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<第2章>

逸る気持ちを抑えながら



不便な生活もあって、引越の片付けは地震発生以前からはかどっていませんでした。

アメリカからの帰国に際して会社から引越荷物の重量制限を申し渡され、日用品の細々としたものはアメリカで処分しました。
なので、帰国後に買い揃えなければならない日用品がかなりありました。 
当時、電車のないところに住んでいたうえ、私の足代わりになる車がまだなくて(帰国直後の夫にも車がなく、夫はしばらく会社の寮から通勤していました)、日用品や食料品は宇都宮まで70分に1本且つ片道運賃750円の路線バスに40〜50分揺られて買いに行っていました(マイカーでは20分の距離)
買い物用ショルダーバッグにいっぱい、更に両手いっぱいの買い物をしたところで量が知れていましたから、何度も買出しに出掛けて、週の半分は買出しに時間が取られてしまってました。

そんな最中に地震が発生したので、ますます引越の片付けがはかどらない状態に・・!

「阪神・淡路大震災」のちょうど1年前、私の在米中に起きた「ロサンゼルス・ノースリッジ地震」の際、全米各地から直ちにボランティアが集まって来て復旧活動の手助けをしている光景を目にした私はびっくり!・・日本ではそれまで見たことのない光景でした。。
『私もいつかはそのような災害ボランティアをしたい!』と、そのときに固く思ったのでした。 

そして、その1年後にまさかの震災・・! しかも、私が生まれ育ったところで・・ 地震はないと確信していたのに・・

帰国直後ということで私はまだ仕事を持っておらず、育児や子育ての必要もなく、実家が神戸であることから宿泊にも食事にも困らないため、ボランティア活動をするには絶好の条件が揃っていました。 

ということもあって、すぐにでも飛び出したい私、引越の片付けをしつつ、居ても立ってもいられないという心境でした。
『とにかく、早く神戸に行きたい!!』 
と、逸る気持ちを押さえながら、震災直後から浮き足立った状態で引越の片付けをすることになりました。 
 
なのに、「神戸でボランティアをしたい」と夫に話したことはありませんでした。 
やはり、私が家を空けると彼に負担をかけてしまうからです。 
でも彼は、私がしたいと言ったらOKしてくれる人であることは分かっていました。 
引越の片付けが終わった頃、まずは彼の反応を見る感じで「ボランティアしに行こうかなあ?」と、独り言のような軽い調子でつぶやいてみたのでした。 
すると、「そうやっ、行ってやれ!」と、声援にも似た勢いのある言葉が返って来たのです。 
私、その勢いにびっくりしました! 
普通に「うん、いいよ〜!」って言ってくれるものと想像していましたから・・。

  

  

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