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<第30章>完

予期せぬ結果



私は1995年(平成7)3月3日〜3月31日までの約1ヶ月間を、無休(週7日)でボランティアを勤めさせて頂くつもりでおりました。 
被災地に駆けつけるのが遅くなってしまった分、1日でも多く、精一杯のことをさせてもらいたかったのでした。
震災直後の混乱極まる最も大変な時期に駆けつけたかったのに、それができなかったというコンプレックスは人一倍強かったかもしれません。
ということで、私の中では「皆勤」が“コンプレックス返上”の指標でありました。

当然のことながら、ボランティアに「皆勤賞」という制度などありません。
あくまでも、私の中での目標だったのです。 

ところが、風邪で熱を出しで延べ1日半を休んでしまい、「皆勤」はなりませんでした・・
 
それでも、自分の中では精一杯頑張ったという満足感は得られました♪ 私はそれで 十分〜♪

ところが・・
栃木に戻って1ヶ月以上経った5月のある日、私に思わぬ“賞”が届きました。



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小学校の避難所住民の皆さんと、同校のPTAの連名による感謝状です。 
そして、親しく&一番頼りにさせていただいてた避難所住民のリーダーさんからのお手紙も添えられていました。
 
 



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画像のお手紙の5行目以下には次のように書かれてあります。

あなたには非常な熱意と尊いはたらきがありました。 
(中略) 私達はあなたの活動に対し、感銘するところ山の如く、感謝の思いは海の如くであります。
このたびのリーダー会議とPTAの厳格な人選と決議をもって私達の涙ながらの謝意を表するため、登録ボランティア総数800余名の内より10名の方々に感謝状を贈ることに決まりました。どうぞお納めくださいネ!!(こんなことしかわてらできまへんねん。)
私達はあなたが幸せであることを願っています。あなたに急あるときは今度は私達が結束してあなたを支援するでしょう。ありがとう!! 
polkさん万歳!! 
※ 「登録ボランティア総数800余名」の定義が私にはわからないのですが、私を含む個人のボランティア以外に 医療チーム、連合組合員、兵庫教職員組合の方々もその人数に含まれているのでしょうか? また、遠方から炊き出しのイベント等で来てくれた外部のボランティア団体はどうなのでしょう?? 800名以上って、あまりに多数で見当がつきません・・
 
私には本当に過分な感謝状だと思います。 
あんなに出遅れてしまった私、その10名の中にいては本当に申し訳ない・・! 
私よりも大変な時期に駆けつけて来られて、私の何倍もキツくて汚い作業をされたボランティアの方達が大勢いらっしゃるんです・・!

被災された当避難所の皆さんが明るく頑張っておられたお姿を忘れないようにとの思いから、感謝状をありがたく額に入れさせていただき、教室の壁の上の方、生徒の視界から離れたところにひっそり?と掛けさせてもらっています。 
震災当時のことを知らない世代の生徒さんも、「阪神大震災」として知っているようです。
たまに、その感謝状を黙って見上げている生徒さんもいますし、見上げた様子もなさそうなのに、いつのまにか その感謝状の内容を知ってくれている生徒さんもいます。 
私のボランティア体験のルーツはアメリカ文化にあるものですから、もし生徒にボランティアのことを聞かれたときには、そのことを話そうと思っています。
でも、「阪神淡路大震災」以降、災害ボランティアはすっかり日本の文化になりましたね  (o^。^o)
 

↑のお手紙の1ページ目の文面です
感謝状にもまして、
このお手紙は
私にとってはとってもありがたい賜り物となっています
このお手紙のこのページを皆様にご披露させていただいて
当「阪神・淡路大震災」ボランティア体験記を終えたいと思います

お読みくださいました皆様に心より感謝を申し上げます
ありがとうございました m(_ _)m♪




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【完】 

  

  



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