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<第14章>
幼児返り現象
配布テントでは、救援物資の中から子供達用のお菓子を用意していました。
放課後や学校が休みの日に限定して、お菓子をねだりに来る子供達には ボランティアが1日1回というルールで各自に手渡していました。
震災で遊び場を失った子供達がお菓子をもらいに、また古本コーナーのマンガを見に、あるいは ボランティアに遊んでもらいたくて、よくテントに来ていました。
やはり、10代のボランティア達は彼らの良き話し相手になってあげていました。
帰国後間もない浦島太郎状態の私、その子達の会話について行けませんでした(*^^;;
だけど、そんな私にも なついてくれる小2の女の子がいました。
その子が私に、「なぁ〜なぁ〜、○ヤちゃん、○ヤちゃん! ○ヤちゃんにあげたいものがあるねん!」と言いながら、よく遊びに来ました。
“○ヤ”というのは、私の苗字の一部なのですが、結婚後の苗字からそのようなニックネームで呼ばれたのは生まれて初めてのことで、嬉しいものがありました。
そんな彼女からの私へのプレゼントはいかにも子供らしいもので、あるときは、炊き出しの際に配られ、食べ終わった後にみんながゴミ箱に捨てて行った使い捨て食器やスプーンを拾い集めて、それらを汚れたまま紙袋に入れて私にプレゼントしてくれたことがありました。
「洗ったら使えるよ〜」と、彼女は言いました。
上質の使い捨て食器だったので、確かに洗えば十分繰り返し使えるのですが・・(苦笑)他にもいろいろプレゼントしてくれたのですが、その子が私に贈ってくれた最高のプレゼントは、鉛筆書きの自筆による私への〈感謝状〉でした。
誰か大人の方に教えてもらったのかしら?、平仮名書きではあるものの、画用紙に感謝状らしい文章が書かれてあります。
しかも、その子が私の前でそれを読み上げて、贈呈してくれたのです。
小学2年生とは思えない知性を、いつもその子から感じていました。
ただ、その反面、ちょっとしたことで急に甘え泣きをしたり、突然キカン坊になって、私の手に負えなくなることが度々ありました。
私と親しくなって甘えが出て来たのでしょうか?
それとも、年齢的に反抗期の入り口に差し掛かったからなのでしょうか?
震災後2ヵ月が経過した3月下旬になって、彼女は益々情緒不安定になって行きました・・。
また、その子と同年代の、いつもは元気で憎たらしい口の利き方ばかりする子も、10代のボランティアに抱っこをせがんで赤ん坊のような甘え方をすることがありました。
折りしもちょうどその頃、マスコミが震災のショックによる〈幼児返り現象〉のことを伝え始めていました。
それだ〜!!
10代のボランティアの女の子達は、子供達にせがまれればおんぶして、そのままグランドを散歩していました。
小学生の低学年生をおんぶしながらずっと歩き回っている彼女達、若いとはいえ、重労働だったかと思います。 立派なボランティアでした!
キカン坊になって私の手に負えなくなりがちなその小2の女の子は、私にも誰にも抱っこをせがみませんでした。
そして、泣いている彼女を私が傍にいて慰めれば慰めるほど、その状態がもしかして嬉しかった?のか、ずーーっと、ずーーーっと、一向に泣き止まない彼女でした。
なので、そんな場合は少し離れて、その子が泣き止むのを見届るぐらいのことしか、私にはできませんでした。
そしてまもなく私は、避難所を離れました。