鎖骨骨折体験記 本文へジャンプ
kobachanのドジ日記


鎖骨骨折の記録その1

ソフトボールを始めて40有余年、こんな怪我をするとは思いもよらず!ドジバカドンな骨折の記録を書くことにしました。鎖骨骨折はスポーツばかりでなく日常生活でも肋骨骨折同様に一番起こりやすい怪我であることも始めて知った次第です。

▼平成18年5月21日(日)事故当日
ソフトボールの練習に・・
 今シーズン2回目の練習日だから年会費を持参し体を動かしてこようとグラウンドへ向った。8時から9時までの短い練習時間なのだがあまり張り切ってやると疲れが残るし怪我をしてはいやだからいつもの私のお決まり時間の8時半に着く。監督と6人の人がいてフリーバッティングをやっていた。足の屈伸や腕回しをしながらボール拾いの後ろへグローブをはめていった。
骨折の瞬間
 そこへ間もなくすごいスピードでライナーが飛んできた。取れる!ととっさに反応して、左へと飛びついた・と思った瞬間ゴッキーーンという音とともに左へ転んで一回転、そう回転レシーブである。であるなんて言ってるけど多分足がもつれて転んで勢いあまってひっくり返ったものだ。何が起こったのか?我に返った私は「メガネ・メガネはどこだ?」とキョロキョロ。あった。顔にかけたまま無事。、「うれしーー!」ついこの間変えたばかりだったからホッとする。さておきあがる・・あれ?左の肩が痛いじゃん!腕がぶらりんとしている!左の鎖骨の辺りがとんがってゴリゴリするし、くつくつっと骨が(笑う)動くような音がする。これは骨をやられたか!すぐにHさんが冷却スプレーを持ってきてくれて服の上からシュシューーっとかけてくれた。日赤の救急外来へ行く心積もりで急いで車に乗る。左手に力が入らずDモードへのギアチェンジが出来ない!右手でやって何とか家に着く。
日赤の救急外来に
 電話して夫の車で駆けつけた。程なくレントゲン撮影をすませて、水分補給のためにロビーへ行くと、なんという偶然!胃ガンのときにお世話になった先生が当直明けでバッタリ会ったのだ。
「こんどはどうしました?」「実は・・」と経過を話すと「そのくらいで良かったですね、笑っちゃ悪いけどアハハ・・・鎖骨は手術しないで固定して治すから・・」この先生に聞いたらなぜかホッとする。この先生は縁があって胃ガンの手術に立ち会ってもらって、現在も私が生きている恩人である。がもう手術は受けたくないの。
整形外科の先生
 が休日なのに呼び出されてレントゲン写真を見て説明してくれた。「鎖骨の真ん中が折れて、骨のかけらが浮いている。手術はしません。」「うれしーーー。」「鎖骨バンドで固定しましょう。骨が砕けているほうがつきやすいんです。」「へえ?」「出来るだけきつく絞めますよ。」「あいたた・・・」もう一人の先生が後ろから肩を拡げてくれてギュッと絞めて「はいどうですか?苦しくないですか?」 《苦しくて痛いっちゅうの!!》「この姿勢を保てば骨がついて、形は多少変形しても動く動作には問題なくなります。」「へーーそういうもんですかーー」「4週間くらいバンドを装着してもらいます。来週月曜日に整形外科外来へ来てください。バンドの上からレントゲン写真をとりますから。」「はい」
家に帰ると
 窮屈な格好と痛みとでふーふー言いながら二男の車の迎えでクッションが悪くヒヤヒヤ我慢して家に帰る。子供たちは動けなくてボケるなよと警戒警報を発するのでゆっくりでもちゃんとやれることはやるよと反論。松井だって手首骨折するんだもんね、ま、命に関わるものでなくて良かったということでと負け惜しみやら慰めやら。
鎖骨骨折を検索すると
 いろんな人の鎖骨骨折の記録が出てきてささっと読んで納得。骨折の中では一番多いのだそうである。折れやすい、自然に治る、大したことではない。こういう認識を得てよっしゃーー。
 姉や母たちが帰ったあと頓服一錠飲んで疲れと安心で早めにぐっすり寝たのでした。

▼5月22日(月)二日目
今日やらねばならぬことを
 サッサと出来ないもどかしさにジッと我慢しながらのろのろ片付ける。郵便局のお姉さんが私の突っ張った形を(??)と遠慮がちに見ていた。
顔も洗ってなかったことは百も承知。保健師さんが保健補導員の研修の参加費を返しにくると言うので仕方なく右手だけで洗ってみた。石鹸が目に沁みる(!!)
横になりたくて
 疲れるので横になりたいのだが横にはなりにくい。仰向けに寝てみたら肩が引っ張られて痛むけれどすぐに慣れて極楽!うとうとZZZZ1時間。起き上がるのが大変だ。20分もかけてよく目を覚まし、指や手首や体全体をゆるゆる体操もどきをする。意を決して「よいしょ!」と腹筋で起き上がる。また肩の位置が収まるまで痛いがすぐに慣れた。
お風呂に入る
 医師には聞いてこなかったがいけないとも言わなかったから入ってしまう。姉が介助してくれた。鎖骨の折れたところがとんがって周りが少し腫れていた。鎖骨バンドの装着は姉と夫と二人掛かりでギューっと目印の線まで〆てもらった。バンドの端がすれて脇の辺りが少々痛いが傷自体はさほど痛みも無いのが不思議だ。


▼5月23日(火)三日目
朝は
目が覚めて起き上がるまでにゆるゆる体操20分。昨晩入浴したせいかさっぱりして、傷口がどんどん治るような気がする。
風呂掃除
片手でやってみる。左手は使わないのだがバランスが悪いせいか少しギクシャクしていた。やはり疲れることがわかった。

▼5月24日(水)四日目
4日目となる
鎖骨バンドの窮屈にも慣れたが「はずしたいーー!」大昔の人は木切れで固定していたのかなあ?知人の話によるとギプスで固定した時代は入浴も出来ず、汗をかく時期は悲惨だったようだ。
スポーツ安全保険
ソフトボールチームはスポーツ安全協会傷害保険に入っているので、事故通知を出しておく。実際に入通院した日数が4日以上が対象となる。当然それ以上通院すると思われる。時が早く経ってほしいものだ。
アイロンがけ
片手でもアイロンがけはできたが下を向く動作は苦しいものだった。
冷やかしに
友達がとっかえひっかえ冷やかしに来る。「もう若くないだよね〜〜」一応同情はしてくれるが本心はわかっている。無理なことをして怪我してなんちゅうドジ。さんざん笑わせてくれて肩を押さえて痛みをこらえて「ヒーヒー」笑う私を見て満足して帰っていくのだ・・・・・・・。

▼5月25日(木)五日目
父の車で
下水道工事のため日中留守になる姉宅へ父の車に乗せてもらって行く。職人さんにお茶入れくらいならなんとかできて良かった。
疲れでふらっとする
脳貧血のような症状だと思うけど、寝て起きるときにふらふらする。窮屈なバンドと制限された動作や緊張で疲れがたまったかと思い、夜9時には姉の介助で入浴したあとすぐに寝てしまう。夫や子供が遅く帰宅し、てんでに食べて片付けてくれたようだ。

▼5月26日(金)六日目
今日は曇り空
曇りで低温のせいか傷が少々痛む。よく寝たせいかふらつき感も軽減した。一日姉宅で過ごす。父は松の木の剪定をしていた。私も暇つぶしに手の届くところをチョキチョキ切った。梯子に登って高いところの枝きりをしたくてムズムズするのだがはがゆいものである。そういえば、ひっくり返したままの父の舟の修理も手伝えなくなってしまった。米寿の父と怪我をして半人前の私、慣れない姉の家で可笑しなへまばかりしてしまいには吹き出して大笑い。《泣き笑いして痛いの忘れお留守番》
左手の動き
痛みが割りに少ないのでそろ〜〜りと動かす範囲を広げてみる。お腹や口やわき腹を使う工夫をすれば一通りの家事はこなせるものだ。洗い物も回して洗っていたものは、たてよこに動かせば良い(湯飲みと飯茶碗を割ってしまったが)。洗濯物を干すのが意外と大変。ハンガーを腰より下に吊るせば左手を少し生かしてできた。服は前開きのブラウスにした。のろのろとしかできない時間は早いような遅いような・・とりあえず今日もほぼ無事で良かった。

▼5月29日(月)9日目
日赤へ行く日
怪我から始めての診察日。レントゲンによると骨がそばによって来ている。最低でも1ヶ月、長ければ3ヶ月も鎖骨バンドをはめる。人によりさまざまでいちがいには経過を予想することはできないとのこと。さて私はどのくらいなんだろう?
ところで
日赤は救急患者も多く、今日のようにお待たせするので(3時間かかっている)町の医者に紹介することも出来るがと、Dr.。さんざん待たされてうんざりしていたので即座にお願いした。2枚のレントゲン写真の貸し出しをしてもらって次回から山口(整形外科)医院へ行くことにする。先生に冷やかされそうだけど・。

▲ページのトップへ戻る / 次へ

日赤の医師が撮らせてくれました。

5月21日の写真
ボキッと折れて真ん中に欠片があるのがわかる。



5月29日・9日目の
写真
大分ズレが修正されてきた。鎖骨バンドで固定し引っ張っている効果が表れている。が、欲を言えばもっとくっつけ
たい。









鎖骨(=Clavicle)を固定する帯(=brace)
通称鎖骨バンド










このストラップを外すには他人の手を借りなければならない窮屈この上なし!!