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<第22章>

うがい薬&高齢者のお世話



ここではまず、うがい薬の設置&補給の作業(第9章F参照)についてお伝えします。 

ボランティアは毎朝、医療チームから濃縮うがい薬(イソジン)を受け取ってペットボトル10本分位の適正濃度のうがい薬を位作り、それらのペットボトルをグランドの水飲み場や校舎各階のトイレの手洗い場に設置していました。
そして午後、それらの設置場所を巡回し、うがい薬の減り具合を見ながら 必要に応じてうがい薬を補充しました。 
翌朝、ペットボトル内に残っているうがい薬を捨て、新しくうがい薬を作り、同様の作業をしました。 
ちなみに私、この作業は1〜2日程度しかしていません。 


次に、メンタル・ケア・ルームの高齢者のお世話(第9章G)についてお伝えします。

この方のお世話については3月の約1ヶ月間、主に私1人で担当しました。 
第9章では、ボランティアの仕事としてポータブル・トイレの掃除も挙げていますが、私が避難所に来た頃はご自分でおトイレに行かれるまでに回復しておられましたので、私の場合、その必要はありませんでした。
私が毎日していたのは、朝、ポリバケツにお水を汲んでお部屋に届けることと(その方はそのお水で拭き掃除をしておらたようです)、お昼と夕方の2回、常設の炊き出し部(住民さん有志の運営)でお粥をもらってお部屋に届けることでした。
ということで、メンタル・ケア・ルームには朝昼夕の1日3回、顔を出していました。
 
 
常設の炊き出し部によるお粥の配給は朝夕2回でお昼のお粥のサービスはなかったのですが、その方の分だけは、炊き出し部の住民さんが特別にお昼も作ってくださってました。 
そして、朝のお粥は、その炊き出し部の住民さんがメンタル・ケア・ルームまで届けてくださり、また夕方でも、私が仮設風呂の当番の日(奇数日)など、私が届けられないときには、炊き出し部の住民さんにお願いして届けてもらっていました。
 
 
毎日私は、メンタル・ケア・ルームを訪ねたときにはいつも その方と二言三言の会話を交わしました。
その方は、私がお粥を届けさせてもらったときには必ず両手を合わせてお礼を言ってくださいました。 

そして、3月下旬のある朝、私がお部屋に伺ったときに「夕べはお粥を届けてもらえなかった。もう、私のことは忘れられたのかと思った・・。」と、ポツリと話されたのでした。 

そのときのお粥については私が届けることができなくて炊き出し部の住民さんに配達をお願いしてあったので、炊き出し部に行って確かめてみました。
すると、炊き出し部の住民さん全員が、「ちゃんと持って行ったよ〜♪」の合唱。 
 
私は、その一件についてメンタル・ケアの担当医に伝えました。 
震災後2ヶ月が経ったその頃から、その方に軽い老人性認知症が現われ始めたのでした。 
せっかく震災のショックによる体調不良から回復されたというのに・・ 
 


  

  

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