著者別「し」
篠原とおる
- 『サソリ』
- 梶芽衣子で映画化されたが、あの目付きでも、原作に比べれば、まだ可愛い。ひたすらクールというのは、あの時代の風潮だった。
松島ナミの極端な三白眼は、色気の欠片もないどころか、男を怖じけさせるに十分なのに、なぜか、忘れられない魅力がある。薄幸な女性の男性憎悪が自分に向けられることを、男性読者は、むしろ、空想的に期待しているからか。
読者がひょいと身を反らすと、彼女の憎悪は男の背景に突きささる。そんな読み取りを、映画ではしていたようだ。
島田啓三
- 『冒険ダン吉』
- よその島に勝手に上陸して、勝手に啓蒙活動を始めて、王様になって、肌の黒い人は見分けが付かないからと、胸に番号を書いて、1号、2号なんて、呼ぶというのは、かなり、失礼な話だが、当時の子供たちは、「ダン吉遊び」と称し、顔に墨を塗り、腰に藁を巻いて、漫画のままのことをやっていたのだそうだ。
子供というのは失礼なことをし合うもので、失礼の限度というものは、ない。では、どこで失礼を止めるのかというと、面白くなくなったところだ。
占領だって、啓蒙だって、面白くなくなったところで、止めてもらいたいものだ。
清水崑
- 『かっぱ天国』
- 生まれ変わりなど信じないが、生まれ変わらなければならないとしたら、こんな天国に生まれたい。いや、こんな天国で死んでから、この世に落ちて来たかと思いたい。
史村翔
- 『サンクチュアリ』(+池上遼一)
- 傑作。こういうのがたまにあるから、漫画を止めたくても、止められない。
この物語は、「Vol.51斧」で、一度は、終わっている。その後は、いわゆる「漫画」になる。
この回で、北条が石原の名を呼び捨てにする。息の止まりそうな求愛の場面。振り向いた石原の表情は、最高の絵師、池上でさえ、力不足を感じさせるほど。石原の思いは、もっと深いはず。
石原のモデルは、鷲尾いさ子か。
ジョージ秋山
- 『パットマンX』?
- パットマンXの正体は、誰も知らない。と思っているのは、当人だけだ。みんなが知らないふりをしてくれていることに、当人は気付かない。このことが一番恥ずかしいのに、当人は、別の小さな失敗に赤面する。自意識過剰などいった言葉では言い尽せない、勘違いだらけ。死にたくなるほど恥ずかしくなるギャグ。原典は『わが名はXくん』(藤子不二雄A)か。
- 『アシュラ』
- うまれてこなければよかったのに。?
- 『銭ゲバ』
白土三平
- 『忍者武芸帳影丸伝』
- 魅力的な人物が次々に登場して、その魅力を発揮しきれないままに消えて行く。残った者の未来も明るくない。しかし、読後感は悪くない。
この作品は、リアルな劇画の典型のように言われているようだが、漫画的だと思う。基本的にはファンタジーだろう。
- 『カムイ伝』
- 漫画が大衆小説の面白さに到達し、かつ凌駕し得ることを示した記念碑的作品。同時に、大衆小説の面白さを越えてしまったら漫画は娯楽として成り立たたないということも、示した。
影丸とは違って、一揆の同伴者にすらなり切れない抜け忍、カムイという、もっともらしい設定は、作者を縛ったようだ。主人公であるはずのカムイが、だんだん、いてもいなくてもいいような存在になっていく。誠実すぎて、政治評論家にもなれない。敵は、権力者ではなく、それにおもねる同業者や同僚だというのは、小学校の頃からの、ありふれた厳しい現実だ。
- 『シートン動物記』(+シートン)
- 5編が納められているが、『灰色熊の伝記』が圧巻。原作をほぼ忠実になぞりながら、原作以上の迫力がある。原作者自身のスケッチをもとにした絵があるので、見比べるとおもしろい。
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