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<第21章>

在日中国人のおばあちゃん



polk湯〉(仮称)(第19章参照)で出会った人の中で最も親しくなったのが、在日中国人のおばあちゃんです。 
彼女は、老人性の神経痛により、一足二足歩くのでさえ、「足が痛い痛い!」と仰ってました。 
私が時々彼女の手を引いてあげたり、彼女が「洗面器をお風呂場に忘れた〜!」と言うのを聞いて私が代わりに取りに行ってあげたり、お風呂に彼女だけが入っているときには(3月下旬頃、日中のお風呂は空いていました)、彼女の様子を見に私も浴室に入らせてもらったりしているうちに、お互いに親近感が深まって行きました。 
 
私が避難所を去って1ヶ月位した雨の降る夜、足が痛いのにわざわざ歩いて避難所近くの公衆電話まで来て、「お風呂に入るたびにお姉ちゃんのことを思い出す。声が聞きたくなった。おばあちゃんは毎日、本当に辛い!」と、泣きながら、栃木に戻っていた私に電話を掛けて来てくれたのでした。 
 
彼女が仮設住宅に入居されてからも時々連絡を取り合い、1年後、彼女の仮設住宅にお邪魔しました。 
その頃には彼女も落ち着いておられて、仮設住宅の生活にも満足され、各世帯に分配されていた花壇に花を植えて楽しんでおられました。  

その後、彼女は神戸市が被災者用に用意した市営住宅に移られ、私も今の家に引っ越して来て、お互いに住所が変わったにもかかわらず、私達は年賀状を毎年交わして来ました。
それが2005年のお正月まで続いていたのですが、今年、2006年のお正月は、おばあちゃんからの年賀状が届きません。
もう84才になられてるはずです。
どうされてるのでしょうか??
  
話は1995年に戻りますが、polk湯〉は4月から住民さん達が当番制で自主運営しておられました。
ところが、
5月には被災者の多くが避難所から仮設住宅に移って行かれ、それに伴って〈polk湯〉の利用者が減り、そうして、仮設風呂は避難所から撤退したそうです。 
 

以上で、〈第17章〉からの〈仮設風呂の運営〉についてのシリーズを終わります。


  

  

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