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<第19章>

言葉&文化の違いから



この仮設風呂のことをいつからかみんなが、避難所となっている「○○小学校」の名前をとって〈○○湯〉と呼ぶようになりました。 
ちなみにここでは 便宜上、「polk小学校」の〈polk湯〉(仮称)ということにさせてもらいます。

殺風景で味気ない仮設風呂が少しでもお風呂屋さんらしくなるようにと、入り口に掛ける簡単な暖簾をわざわざ手で縫って持って来てくださった方や、「バスマットを縫いましょか?」と申し出てくださった住民さん達がいらして、〈polk湯〉は利用者の皆さんから愛されるお風呂屋さんになっていました。 
そして、利用者の大半は、みんなのことを考えて行動する方達でした。 

ところが中には、そうではない人もいるものですね。
ある日、「2組の親子連れがお湯をザァーザァーと使って、見る見るうちにお風呂のお湯が減った!
(`へ´)!!」という苦情を、浴室で居合わせた利用者の皆さんから口々に聞いたことが一度ありました。 
また、仮設風呂に備え付けてあったバスマットを持ち帰る人が一時期続出しました。
でも、それらは幸いにも常習化することはありませんでした。

それらとは別に、言葉や習慣の違いから ちょっとした騒動が起こったことがありました。 
事情が理解できないまま騒動の矢面に立たされてしまったのは、日本語が良く分からないベトナム人の女の子でした。 
TV
ニュースでベトナム難民被災者が言葉の壁で困っている様子が伝えられていましたが、当〈polk湯〉でも同様のことが実際にありました。 
 
仮設風呂がオープンして間もない頃、私達ボランティアが入浴についての注意事項を利用者各自に説明し、更に注意書きをお風呂の入り口、脱衣場、浴室、校舎内にも貼り、尚且つ、避難所の各住民グループに注意書きのプリントを配ったりして、徹底指導をさせてもらっていたつもりでした。 
ベトナム人の彼女にお風呂の使い方を口頭で説明をさせてもらったときには「うん! うん!」と頷いていたので、理解はしてもらっているものと思っていました。
後で分かったのですが、彼女は避難所の住民さんではなかったので、入浴についての説明は私達ボランティアの口頭によるものだけだったのでした。
実はそこに言葉の壁があって・・ そうして ひと騒動が起こったのでした! 

ベトナム人の女の子を指さしながら、「彼女が浴槽の中でタオルを使って身体をこするから、お風呂のお湯がいっぺんに汚れた!! 彼女にいくら注意しても分からない!!o(`ω´*)o」と、お風呂から上がって来られた住民さん達が一斉に血相をかいて私に苦情を訴えて来たのでした。 
私は、カッカきている住民さんに「彼女には私から注意しておきますけど、外国人の彼女は言葉も分からないし生活習慣も違うから、日本のお風呂の入り方が分からないんだと思います。なので、その点はご理解下さいね。本当にどうもすみません!」と言いました。
一方、心配そうな顔をして突っ立っていた彼女には「大丈夫よ!」と言った後で お風呂の入り方を説明し、最後に彼女の肩をポンポンと軽くたたいて「また来てね!」と言いました。 
彼女はにっこりと応えてくれたものの、『それっきり来なくなるのではないかな・・?』と、私は不安になりました。

彼女に対して最もヒステリックに非難攻撃をしておられた住民さんは、それっきり〈
polk湯〉には来られませんでした。 
その方は赤ちゃんをお風呂に入れてあげるために来ておられたので、余計に神経質になっておられたようでした。
赤ちゃんに不潔なお湯は、確かに恐いですよねえ・・ そもそも共同浴場って、赤ちゃんには恐い・・??

 
そのひと騒動から2週間位が経ち、いよいよ私のボランティア期間が終わろうとしていた頃、グランドで偶然 ベトナム人の彼女を見つけました。 
帰ろうとしていた彼女に走って追いつき、「元気? お風呂に来ないからどうしてるのかと思って心配してたのよ! また、おいでよ〜♪」というと、彼女が目を輝かせながら「いいの?」って聞き返すので、「もちろんよ!」と応え、その場はそれで別れました。
 

私のボランティア活動最終日(1995.3.31)、彼女と彼女の妹さんが〈polk湯〉に来ました。
妹さんはお姉さんの彼女よりも日本語ができました。 
妹さんには、お姉さんが言葉が分からないばかりにお風呂で辛い思いをされたことや、私も言葉の違う国で生活をしたことがあるので外国で生活をする大変さが分かるということを言いました。 
「周りの日本人は助けてくれる?」って聞くと、2人共「うん!」と、頷いていました。


  

  

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