漫画の思い出

著者別「さ」

さいとう・たかを
『ゴルゴ13』
さいとう・たかをのをはなんでおじゃなくてをなんだと聞かれて黙るしかない自分に腹を立てていた頃は、ボンドからゴルゴに乗り換えるのも蓮っ葉なような気がしていたっけ。「ボーイズ・ライフ」から「ビッグ・コミック」へ。劇画が差別されていた頃、手塚も差別する側に立っていて、その丸い線に私は苛立った。『W3』で劇画っぽい表現がちらついただけで、「よおし、許す」などと思ったことだ。さいとうの絵柄は、ボンドの頃に劇画として成立し、ゴルゴで飛躍し、そして、固まった。ボンドに比べ、ゴルゴの絵柄は、固すぎた。ゴルゴの髪型は、イカサナイ。性格も、クール過ぎて、親しみが湧かなかった。なのに、何が少年の心を捕らえたのだろう。名前のないことか。係累に縛られないことか。厳つい風貌。腕力。知力。精神力。究極の自由業。女に惚れずに惚れられる安全神話。誰にも負けないくせして、誰に勝ちたいのか、分からないこと。斜めにでも目を通していたのは、連載開始からのほんの数年。今更、継続する気にもなれない。
宮本武蔵のような剣豪という言い回しがあるように、ゴルゴ13のような狙撃の名人といった言い回しは、日本語として定着した。その点、立派だ。

『サバイバル』
阪本牙城
『タンク・タンクロー』
機械仕掛けの孫悟空。タンクローの胴体は黒い鉄の玉で、穴が八つ開いていて、そこに棒を通されても平気だから、中身はないのだろう。デカパンのパンツよりも、タンクローの内部は無茶だ。
昔の子供は、こんなヒーローのどこに魅力を感じたのだろう。阪本の絵の凄さが分かっていたとは、思えない。理由もなく好きだったのだろう。
重力を無視したように、フワフワ、フラフラ、漂うようなタンクローの姿を眺めていると、ナンセンスに慣れようとして慣れない目が擽ったくなる。
さくらももこ
『ちびまる子ちゃん』
電車の中で、ランドセルを背負った少女が、漫画を見ながら笑いを堪え、身悶えしていた。少女漫画のお笑いでヒットしたものは、少ない。私は好奇心を擽られ、彼女に気付かれないように題名を見た。それが、この作品だった。電車を降りて、すぐに本屋に向かった。買って読むと、想像以上に面白かった。かなり追跡したが、アニメになる頃には冷めていた。
日本の女性は、サザエさん世代とまる子世代に二分されることだろう。


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