5年半振りに更新再開。なんとなく昔書いたものを読み返してみたら我ながら面白かったので、これは続きも書かねば!と思った(笑)
なんで以前止まっちゃったかというと、2004年段階では、まだプレの現場のことが、自分の中でまだ想い出になっていなかったからだと思う。
なんせ、2003年8月までは、プレのイベントに通ってたわけだし。2002年3月からは札幌に住んでいたから、1年以上も遠征通いで(笑)
でも、2010年となった今ではもうすっかり過去の遺産となったので、色々書けるようになったかな、と。むしろ、時間が経ち過ぎて忘れちゃってることの方が多いけど(^-^;
まあ、当時のイベレポを読み返せば結構色々書いてそうだけど、それだと記憶を記録で上書きしてしまいそうだから、なんとか想い出をひねり出したいと思います(笑) 焦らずぼちぼちとね。
とりあえず、スクール系に流れる以前までのことは書いていきたいと思う。
というわけで、誰から書こうか悩んだが、前々回でA・I-DOLLについて書いたことだから、榛香がいいかな、と。
朝倉榛香。朝倉棒香ではありません(懐)
なんか愛称とかはなかったんだっけ? 普通に「榛香」と呼んでたけど。
ちなみに、「あさくらはるか17」のことは知りません(笑) 2度ほど見たことあるけど、全く興味無し。
私にとって朝倉榛香のイメージは、樋口明日香の「夢の扉」を歌ってた姿が印象深い。
といっても、実は私の見た限りでは2回しか歌っていないのだが、彼女の歌を初めて聴いたのがこの曲だったから印象深いのだろう。こばゆーのときと一緒で、第一印象が大きく影響しているのだと思う。何しろ、それをきっかけに樋口明日香のアルバムを買ってしまったほどだし(笑)
ぶっちゃけ、知り合って2年間くらいは好きだったんだけどねえ。結果的に言えば、あかりんから乗り換えたほどだし。間違いなく、当時はプレアイドルの中で一番好きだった。
でも、「17才」をアピールし始めた頃からなんか私には合わなくなってきて、それを完全にネタにしてしまった頃にはもうダメだった。
交流会とかで話してみれば中身は別に変わってないんだけど、ステージ上での姿が見てられなかったんだよねえ。それが彼女の生き残る術だとわかっていても、受け入れることが出来なかった。
あー、今思えば、その前の「さるか」から引き始めてたかもなあ。榛香発なのか寺山さん発なのかは知らないけど。今もそうなんだけど、妙にキャラを作っている芸風は苦手なのです。
あと、水着撮影会もなあ。私がやってほしかった時期にはやらないで、私が札幌に引越ししてから始めやがるし(笑) なので、行ってないです。
まあ、どうしても行きたかったら遠征してでも行ってただろうから、そうじゃないということは以下略。
私の性格上、一旦下がった熱が再度上がることはないんだよねー。それは、私の運命を変えた森谷密をもってしても変わらなかったし。
んー、いざ書いてみると、なんかいい想い出がないように見えるな(笑)
ぃゃ、最初の頃はホントに楽しかったんだよ。
初オリジナル曲の「遠くへ〜Journey to the My Dream〜」はめっちゃ好きだったし。
そういえば、友人と共同で同人誌(コピー誌)まで作っちゃったし。
私が札幌に帰る直前には以下略。
今も現役でがんばってるのは、凄いと思います。本当に。