Top


<第26章>

心に残る言葉 from 行政さん



ここでは、避難所で出会った行政さん神戸市職員さん)の“心に残る言葉”を端的に列記します。
3月初旬、
Gパン配布のお手伝いをさせて頂いた際 (第10章Aタイプの配布作業その2参照) に伺いました。 
 
震災当日、自宅(無事)から とにかく車で行けるところまで行くつもりで勤務先を目指した。 
道路は亀裂が入ったり凸凹していて、そのうえ 地震で破損した建物の破片など、たくさんの障害物が路上に散乱していたので、運転が大変だった・・ 

震災直後、行政指定以外の所も避難所になってしまっているので、その場所と避難住民の人数を把握するために区内の各避難所を回った。 
その作業がとても大変だった。 
ある学校では、校長の判断によって避難住民が教室に入ることを許されず、住民達は真冬のグランドで避難生活を強いられ、生徒の登校日まで学校は電気をつけなかった・・ あれは酷い!(怒)
同校の他の教諭はそのことについて恐縮しておられた。
※その学校、実は私の出身高校なんです・・! (>。<”)  

救援物資で洗濯機が避難所に支給され、当然1台では足りないので何台か置いた。
ところが、避難所内の電力使用量が過剰になり、学校のヒューズが飛んだ。 

物資があっても生かし切れない・・ (無念)

不公平による住民さん同士のトラブルを避けるため、住民さん全員に行き渡らない物資は配れない。
同理由で、先着順が優先されている
(私が廊下で寝起きをされているお年寄りの扱いについて尋ねた際のお返事)

この学校に村山首相(当時)が来訪されて以後、マスコミが同校に着目し、校長先生や一部の住民さんが取材インタヴューを受けた。
もともと校長へのインタヴューと住民さんへのインタヴューの収録時期にズレがあり、時々刻々と状況が変化する中、状況に応じて対応の仕方もめまぐるしく変わる激動の避難所では、タイミングの合わない両者の話は当然かみ合わないはずなのに、それを週刊誌が、両者の話を単純に並列させて書き、住民の要望に対する校長の対応の遅れやズレを指摘するかたちで掲載した。 
しかも校長は、『自分が話したこととまるで違うことを書いている!!』と言って激怒され、それ以来、当避難所では週刊誌の取材には応じないことにしている。 
インタヴューに応えた住民さんについても、語った内容が他の住民さん達の反感を買い、結局、避難所に居辛くなって出て行かれた・・。 
マスコミ報道の影響でカウンセラー達が多数やって来て、1人のお年寄りに何人ものカウンセラーが次々に話しかけるので、そのお年寄りの方は神経症になってしまわれた。

  

  

next

back


Top