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<第6章>

ゆるやかな統制



震災直後の混乱と試行錯誤の時期を経た3月、当避難所組織におけるボランティアの役割分担は既に統制されていましたが、とは言え、マニュアル等はありませんでした。 
震災直後から活動している先駆者的なボランティアの1人がまとめ役となり、そのまとめ役が、同じボランティアの1人として対等な立場で他のボランティアに方向指示を与えつつ、細部においてはボランティア各自に一任するというゆるやかな統制でもって避難所内のボランティア組織が円滑に機能していたのでした。 
そのまとめ役の人は、調和の取れた判断や配慮をされるとても有能な方で、私のボランティア初挑戦の日にその人から言われたことは、「行政側と住民側との間を隅々まで埋めるのがボランティアの仕事なんです。」とのことでした。 

隅々までとなると、咄嗟の場面や状況に応じてボランティア各自が自分で判断をしなければならないことも少なからずあり、その場面で適切な判断&対処をするということが要求されます。 
その観点から、ボランティア個々の資質は重要で、人生経験が備わっているボランティアほど、より柔軟で適切な即断ができるものと、私は考えます。 

当時私は三十路を過ぎ、人生経験も少しは備わってきた年頃ではあったのですが、それでも、避難所内における自分の咄嗟の判断に確信は持てませんでした。
なので、そのまとめ役の方に事後連絡口頭にて)は必ずしていました。 
そんな頼りない私、10代のボランティア達からは「・・・なんだけど、どうしたらいい?」と、時々相談を受け、多少の人生経験でもって「・・のようにすればいいんじゃないかなぁ?」と答えることもありました。

わからないことがある場合、ボランティア・ルームに設置してある連絡用ノートに書き込んで 誰かのアドバイスを受けることができたり、また、そのノートでお互いの意見交換をすることもできました。 
書きたい人が自由に書き込み、ボランティアの誰もがそれを自由に読むことが出来る、今で言うBBSに近いものであったと思います。 
まとめ役の人は、ちゃんとレスをしておられました。
尚、無精者の私、書くほどではないと思えることばかりで、書き込んだことはありません。 (*^-^*)>
 

ボランティア同士のコミュニケーションは口頭またはノートによる方法の2通りのみで、ボランティア会議はありませんでした。
私の単なる想像ですが、もしかしたら、ボランティアが独走しないようにとの学校側の意図もあった??可能性が考えられます。
また当時、避難所によってはボランティアが毎晩遅くまで会議&討論をして、完全主義に陥ったボランティアが燃えつき症候群になるというケースもありましたから、私個人としても、ボランティア組織は完全主義の管理統制ではなく、ゆるやかな統制が望ましいと考えます。

ボランティア組織を含む避難所の形態は、そこに集まる人々によって様々であったように思います。
実際、隣の避難所(市の大きなスポーツ施設で、学校と違い、指導組織が元々存在しない)は別世界でした! 
ある日、行政さんの指示で隣の避難所に何かを受け取りに行くよう指示され、若いボランティアの女の子達と一緒に出向いたのですが、その避難所の玄関に入っていきなり、そこのリーダー風の男性に怒鳴られ、凄まれました。
戦慄・・!!
彼の取り巻きグループも私達を見ています。
はっきり言って、チンピラです!(^_-;)
私達には何がなんだかわかりません!
同行の女の子達はとても怯えていました。 
私もとても怖かったけど、ここは私が何かを言わなければ・・
低姿勢でソフトタッチで丁寧な口調でもって、なんとかその場の空気を和らげることに成功しました。
内心ドキドキの私、あそこに何の用事で出向いたのか、全然思い出せません・・(笑)

  

  

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