▼平成18年7月5日(水)46日目(7週目)
鎖骨バンドが取れて3日目
待ちに待った鎖骨バンド卒業の日から3日目となる。前々回から約束の2週間が経ち期待して待っていると「バンドをはずしてレントゲンを撮る様に」という先生の指示があった。看護婦さんと思わず「万歳!」先生からバンド装着の指示はもうなかった。(先生によっては装着したり外したりして慣らしの期間を持つ人もいるようだが・・。)うっとおしいバンドからやっと開放されたわけだから私はバンドを早速洗って箱にしまった。注意することはヒビが入らないように、転ばないように、左腕をあまり回さないように・次は2週間後に来ればよい。「やった!ルンルン」
ところが・・
嬉しい反面左肩が落ちるような感じが抜けず左腕が重くだるくて鈍痛があるのでこれに慣れるまでが不安を伴うのだ。やっと両手でパソコンのキーが打てるようになったのはうれしいけれど。まあこれで1週間2週間と日が過ぎるほどに筋肉ももとのように治っていくのだろうから焦らず付き合っていこう。先生も「焦らないでね」と。
骨の状態は
折れたところと折れたところがまっすぐにつかなかったので周りを囲むようにホネが出来てとても太くなるらしい。骨太なんていいじゃない?煮干や牛乳が効いたみたい。おやつがわりに煮干を食べている。
口の悪い友達曰く
「あんたは胃が小さいから食べる絶対量も少ないはずだからホネがもろいんじゃない?骨粗鬆症で転んだら骨は折れるわよ!」「うんうん、遠慮なく言ってくれるねえいつも・・お言葉ですがね骨密度検査の結果は85%でしたの。100%というわけにいかなかったけど骨粗鬆症じゃないってば!!ヤンキースの松井だってひょんなことで骨折治療中じゃない!」「あそういうことか。私もねえ変な咳が出て精密検査したんだけど全部オーライだったわ、ぶくぶく太りっぱなしで困っちゃう・・」「肥満はいいことないよ歩いたり走ったり再開したほうが・・」「わかっちゃいるけどズクが無いわ・・」この人(70kg)こそ転んだらえらいこっちゃ!
▼平成18年7月11日(火)52日目(8週目)
もうじき2ヶ月になる。
抜けるような腕のだるさが少し楽になってきた。これも日にち薬なのだろう。腕を吊るしたり色々してみるが仰向けになるのが一番楽みたいだ。仰向けになるとすぐに寝てしまう癖がついてせっかくのサッカーも結果を見るだけに終わった。鎖骨を折った選手はいなかったかな?ある人が言った。「あんなに走れて羨ましいね」私は「いやなこった。汗かいて怪我して負ければ怒られて、見てるほうがどんなにいいか・・」ああいう星のもとに生まれたからご苦労様なことだと思う。
腕の筋肉をつけようと
玄米ダンベルなどを握って上げ下ろしをしてみる。肱から先だけは問題ないが肩から上げ下げは痛くてまたヒビが入りそうでまだ出来ない。ママさんソフトの仲間は幼少のころ右鎖骨を、中学生のとき左鎖骨を折ったことがあり腕のリハビリの壮絶さを話してくれた。冷や汗かいて貧血起こしてひっくり返る人もいるそうだ・・。(・・;)
それでも段々に
左手も使えるようになってきて機能してきたことに感動する。明日は何が出来るようになるかしら。自然治癒力が十分に発揮できるように、自分の身体は自分でいたわり大事にしてあげよう。周りの人たちの有形無形の支えのおかげで生きていることも忘れてはならない。何もない普通の一日が静かに終わることのしあわせを思う。
行きつけのスーパーで
レジで知人に会った。買ったものを配達してくれるよう頼んでいたら私の怪我を知らなかった知人がどうしたの?そのときスーパーのおかみさんが私に代わって説明してくれた。「テニスをしてて腕の骨を折ったもんでね。」
あれま、いつのまにかテニスになってるわ、鎖骨が腕になってるわ・わ・わ・フフフ・・周りにお客さんがいるし・・ま、いいかーー訂正することもないわ。ソフトボールだってテニスだってどっちでもいいゎ、鎖骨も腕も同じだゎ、そのうちバレーボールやサッカーになったりするかもしれないゎ、なんだか面白くなっちゃって・・おかみさんにイエローカード進呈しよう。そういえば私の胃ガンも乳ガンだったと思っていた人もいたゎ。
▼平成18年7月18日(火)59日目(9週目)
梅雨末期の豪雨の中
ピンクの長靴に傘を差してとことこ(とぼとぼ)と通いなれた裏道を行く。今日はどんな骨を見れるかしら?それにしてもよく降る雨・♪雨雨降れ降れお母さんがー♪母さんがーだけど長男はいつもお母さんがーだったっけ。二男は右と左をわざわざ色違いに履くのが好きだったっけ。青と赤の10cmの長靴。二人とも保育園、学校(小学1年生)の時に遊んでいて頭部を切り同じ先生に縫ってもらったっけ。まさか親の私まで診てもらうことになるとはね。
「本物だー」
レントゲン写真をジーッと眺めていた先生が「本物だー!やっぱ骨だわこれ・・ちょっと腕を上げてみて・」 私「あいたた・・この頃降ってばかりいるのでだるいやら重いやら痛いやら・・」と言うと「そうそう、神経痛や骨折の宿命でね、降りけってやつ、半年や1年は続くよ。」 私「おばあちゃんがよく言ってたからわかります。腕はお風呂に入ったときに少しずつ動かしてます」と言ったら「それでいいよ、車の運転もかまわんし、今度は盆前に来れば・・でも2週間ごとに来てくれりゃアいいがね・・」
先生の治療が終りに近づいている
骨が付いてしまえば先生の治療は終りなのだと感じた。リハビリは?どうやら他の接骨院(リハビリ専門医)へ自主的に行かなければならないようだ。その必要が無いように自己流でやっても良いのではないかと今思い始めた。
そうだ!自分でやろう!
さいわい温泉がある我が家。温泉で温めほぐしておいて伸ばしたり回したりしてやれば良いではないか!!何でもかんでも医者へ行くのは止めよう。自然治癒力を信じてやってみよう。骨を作るには煮干や納豆を食べているが腕の筋肉を回復するには何を食べて何を心がければよいか・・? あまり気負わず普通にバランスよく食べてりゃいいような気がする。とりあえず週2回くらいはとくに念入りに入浴時に動かすようにしていこう。
治ったという感覚はまだないが、
骨がくっついたら医学的には治ったといえるのかもしれない。医師のやることはもうほとんど無く、日常生活が問題なく出来るようにすることは自身の問題であろう。鎖骨のツッパリ感やだるさ、重たさが無くなるには半年以上かかりそうだ。まだ半健康状態であるが日常生活に困ることは少なくなっている。
○両手で顔を洗えるようになった。
○左手でご飯茶碗を持って食べられるようになった。
○かぶりものの服が何とか着られるようになった。
○洗い物も両手でできるようになった。
○運転は明日からやってみよう。
○フラフラ感が少なくなった。
両手のひらを頭の後ろに回して胸を張る運動がいいよと
先生がやって見せてくれた。左腕が痛くて頭の後ろまで回せないがこれが出来るように頑張ろうと思う。もしかしたらこれが先生が教えてくれるリハビリなのかもしれない。
▼平成18年7月23日(日)64日目(10週目)
受傷後まるまる2ヶ月が過ぎた
集中豪雨で災害の恐ろしさをひしと思い知らされたこの1週間。すっかり復旧しないうちにまた雨が降り出している。情報社会でテレビ、ラジオ、パソコン、携帯から速やかに被害状況が伝わってきたがこれだけ便利になったのに人間社会は自然災害にはなんと微弱なんだろう。逃げるしかないのだ。ただ、人間は助け合える素晴らしい存在であることもまた認識できた。みんなが出来ることを力を出し合って復旧に努めている。涙なくしては見られない映像にもボランティアの姿や行政の必死な姿に救われまた涙・・・。
人間万事塞翁が馬
【塞翁の馬が逃げたが、北方の駿馬を率いて戻ってきた。喜んでその馬に乗った息子は落馬して足を折ったが、ために戦士とならず命ながらえた・・・という故事から人生は吉凶・禍福は転変常なく何が幸で何が不幸か予測できないことをいう。】
復活! 背番号「55」の2人
松井選手の左手首骨折も完全に骨がくっついて復活間近、欽ちゃんの茨城ゴールデンゴールズも解散を撤回してチームは存続決定。泣いて笑って好きなことを坦々とやっていく。いろんなことがあるけれど冷静に対応して復活に向けてみんな頑張っているね。私も骨が付いたから復活です。
この雨が上がれば暑い夏がやってくる
被災された皆さん一日も早く復活されんことをお祈りいたします。
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5月21日のレントゲン写真
日赤の医師が撮らせてくれました。

ボキッと折れて真ん中に欠片があるのがわかる。
5月29日・9日目の写真

大分ズレが修正されてきた。鎖骨バンドで固定し引っ張っている効果が表れている。が、欲を言えばもっとくっつけたい。このままつかない場合もあるが手術をしてもつくとは限らないそうである。
骨の想像図 7月3日
こんな風になるのかな?
太い骨が出現中。

7月18日の骨の様子
山口先生が撮らせてくれました。
これで骨が出来てるの?
素人にはわかりにくいが「本物だー」って。 白い線の内側のもやっとしているのが骨らしい。
7月豪雨7/15〜19
湯の脇と大和の境の狭い小路。
この近辺はいつも水がつくところだ。

我が家の2軒向こうまで側溝が溢れた。

郷の沢の急流が旧道を越えて↓

道路を流れ下り、我が家の3軒上まで土嚢を積んで家屋への流入を防いだ。
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