北の“国境”関宿城の走り方



 東葛地域の北端にあるのは、言わずと知れた関宿城です。この関宿城の正式名称は「千葉県立関宿城博物館」で、幕末の老中、久世広周を輩出した関宿藩5万石の本拠地「関宿城」を再建したものです。江戸川など水との戦いの歴史の関わる資料が多数展示されており、とても勉強になります。それはともかく、この関宿城はサイクリングの要衝です。

 東葛(千葉県)側の江戸川サイクリングロードを北上してくると、この関宿城にぶつかりますが、そこから利根川サイクリングロード(野田市区間)に回り込むことができます。さらに利根川を渡ると茨城県側のサイクリングロードへ行くことができます。また、関宿城の南側から江戸川を渡り、江戸川右岸(茨城県、埼玉県、東京都)のサイクリングロードなどを向かうこともできます。


【江戸川サイクリングロードの終着点としての関宿城】


 江戸川サイクリングロード(東葛側)を走って、関宿城が見えたときは感動ものです。特に冬、北風に抗してひぃーひぃー言いながらたどり着いたときには、幸せな気分に浸れます(オーバーか)。関宿城の手前で江戸川に架かる橋は、歩行者・自転車専用で、この橋を使って江戸川右岸に行くことができます。ところで関宿城には以前、無料で入ることができました。旧・関宿町が野田市に吸収合併されたのを機に有料になったのは残念ですが、それでも見る価値はあります。水との戦いの歴史に加え、天領ばかりの東葛地域の中で唯一の藩であった関宿藩の往時もしのばれますので、是非一度は入ってみて下さい。




 実は、江戸川サイクリングロードは関宿城で終わりません。関宿城の西側を通り、北側に回り込み、利根川に架かる境大橋を望める処で舗装が終わります。そして、さらにエクステンションがあります。関宿城の北側で利根川の河川敷に降りることができるのです。河川敷を走る道のうち1本だけタイル張りの舗装がしてあり、ロードレーサーでも走ることができます。目印は2本の大柳です。




 河川敷の舗装道を走ると、やがて利根川のほとりに出ることができます。東葛人的には、ここが江戸川サイクリングロードの本当の終着点です。写真では、草茫々で荒れ果てていますが、以前は川のほとりまで舗装が続いていました。そして、川には立派な艀(はしけ)が浮かび、そこから利根川の景観を眺めることができました。ところが、2004年に襲ったいくつもの台風で艀は流され、川のほとりの舗装道もすっかり土砂に埋まってしまいました。今や、そこに草が生い茂り、こんな景観になりました。自然のすごさを感じる光景です。


【関宿城から利根川サイクリングロードへ向かう】


 江戸川サイクリングロードで関宿城にやって来て、江戸川サイクリングロードで帰るのは芸がありません。せっかくですので、マイナーな利根川サイクリングロード(野田市区間)を走りましょう。江戸川にはない雄大さがあり、変化を楽しめますよ。関宿城から利根川サイクリングロードへ向かうには、城前の駐車場から左カーブしながら伸びる道路を一気に下りましょう。とても気持ちがよい下りですが、スピードの出しすぎに注意です。




 関宿城方面から下り降りて、しばらく走ると交差点の信号にぶつかります。その信号の交差点を左折すると、利根川を渡る境大橋に向かいます。利根川サイクリングロードへ向かうには、その交差点の手前を左折しましょう(ちなみに、そこを右折すると利根川と並走する農業用水路沿いの道に向かえます)。左折すると、道はやがて利根川の堤防の土手にぶつかりますので、そこを右折します。そして、さっきの境大橋へ向かう道路の下のトンネルをくぐると、その先が利根川サイクリングロードです。




 トンネルをくぐると、利根川の堤防の土手へ上がる道が現れます。ここを上ると、茫洋たる利根川サイクリングロード(野田市区間のスタートです。このサイクリングロードは野田市の南部でいったん途切れますが、そこから利根運河へ完璧に接続する一般道がありますので、コース取りに困ることはありません。


【境大橋を渡り利根川の対岸に向かう】


 利根川の対岸に渡るには、境大橋と並んで架かる境大橋歩道橋を渡るのが安全で確実です。関宿城から利根川サイクリングロードに向かい、サイクリングロードから境大橋歩道橋を目指しましょう。




 利根川の対岸、茨城県堺町にも利根川の上流から下流へとつなぐ立派なサイクリングロードがあるのですが、現在は工事中のため通行止めです。2006年4月を待ちましょう。ところで、境大橋を渡った処に、蔵造り風の建物「道の駅さかい」があります。食堂もありますので、サイクリング途中の昼食にちょうどいいです。


【中の島公園を経て江戸川の対岸に向かう】


 関宿城の南側に江戸川の対岸に渡る橋が架かっています。利根川に架かる境大橋ほど単純ではなく、まず中の島公園に渡り、そのから関宿閘門(せきやどこうもん)を渡り、江戸川の対岸に向かいます。この中の島公園へ渡る橋はとても広く、自転車でも快適です。江戸川の対岸は埼玉県と思いがちですが、実は中の島公園も含め茨城県五霞町に属します。




 関宿閘門です。閘門とは水量を調整するための水門のことで、この閘門の上を人や自転車が往来することができます。関宿閘門を渡ると、そこが対岸、江戸川右岸です。




 江戸川の対岸に渡ると南へ向かって舗装道路が延びています。これが、江戸川右岸のサイクリングロードで埼玉県を経て東京都へと伸びています。東葛人としては残念なことですが、両岸の江戸川サイクリングロードのうち、こちらの方がメジャーです。一方、北側への道は未放送です。この先に舗装されたサイクリングロードがあるはずですが、私は確かめたことがありません。


【本物の関宿城はどこにあった?】


 再び関宿城です。この写真は小さな公園の緑の向こうに見える関宿城といった趣ですが、実は本物の関宿城は、手前の公園のように見える木に囲まれた空き地なのです。正確には関宿城址、つまり城跡です。以前から「本物の関宿城って、どこにあったんだろう」と思っていたのですが、こんなところにあったんですね。今の関宿城からほんの少し南、江戸川サイクリングロードからの眺めです。




 この関宿城址に行ってみました。今の関宿城から江戸川サイクリングロードに平行して伸びる未舗装道を走れば、すぐのところにあります。未舗装道といっても、土は固く固められており、凹凸も少ないのでロードレーサーでも、なんとか走れます。関宿城址の入り口には大きな石碑があり、そこで記念撮影の1枚。こんなふうに撮ると、ランドナーの写真みたいでいいですね(笑)。

 それにしても、関宿藩5万石の本拠地なのに、なんとも哀れな姿です。関東平野のほぼ中心にして、江戸幕府の北の守りの要として、周囲に睨みをきかせた当時の面影はどこにもありません。なんでも明治維新後に廃城となり、敷地の大半は、その後の数度に及ぶ治水工事のため江戸川の堤防、つまり江戸川サイクリングロードが走る土手の下に埋もれてしまったそうです。

 関宿城址の中は、ぽっかりと空いた空間があるだけです。公園と言えば公園なんですが、一日にいったい何人の人が訪れるのでしょう。全く人気はありませんでした。向こうに見える今の関宿城、千葉県立関宿城博物館では、江戸川と利根川の治水のための人々の苦闘が様々な資料として展示されています。その治水のために、かつての関宿城は土の中に姿を消したわけで、関宿城址から博物館の天守閣を眺めると、“もののあはれ”を感じます。




 ところで、関宿城址の南隣に立派な牧場がありました。詳しくは分かりませんが、多数の乳牛が飼育されており、「もお〜」とのんびりとした牛の鳴き声があちらこちらから聞こえてきました。そこから、さらに南へ行ったところに関宿関所跡がありますが、こちらは石碑だけで見るべきものは何もありませんでした。



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