『いろはきいろ』タイトルバーナー 『いろはきいろ』

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#099[皮]

  クリアできそうでできないゲームと 
  クリア不可能にみえて可能なゲームと 
  どちらが良いゲームかは 言うまでもないだろう 
  その微妙な均衡点を探り レベルアップしつつ それを維持する 
  それが私たちの仕事だ 
                     (押井守監督『アヴァロン』)
 親には何の落ち度もなかった。ところが、生まれた子は、出来損ない。脚が捩じれて、蛙のようだ。いくつになっても、立てない。蛙のように、ピョコタ、ピョコタ、無様に跳ねる。親は病院に入れた。そして、そんな子などいなかったことにした。
 私は、自分にそんな兄か姉がいるのだろうかと疑ってみた。今、家族の秘密が明かされようとしている。そして、私の聞き方次第で、はらからとの邂逅が設定されるか、ただの怪談として語り終えられるか、決まるのだろう。
 「どうして、病院に入れたの」 
 「外聞が悪いからさ」
 「外聞って?」
 「みんなが悪く言うからだよ。そうでなければ、親だって、そんなこと、するもんか」
 子供は幽閉される。ところが、どうにかして、外に出てしまうのだった。夜、誰もいないはずの廊下に、ピョコタ、ピョコタ、音がして、暗い中に蹲うものの気配がある。見ると、あり得ないほど低い所で、冷たく目が光っていた。そんな噂が囁かれる。
 ある夜、聞き馴れない物音を耳にし、巡回の看護婦が、曲がりくねった廊下の角で、足を止める。音は、ゆっくりと近づきつつある。たっぷり、間を置いて、ピョコ、タ、……ピョコ、タ。にじるように移動する。次のピョコで、姿を現すことだろう。看護婦は、気丈にも、近くにあった盥を手に、待ち構えた。ピョ。その音を耳にするや否や、怖いものだから目を閉じて、ガバリと盥を伏せた。
 中で、パコパコ、跳ねる。看護婦は歯を食いしばり、盥に胸を押し付けた。やがて、手応えがなくなる。音もしない。死んでしまったか。看護婦は目を開けた。夢を見ていたような気分だ。本当にいたのだろうか、あれは。盥を、そっと持ち上げる。怖々、覗き込んだ。すると…… 
 「それから?」
 「それからは、ないよ」
 「どうして?」
 「後は、聞いてる人に想像させるんだ。想像すると、どうだ、怖かろう?」
 「……怖くない」
 「想像力が足りないからだ」 冷笑。
 この怪談を同級生に試した。彼は、私と同じように、「それから?」と尋ねた。私は、彼の[想像力の欠如]を嘲笑した。ちぇっ! 友は急いで去った。外では、朝礼か何か、始まろうとしていた。教室には、私達二人しかいなかった。私は、彼の貴重な時間を無駄にしたことになる。
 余白の美。想像力の豊かな人間は、創造しない。完成された作品を享受することすら迂遠だという。この説を奉じれば、しかし、私は、一生、「ちぇっ!」を聞き続けることになる。その声に、私は、この先、耐えていけそうか。耐えられそうにない。耐えられない私をあざ笑う声があって、じゃあ、その声になら、耐えられるのか。
 問題を限定しよう。この物語に、結末は、ない方がいいのか、あった方がいいのか。
 To be,or not to be contenued……
 私は……、疲れた。どれだけ言葉を尽くしても、私の読者には通じない。[言葉でしかないから、通じない]と、あなたは考えているのかもしれない。私には、何かが足りない。[想像力が決定的に欠けているのだ]と、あなたは言いたいのかもしれない。言いたくないのかもしれない。思っているだけで、言いたくはないのかもしれない。あるいは、言ってみたいだけで、思ってなどいないのかもしれない。言ってみたいだけの、実は言葉にならない気持ちの、その裏側に潜む思いを、私が想像できないものだから、私は出来損ないと呼ばれるのだろう。
 この物語の続きは、読者よ、あなたに委ねよう。教えてくれ。要するに、こいつがどうなればいいわけ? こいつ、つまり、この物語、あるいは、この子。
 次の中から、適当に選択しなさい。
 Ver.0:00 すると……(と、言って、やっぱり、続けない。余白の美)
 Ver.0:10 すると……(と、言って気を持たせ、突然) わっ!(と、叫んで聞き手の度肝を抜き)おしまい。
 Ver.0:20 すると……(と、言いさし、立ち去る。そして、この世では、二度と会わない)
 Ver.0:30 すると、留守。回文。
 Ver.1:00 すると、中から声がした。オシッコ。その声には、聞き覚えがあった。脚の怪我で入院している子だ。あらら、漏らしちゃったよ。びっくりしたんだね。
 Ver.1:01 教訓;詰まらない噂に惑わされるのは、愚かだ。
 Ver.1:10 狭い所に閉じ込められていた子供は、酸欠で、ぐったり。看護婦によって人工呼吸を施され、事なきを得る。
 Ver.1:11 教訓;人工呼吸は、覚えておくと心強い。
 Ver.1:20 意識を取り戻した子供が語る。盥の中は、意外に広かったよ。温かくて、乳色の霧が立ち込めてたっけ。甘い香りがした。遠くに町の門が見えてて、そこまでは、とても行けそうになかった。だけど、引き返そうにも、踵は底知れない絶壁の縁にかかっていたのだから、前に進むしかなかったんだ。でも、あっという間だったな。町の入り口には、奇麗な人がいて、「あのドアだけは、決して開けてはいけないよ」と言って、にやっと笑った。でも、結局、僕は、ドアを開けてしまうんだな。すると……
 Ver.1:21 すると、そこは、ここだった。ここには、みんながいた。ああ、みんながいるなあと思った。僕もいた。僕がいるから、これは夢だなって思った。でも、夢なのに、まるで本当みたいだった。もっと本当らしくするために、僕は寝ている僕に重なった。すると、夢に見ているみんなと、目で見ているみんなとが重なって、その重なり具合が見分けられなくなって、そのとき、誰かが僕の名を呼んだよね。目を開けたまま、僕、眠ってたんだ。てっきり、夢だと思ってたよ、僕が眠ってるってのは。だって、僕は目を開けたまま眠ってる僕の目を覗き込んだのに、僕は「やあ」という目もしなかったんだからね。
 Ver.1:22 ドアを開けると、女の人が座っていた。女の人は、股を開いた。僕は跪いた。女の人は言った。「見るな!」 
 Ver.1:23 ドアを開けると、女の人が座っていた。女の人は、腹を裂かれていた。内蔵が溢れ、よくも、まあ、これだけの物が詰まっていたことだと、呆れるほどだ。女の人は叫んだ。「見るな!」
 Ver.1:24 ドアを開けると、いや、開けたのはドアではなく、頭蓋骨だった。帽子のように、カパッと外すと、生きた脳味噌がぬめった。女の人が、かっと目を開き、眦を上げる。「見るな!」
 Ver.1:25 女の人は、室内でも帽子を取らない。
 Ver.1:30 すると、中から、ほっぺの赤い男の子が元気よく飛び出して、明るい声で叫んだ。わあい! 僕、もう、歩けるよ。
 Ver.1:31 解釈;「足が蛙のように」というのは、どうやら、「あした、帰る用意」の聞き間違いだったらしい。
 Ver.1:32 この種の聞き違いというのは、ありがちなことだ。例えば、記紀に「ヒルコ」とあるのは[放る子/捨て子]のことだという。だから、第一子が捨てられた、本当の理由は、伝わっていないことになる。もしも、[異形の子だから捨てた]というのなら、「身一つにして面四つあり」という筑紫島も捨てられそうなものだ。一説に、ヒルコは[日る子]で、[日る女]に対し、男子を指すという。第一子は女であることが望ましかったのに、男が生まれたので、捨てた。一姫二太郎。イザナギにイザナミの方から声をかけてしまったのは、超古代ではladies firstだった可能性を示唆する。古代では、婚姻においては男が先だが、出産では女子が先という過渡期。生むなら女子という考えは、スサノオとアマテラスのウケヒ、男女生み分けの場面にも出てくる。
 Ver.1:33 流された蛭子は恵比須となる。蛭子能収のエビス。恵比寿とは、戎、すなわち、異邦人。流離する貴人の物語。(以下、蘊蓄、だらだらと)
 Ver.1:34 あるいは、このエピソードは、原始的な物語の語法の一種として解釈すべきなのかもしれない。つまり、[第1の行為は誤りで、第2の行為が正しい]というのではなく、[第1の行為だけでは不完全なので、第2の行為によって補完する]といったような。
 動物の場合、牝の発情が牡の発情を促す。人間の場合、発情を「発情」と自覚すると、気が逸れてしまうので、[人間は発情しない。その代わり、愛し合う]というフィクションを生きることになる。人間は[愛]というフィクションを生きることによって発情期を失い、逆に、常時、発情可能な状態を維持することになった。[女は発情しない]と見做す習慣は、女性が発情を自覚することによって醒めてしまうことを慮ってのことだ。発情の兆候は隠蔽され、ファッションと混同される。そして、[男は、女のファッションを発情の兆候と誤解し、発情する]というフィクションを、人間は生きることになる。
 意識が本能の発露を邪魔するので、本能を否定するかのような儀式によって、意識を薄める。そして、言うまでもなく、こうした事情も自覚されない方が望ましい。
 Ver.1:35 蛇足。[第2の行為が第1の行為を補完する]ことを隠した物語の例として、「因幡の白兎」を思い出す。[傷は、まず、海水で殺菌、賦活し、その後、不要な塩分を真水で洗い流す]という生活の知恵を伝える物語が、権力を合理化する物語に取り込まれる。最初から真水に浸かると、止血しない。危険。
 Ver.1:36 ワニ族との闘争に敗れ、オキからイナンバに漂着したシロ族の長、シロオサは、海塩療法をよくした。ナムチは、イナンバを政治的に吸収する際、シロオサの療法を改良したと称し、これをオオクニの商標によって伝播せしめる。療法改良と体制内改革が混同された。あるいは、二者は不即不離の関係にあった。
 Ver.1:37 日本神話は、塩と関係が深い。イザナギ・イザナミの矛の先から滴った海水が凝り固まって島になるという話は、海水を煮詰めて塩を作る作業から暗示を得たもの。
 Ver.1:38 ナムチは狩人出身で、医術は得意でない。しかし、パーティには、回復系魔法を得意とするキャラクタが集まりやすい。彼らの援助を得て、ナムチは、抗争に勝利していく。しかし、シロオサは中立を守った。そのために軽んじられ、自らの身をもって実験し、開示した療法のあらましが、いつしか、シロオサ自身が患者だったという物語に作り替えられる。しかも、徐々に、その物語は、療法そのものの効力を疑わせるものに変化する。シロオサを敵対勢力に利用させないための深謀遠慮。
 Ver.1:40 連想。[私]が生きるためには、存在という孤島を脱出しなければならないか。しかし、そのとき、いくらかの虚偽とその代償が必要になる。巌窟王なら、擬死と、そして、溺死の恐怖。兎は皮を剥がれ、ダンテスは袋を裂く。誕生の再現。盥は、産湯の隠喩。
 Ver.1:41 なぜ、[私]の誕生は再現されなければならないか。胎児こそが母体に出産を促す主体であったことを[思い出す]ためだ。言うまでもなく、[私]には、[私]の誕生を思い出すことなど、できない。しかし、[私]とは出産させられた客体に過ぎないとか、あなたによって語られる[私]の物語の主人公でしかないとか、そんな騙りにしてやられたくなければ、[思い出す]ことも有効な戦術として選択肢に上ることになる。
 Ver.1:42 聞く耳に阿る声は生き延びた肉体について語り継ぐが、私は皮のことを忘れない。そのわけは、多分、私には中身がないから。
 Ver.1:43 私には内面がない。[私]とは、私の表面のことだ。あなたは、私の人相や指紋、肌の色によって、私を[私]と同定してきた。そのことに憤り、私が、もし、[私とは、私の心のことだ]などと主張しようものなら、あなたは笑いに笑い、私の皮を剥ぎ取ることだろう。私に投げ返されるのは、私の内部。だから、ぶら下がる、私の内部、ほら、あそこ、黄色の窓辺に。
 Ver.1:44 だが、ぶら下がる私の内部が、私の目に見えるわけではない。私の眼球は、私の内側を見るようにはできていない。たとえ、見ることができたとしても、そこに潜むものを、誰も私だとは思うまい、私さえも。
 Ver.1:45 連想。若者が戦死すると、彼の名付け親である、母方の叔父が、若者の勲功を讃え、歌と踊りで生前の彼の言動を再現して見せるという、どこかの土地の習わし。役に成りきるために、叔父は甥の皮を剥いで被る。
 Ver.1:46 ここまで、私について語ってきた者は、私ではないのだろう。私の内側には叔父のような心があって、私を褒めちぎってくれるのだが、謳われるのは、私が死者だからだ。
 Ver.1:47 我思うと思うと思うと思う……、故に我ありと思うと思うと思うと思う……。細くなる声の正体こそ、[私]だ。[私]とは、あなたの声の、舌足らずなエコー。
 Ver.1:48 我ありって、誰に言ってんのおおおおお〜♪ 
 Ver.1:49 何だ、いたのか。いるならいるって言えよおおおおお〜♪ 
 Ver.2:00 すると、そこにいたのは、口が二つに、目が三つ、手が1本で、脚6本、尻尾が生えてる、これ、なあんだ。
 Ver.2:01 答え、馬に乗った丹下左膳。
 Ver.3:00 すると、光る目があった。目は光り、息をするように、小さくなったり大きくなったりした。看護婦は、魅せられたように動かない。
 Ver.3:10 彼女は、まだ、動けないでいる。もしも、夜が明けていないとすれば、今も、まだ、じっとしている。
 Ver.3:20 彼女は、まるで引き込まれるように、盥の下に頭を突っ込む。すると、どうだろう、首、肩、胸と、盥の中に飲み込まれるようではないか。腰までも納まる。盥は、それほど大きな物ではない。白い靴下を履いた足が、片方だけ、見えていたが、それも、すうっと、引っ張られるようにして消えた。
 Ver.3:21 この怪談は、いや、噂だよ、噂。でも、翌朝、看護婦の靴だけが発見された。このことは、事実。
 Ver.3:22 噂では、彼女は生きている。でも、動けない。夜間巡回の途中、なぜだか、動けなくなった看護婦が、どこかの病院の一室で、密かに生かされている。目は、大きく開いたまま、閉じない。
 Ver.4:00 すると、そこには、何もなかった。空っぽ。看護婦は夢を見ていたらしい。
 Ver.4:01 すべては、夢だった。病院に、おかしな子が収容されているという事実はない。噂さえなくて、目覚めると、彼女は看護婦でさえなかった。
 Ver.4:02 夢を見ていたのは、あなただ。でなければ、誰だ。言ってみろよ。
 Ver.4:10 子供は、盥の下から逃げ出していた。逃げて、どこへ向かうのか。
 Ver.4:11 子供は、もう一つの盥へと向かう。別の廊下の角で、別の看護婦が、盥を伏せる。彼女は、盥を、そっと持ち上げた。(go to 0:00)
 Ver.4:12 もう一つの盥の下にも、何もない。(go to 4:10)
 Ver.4:13 曲がりくねった廊下の角々に、看護婦が一人ずつ、身構えている。そして、看護婦は、1個ずつ、盥を手にしている。
 Ver.4:14 盥の底には、すでに、奇妙な影が張り付いている。そのことに、看護婦達は気づいていない。
 Ver.4:15 子供は、盥から盥へと移動する間だけ、存在する。盥回し。いや、盥回り。
 Ver.4:16 本当は盥回しにされている子供が、盥回りをしているという夢に生きる。
 Ver.4:17 盥が、そっと持ち上がる。子供は言われる。さあ、どこへでも、お行き。君は自由なんだよ。にこにこ、笑顔の解放者に見送られ、子供は、新しい盥へ向かう。
 Ver.4:18 誰も降りないときにも、ドアは開いた。バスの中から、斜めに渡された、色とりどりの小旗が、見えた。大小の風船が、瘤だらけの木の枝に結び付けられ、揺れずにいた。花火が、音もなく上がって、ぱっと散って、少しして、音が聞こえた。雨は、降ったり止んだりした。丸ごと貰えた板チョコの銀紙をそっと剥がし、帆掛け舟を折った。帆を摘まんで、目を閉じる。目を開けば、艫を摘まんでいる。摘まむ指は冷える。叔母さんの家は、海の近くの、海の見えない林の陰にある。目を覚ますと、見慣れない部屋に寝ている。夢の続きだろうか。夢は、いつ、始まったのだろう。ここは、ああ、叔母さんの家だ。どうして、ここにいるのだろう。どうして、来たの。いつまで、いるのって、従兄弟達が聞かないといい。銀の舟を見せよう。舟を見せに来たよ。舟は、どこへも行くよ。
 Ver.4:20 子供が閉じ込められていたのは、病院の一室ではなく、盥の下だった。そこから逃げ出すのが、物語の始まりだ。子供は、逃げ去るのではなく、逃げ帰ろうとしている。どこへか。どこかへ。子供にとって何かだったと思われる場所へ。そして、そこは一番初めの盥の下なのかも知れない。逃亡の物語は、起源への道を辿るために語られる。
 Ver.4:21 しかし、起源はない。あらゆる物語は、起源を語る。しかし、起源はない。
 Ver.4:22 起源は消えたという物語はある。しかし、起源はない。
 Ver.4:23 起源はない。しかし、起源への道はある。
 Ver.4:24 起源への道はないという物語もある。
 Ver.4:25 起源はないという物語はない。
 Ver.4:26 起源への道の終末は、起源の手前にある。
 Ver.4:27 起源への道の終末のかなたに、起源の遺跡が見える。そのとき、子供がそこに閉じ込められていたことを、やっと、あなたは忘れられる。
 Ver.4:28 閉じ込められていた子供のことを思い出すとき、あなたは閉じ込められる。
 Ver.4:29 そして、起源への旅が終わる。そんな終わり方で満足ならばね。
 Ver.4:30 蛙の脚の子供は、蛙の脚をしていたから閉じ込められたのではなく、閉じ込められていたから蛙の脚になってしまったのだろう。
 Ver.4:31 逃亡を困難にするために、脚を蛙のように変形させられた。
 Ver.4:32 蛙の脚は、逃亡未遂に対する刑罰の結果だ。
 Ver.4:33 蛙の脚は、未知の世界に対する恐怖と、逃亡未遂に対する刑罰に対する恐怖という、二重の恐怖に竦む脚の比喩。
 Ver.4:34 震える、震える、震える脚よ。震えるな、震えるな。震えれば、震えなくさせられるよ、いつか。
 Ver.4:35 幼児の足の弱さが、何らかの罰の結果として解釈される。未熟さには、去勢恐怖が投影される。
 Ver.4:36 僕は、魔法で醜い姿に変えられた王子なのかもしれない。僕は、魔法で人間になり損ねた蛙なのかもしれない。僕は、魔法で醜い姿に変えられたあなたなのかもしれない。
 Ver.4:37 いつからか、私は絵を描かない。絵を描こうとする私の手を、私の目が縛るからだ。さあ、死んだ犬の絵を描こう。
 Ver.4:38 いつからか、私は歌を歌わない。歌を歌おうとする私の喉を、私の耳が干上がらせるからだ。さあ、死んだ海の歌を歌おう。
 Ver.4:39 いつからか、私は言葉を信じない。言葉を信じようとする私の胸に、言葉の毒矢が突き刺さるからだ。さあ、死んだ僕の言葉を聞け。
 Ver.4:40 ヒルコは、異形のゆえに放逐されたのではない。放逐されたものは、異形として語られる定めだ。
 Ver.4:41 ヒルコは、放逐されたのではない。密かに逃亡した。逃亡の事実を隠蔽するために、共同体は、[ヒルコを追放した]という権威の物語を捏造する。共同体の成員に、逃亡の可能性を悟られないためだ。
 Ver.4:42 [誘惑する女/イザナミ]と[逃亡する子供/ヒルコ]は、[逃亡する女]と[誘惑する子供]という神話に置き換えられる。
 Ver.4:43 女は誘惑するために逃亡し、子供は逃亡するために誘惑する。
 Ver.4:44 男根型の柱の陰に、誘惑者が隠れている。子宮型の盥の下に、逃亡者が隠れている。
 Ver.4:45 誰が誘惑し、誰が逃亡することも、あなたは許さない。
 Ver.4:46 幼児に誘惑され、あなたは逃亡する。あなたの逃亡を正当化するために、幼児は誘惑者を演じさせられる。
 Ver.5:00 すると、そこには、奇怪な姿態の生物が、力無く横たわっていた。そのものが死に瀕していることは、いくつもの死を目の当たりにして来た彼女には容易に直感された。そのものの目らしき部分が、うっすらと開いた。そして、どこにあるのか分からない口から、言葉らしきものが漏れた。それは、彼女の耳には、こう言っているように聞こえた。オカアサン……
 Ver.5:01 そして、息絶えた。手当をすれば、蘇生するのかもしれない。だが、彼女は別の思いに捕らわれていて、その思いというのは……、何とも形容し難い、そのものから目を逸らすことができずに、彼女が思っていたことはと言えば……。彼女は、いつの世か、そのようなものを生み捨てる自分の姿を思い出していた。
 Ver.6:00 すると、そこには、何もなかった。何かがいた形跡はあった。濡れて光る。盥を持ち上げた瞬間、抜け出したのだろう。耳を澄ます。暗がりに目を凝らした。まだ、そこらに潜んでいるはず。(と、言いながら、聞き手の顔を順に見ていき、人々の気が届かない空間を見つけたら、そこを指さし、恐ろしげな声で) そこだ……
 Ver.6:10 そこには、何もなかった。どこかで、悲鳴が上がった。声のした方へ、急ぐ。医者の一人が、皮を剥がされて死んでいた。逃亡者は、剥がした皮を被り、門番の目を欺いたらしい。
 Ver.6:11 そいつの行方は、杳として知れない。今も生きているとすれば、人の皮を被って暮らしているのだろう。どんなやつでも、皮さえ被れば、人並みに見える。
 Ver.6:12 健全な精神は、健全なネクタイに宿る。
 Ver.6:20 そいつは、生きているとすれば、次々と人の皮を取り替えながら生きているのだろう。今、そいつは、あなたの知っている人の皮を被り、あなたの近くにいて、あなたと一緒に、この話を聞いているのかもしれない。
 Ver.6:21 そいつは生きていて、自分の話を、人から聞いた話のように語っているのかもしれない。
 Ver.6:30 そら。捕まえた。(と、聞き手の腕を取り) そいつというのは、あなたのことでしょう? あなたは、あなたの皮を被った誰かなんでしょう?
 Ver.6:40 そいつは、長い間、他人の皮を被って暮らして来たので、自分がそいつだということを忘れがちだ。ところが、この話を聞いて、思い出す。
 Ver.6:41 「ああ、そうだった。思い出したよ。思い出したってことは、もう、そろそろ、古い皮を脱ぎ捨てて、新しい皮と取り替える時期なんだな」と考え、近くにいる人の皮を物色している。
 Ver.6:42 「この皮にも、いい加減、飽きたよ。変に突っ張るし、乾いて弛んだりもする。夕べだって、危なく、化けの皮が剥がれそうになって、慌てたな。丁度、電話が入って、口元を覆うようにしたから、何とか、ごまかせたけどね」
 Ver.6:43 「他人の皮だからね、時々、こんなことをして(と、語り手は自分の顔を擦り、目を吊り上げたり、鼻を押さえたりして) 馴染ませてやらなくちゃならない。人知れず、努力してるんだね、こう見えても」
 Ver.6:44 「どう見えてるか、知らないけど、私だって、そりゃ、もう、ええ」
 Ver.6:45 「で、あなた、そいつのこと、どう思います、もしも、そいつが、まだ、生きてて、あなたのすぐ側にいるとしたら? しかも、そいつが、ずっと前から、この私だったとしたら? え、どうです、あなた?」
 Ver.6:50 ズル。ズルスル。ベチョ。グギ。ギギグ。ギ。ゴリ。ピッ。ピジュッ。ジョワア。ガサ。ガサゴソ。フ。シーン。
 Ver.7:00 すると(あなたが語り始めた)


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