歩き回る。その間も、こちらを見ない。ランドセルを置いて、中から本を取り出し、椅子に掛け、また、読む真似。あの子は室内にいて椅子に座っていて、庭にいる子供は見上げるのだから、何だか、忌ま忌ましい。お得意の一人芝居を終えると、あの子は、近所で自分用の椅子と机を持っている子は自分だけだと断言する。ボクは、人垣の後ろから、「ボクだって、持ってる」と主張する。嘘だ。嘘じゃない。嘘だ。あの子は、床に座り込む。あの子の怒りが移ったかのように、他の子までが、ボクの言葉を信じない。ボクは、ぷりぷりして、一人、退場。 夕暮れ、裏の木戸を開けて、あの子が入って来る。久しぶりだ。冬の風が庭を吹き過ぎ、肌寒い。ボクは縁側にいて、あの子の姿を認め、そこにいるように言い置き、奥から、文机を、ずるずる、引きずって来る。お絵描き用の、古い、小さな文机。ほら、言ったろ、これはボクの机だ。あの子は何も言わない。寂しそうな顔になり、帰って行く。そして、そのまま。 空気の縞模様が見え、所々で淀む。わざと小さな嘘をついてみる。そして、そっと辺りを窺う。何か、変わったか。変わらない。風景も、空気も、人の顔も、自分の気持ちも。天の神様が罰を与えるために降りて来るのを待つが、誰も降りては来ない。 郊外に転居。保育園の面接を受けに行く。いくつって訊かれたら、四つって言えばいいんだよね。4歳。指を立てて、母に示す。4は曲げやすい。3は難しかった。2より難しい。4は楽だ。5になれば、もっと楽だろう。早く、5歳になれたら、いいのに。 (私のアルバムの巻頭に、指を1本立てたボクの写真がある。1歳という意味。指を1本だけ立てればいいんだねと、ボクは人に尋ねた。本当は、知っていた。でも、一応、尋ねてみた。ボクは、1歳というよりは、ほとんど、2歳だったから。その写真は、再現写真だ。半年ほど前、男の人が来て、ボクの写真を撮って帰った。そのときなら、ボクは、まだ、1歳と言ってよかった。1歳になりたてのときの、あの気持ち! 部屋が暗くされ、蝋燭1本だけの光の中で、ボクは自力で生まれ直した。すべての始まる予感。いくつと訊かれるたびに、一つと答えることのできる誇らしさ。それまでは、いくつでもなく、まるで存在しないかのようだった。年を尋ねられて答えられないこと、それ自体の苦痛に圧し潰されるようだった。答えられず、難しい顔をした。一つになって、年を訊かれるのが嬉しかった。いつでも訊かれたかった。部屋の奥から駆けて来て、飛び込むようにして、1枚の座布団の上に腹這いになった。座布団から少しだけ足が出ていた。ボク、いくつ? 指を立てた。一つ。その瞬間、シャッターが切られた。ところが、なぜか、撮り直しになった。若い男の人が来て、失敗しましたと照れながら謝った。そのころは、もう、心の中で、二つと答える準備を始めていた。だから、1歳であることの喜びを再現するように迫られ、部屋の奥から、ばたばたと速足で来て、もう、背が伸びて2枚にされた座布団に、だらりと腹這い、一つと答えてしまった、その侘しさ、悲しさは、言葉にならない。思えば、このときが、ボクが嘘をついた初めだったか) 入園式の後、靴が見つからない。私の靴にそっくりの靴が残っていたが、そこに置いた覚えはない。その場所に来たのも、生まれて初めてなのだ。裸足で泣いて帰った。実は、靴は、父兄が移していた。全員の靴が移っていた。他の子は、自分の靴を見つけた。ボクには、見つけられなかった。 ([なぜ、自分には他人と同じことができないのだろう]と思って来た。しかし、この疑問は嘘の疑問だということに、そろそろ、気づかねばならない。不思議なのは、私ではない。私には、私自身を不思議だと思うことなど、できない。[なぜ、他の子には、自分の靴を見つけられたのか]と考えるべきだ。もしかしたら、靴の移動について、ある時点で、告げられていたのかもしれない。私は聞き漏らした。あるいは、靴には名前が書いてあって、字を読めないのは私だけだった。そういうことなら、不思議はない。しかし、人間は、幼くても、自分の物は、どこにあろうと、自分の物と認識できる能力を備えているのだとしたら、私は、やはり、この世を、うろうろする) (よく見る夢で、[靴が見つからなくて、困る]というのがある。[下半身が裸で、恥ずかしい]という夢だと、穿いているつもりでいて、穿いていないのに気づく。しかし、靴は、初めから、ない。[誰の靴でもいいから、履いて帰ろうか]と考える。下半身が裸でも、上着を着ていれば、夢の中では目立たない。しかし、靴だと、じろじろ、見られそうだ。[足元を見られる]という成句から来る思いか。靴を買いに行こうかと思案するが、店まで履いて行く靴がない。裸足で靴屋に入ったら、汚れ足なので、試しに履くことが許されないかもしれない。足に会わない靴を買っても、仕様がない。汚い婆さんが店番をしているような、安物しか置いていない、商品が道端にはみ出しているような店の、外から声を掛けて、取り敢えず、安いサンダルでも売って貰って、それから、少しずつ、レベル・アップしていくという計画を立てる。しかし、そんな時間の余裕はなさそうな気もする) ボクの家に、TVが来る。「時計もラジオもないくせに、テレビはあるのか」と、近所の人に笑われる。「テレビは、時計とラジオの役目もする」と、親の口真似をして、疎まれる。近所の子が見に来る。一つ年上の男の子が、女の子に、「パンツを脱げ」と命令する。脱がなければ、テレビを見せてやらない。まるで自分のTVのように言う。女の子は、おいおい、泣きながら、立ったまま、スカートを捲り、パンツを降ろす。彼の目は、彼女の下腹部に食い込むようだ。しかし、見るだけで、触れようとはしない。ボクの目は、画面に向けられている。「泣かせたら、面白くないのに」と思っている。年上の少年を、心の中で見下している。女の子にしても、泣きながらTVを見て、何が面白いのかと思う。泣いた数日後にも来て、また、パンツを下げて、おおう、おおうと、吠えるように泣きながら、TVを見ている。涙が、だらだら、流れる。男の子の方を見ずに、TVを食い入るように見ているのは、屈辱感を紛らわすためのようだが、そんなふりをして露出の快感を掠め取っているのかとも疑われる。とにかく、彼らのやることが、ボクには理解できない。汚らしい感じがして、苛々して、二人とも帰れと思うが、口には出せない。 子供の遊びに、ついていけない。年下の子までが、ボクを侮るふうだ。近くの建設現場の砂山に、小さい子が放尿する。ボクは、止めろと言う。以前、ボクも同じことをして、作業員に怒鳴られた。怖かった。ところが。その子は、ボクを怖がらない。へらへら、笑っている。ボクは殴りつける。移植鏝を手にしていて、そのことを忘れていた。彼の額から、血が垂れる。ボクは逃げる。逃げても、行く所はない。前の町のことを思うが、どのくらい遠いのかさえ、知らない。 (今も、その町に、どう行けばいいのか、知らない) 人目を避け、逃げ回る。家に帰る。玄関の鍵が掛かっている。夕方、[ボクのしでかしたことは、もう、母の耳に入っている]と思い、がたがた、震える。が、まるでその気配がない。沈黙という苦行。そして、そのままになってしまう。数日後、被害者は頭に包帯を巻いて遊んでいる。ボクは、彼と彼らに近づけない。そして、そのままになってしまう。取り返しがつかない。このまま、生きていても、いいことはない。そう、ボクは思っている。確信という言葉は知らないで、確信している。絶望という言葉は知らないで、絶望した。 (その思いは、呪いのようだ。元の原稿では、ボクが前の町に戻ろうとして川に阻まれ、入水して、終わる。終わらない方法があるのかもしれない。だが、終わらない方法のことは、今の今まで、思ってもみなかった。だから、今は、ここで終わることにする。ここから先は、実際には、メロドラマの記憶喪失にも似た4年間があって、[黄色の家]に移る) |