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Monday, November 27, 2000 2:05:35 PM
<プロフィール>
ウズベキスタン共和国:旧ソビエト社会主義連邦共和国の構成国
首都:タシュケント
時差:GMT + 5(日本との時差は-4時間)
人口:約2,400万人(1997年現在)
ウズベク人:80%
ロシア人:5%など
通貨:テンゲ(Cym)
1Cym=1.0円(1998年現在)
旅行時は1Cym=1.3円(2000年1月)程度であったと思います。ただし、インフレが激しく、価格変動がひどいためお気をつけ
ください。また、日本での為替相場を確認することは大変困難であるため、旅行会社等にて調べていただくのがよいかと思われま
す。日本での両替はできません。
移動手段:アシアナ航空を利用。
関空 → ソウル → タシュケントへ
約1時間半 約9時間
中央アジア最大の都市、タシュケントと言う事で、町には地下鉄(中央アジアで唯一)があり、町は少しづつ(?)近代化へ向かっているように感じられた。町の至るところには、韓国企業の進出が目立ちとくに、「大宇」がよく目立った。この影響か旅行客(?)と言えば韓国人がほとんどみんな(旅行季節が冬(1月)であった影響か)であった。
宿泊施設は、旧ソ連時代の外国人宿泊施設に宿泊をした。旧ソ連時代から続く宿泊施設と言う事で、古く、温水が出ないと言う事もあったが、歴史があり旧ソ連時代にタイムスリップしたようなムードを味わえるかも。しかし、現在、改修作業等により顧客確保目指しているように感じられた。これら以外に宿泊施設としては、外資系のホテルチェーンの進出が目立った。
日本ではあまり知名度が高くないが、ウズベキスタン各地には、世界遺産に登録されている遺跡、町が多く点在してる。
各地への移動手段としては、飛行機がよいが、車(タクシー)による移動が便利である場合がある。
(例)タシュケント → サマルカンド
コミュニケーションについては、非常に困難であった。
まずタクシーでは、英語がまったく通じない。ロシア語が中心であったため、行き先の指定においても身振り手振りという状況が多くあった。
現地の生活環境はほかの途上国とほとんど変わらないような気がします。
「偽の日本および外国ブランド製品」、「間違った知識」、「質素な生活・住居」、「外国通貨へのこだわり」
<注意してください>
元CIS諸国(中央アジア)は、物(特に高価品、現金等含む)の持ち込み、持ち出しについてはかなり厳しくなっております。申請が義務づけられており、1度の申請において、2枚申請書を書くこととなり、1枚は入国時に税関にてもう一枚は出国時に提出することとなっております。出国するまでなくさないように気をつけてください。もしなくした場合、現金・高価品等が没収されることがあります。私の場合、タクシー移動であったため申請をおこたり、カザフスタンからの出国時に大きなトラブルを抱えてしまいました。空港にて通関できなくなってしまいました。現地のトラブル時の相談先である、旅行会社に連絡をしましたがよい対処方法がないため、強行(?)で通過することしかできませんでした。ちょっとここではお話はできませんが。せっかくの旅行が台無しになってしまいます。これから予定されている皆さんご注意ください。
<税関申告について>
税関申告書
入国の際、持ち込み物品を確認後、サインをされ、1枚だけ返却されます。これを出国時までなくさないように気をつけてください。
<レギストラーツィア(外国人登録)について>
旧ソ連時代の制度の名残で、入国した外国人を管理するための登録ですが、これは、各ホテルの宿泊証明という形でホテルチェックイン時にパスポートを預ける代わりに手渡されます。外出時には、必ずパスポートもしくは本券を携帯するように気をつけてください。できれば、パスポートとヴィザのコピーがあれば無難かもしれないですね。
<「博物館都市」ヒヴァ>
ヒヴァへの拠点となるウルゲンチへの宿泊が通常となるでしょう。
ウルゲンチからヒヴァへの交通手段は通常路線バスが便利といわれていますが、私の場合空港より宿泊施設までタクシーを使ったため、翌日もそのタクシーを使うことになりました。
現地の人たちは、外国通貨へのこだわりが強いため外国人の旅行者へはしつこいまでの商売をしてくる。
私の場合,それに屈したわけではなのですが、なぜかそうなってしまったのです。
翌日の朝からヒヴァへの案内、夕方の飛行場までで20ドルを要求されましたが、それが高いかどうかは正直わかりません(現地ではかなり高価なような気がします)。
そのタクシー運転手とは親しくなり、「お宅訪問」までしてしまいました。
通常、旅行先では警戒をし、このようなことはしないのですがなぜ心を許したのか?
おそらくそれは、1日一緒にいることにより人なりがわかって来たのかもしれないが、最後に家に入ることを決心したのは家族を紹介されたことでした。
3人の息子を紹介されたとき、「どのような親も、子供の前では親で居つづけつづける」と感じたためであったようなきがします。
ヒヴァは、その昔アムダリヤ川下流のオアシスの町として古代ペルシア時代から繁栄した町です。
10世紀〜14世紀にホレズム帝国の都、旧ウルゲンチが何度か全盛期を迎えても、ヒヴァは相変わらず脇役のままだったが、アムダリヤ川の水系が変わったためにヒヴァに首都が移されました。ホレズムの政治、経済、宗教の中心地になったのは17世紀からです。
ソ連時代には、ヒヴァでの宿泊は許可されていなかったようです。ソ連が解体してよかったですね。
ヒヴァへの町への入場料は西門から入場した場合のみ徴収されるようです。私は西門から入ってしまったので徴収されました。観光バスが発着するためだそうだ。
東門
西門
西門を入ってすぐ、未完成の大ミナレット(カルタ・ミナル)がありました。
青い彩釉タイル模様で覆われた美しいミナレットでした。
未完成であったためにさまざまな伝説が残っています。ムハンマド・アミン・ハーンが高くて立派なミナレットを建て,頂上から400Km離れたブハラの町を見張ろうと考えていることを知ったブハラのハーンが塔の職人を買収して工事をとめさせたので、怒ったアミン・ハーンが職人を殺したとといわれている。だが実際は、アミン・ハーンがペルシャとの戦いで死んだために中断されたらしい。
「カルタ」というのは「短い」という意味があるようです。
アタ・ダルヴァザ(西門)入り口 西門入り口付近から。 右手に「未完成のカルタ・ミナル」、左手に「クフナ・アルクの壁」 |
旧マルクス通りから バックに、「ジュマモスク」と「ミナレット」 |
>クフナ・アルク
要塞で囲まれており、この中でハーンたちによって立てられた執務のための公邸、くつろぎの間、モスク、ハーレム、兵器庫、火薬庫、造幣所もあったとのことです。
ヒヴァの町を一望できるポイントもありました。
クフナ・アルクからヒヴァの町を望む 右手に、未完成の「カルタ・ミナル」 写真ではなかなか伝わらないのですが、「絶景」です。 |
クフナ・アルクからヒヴァの町を望む 右手に、「ムハンマド・アミン・ハーン・メドレセ」 昔は、中央アジアでは最大の神学校であったが、現在はホテルとして利用されている。 |
クフナ・アルクの城壁から |
クフナ・アルクおよびヒヴァの城壁 |
クフナ・アルクの城壁から ヒヴァの町の外側(西側) |
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